NHK文芸選評・12月
12/7 短歌 選者:木下龍也先生 題:偶然
クレバスに落ちた兄貴にばったりと出会った夜の横断歩道
大阪府 河本要さん
この現象って実際あると思うんですよ。オカルトな意味合いではなく、「現象として実際起こっているのだが、科学的にまだ解明されていない」だけで。むかし多くの人が天動説を信じていたけど、もういませんよね。(ところが気になって調べると今でも天動説を唱える人たちが僅かながらいらっしゃるようです)
脳内の特定の周波数と合致した時、亡くなったお兄さんの意識が姿形となって見えた。あるいは生前のお兄さんのいた世界線と、作者が現在生きている世界線とが偶然交錯した。作者は横断歩道でお兄さんと出会った時、全く怖くなかったのじゃないかと思います。
12/14 俳句 選者:小林貴子先生 題:年用意
山頭火私も独り年用意
神奈川県 宮本哲也さん
種田山頭火を好きな人は多いですね。私も好きです。一番好きな句は「分け入っても分け入っても青い山」。ほっぺたを切る草の感触や青くさいにおいがわあっと迫ってくるんです。分け入っても分け入っても……どれだけ人に迷惑かけようとも、どこまでも気ままに、自分の思い通りに生きた山頭火。才能が文学に全振り。憧れずにはいられません。
作者は独り暮らしなのでしょう。しめ縄を飾ったり、鏡餅を供えたり、ひとり、迎える年の用意をする。独りが寂しいというよりも、誰に気兼ねする必要もない暮らしを楽しまれている気がします。
12/21 短歌 選者:大森静佳先生 題:ケーキ
ぬばたまのザッハ・トルテの堅牢に今はあずけてみる寄る辺なさ
山形県 西鎮さん
「ぬばたまの」いいですねえ、巧い! 夜や闇、通常は係る言葉が決まっているけど、掲歌ではイレギュラーな使い方。これがめちゃドンピシャに嵌まってる。ただ黒いと形容するよりも太刀打ちできないほどの黒さ、全てを吸い込むような黒さを感じます。チョコレートで厚めにコーティングされているしザッハ・トルテはドイツ語だからか語感も重々しく、確かに堅牢という言葉がぴったりです。
作者には思いごとがあって、右往左往する気持ちを持て余している。そのような時には、何があってもぐらつかない堅牢で確かなものに寄り掛かりたくなる。これは人間関係でも言えて、優柔不断になってどうしたらいいか判らない時、芯のあるブレない友人に話を聞いてもらう、ということがありますね。