宮本輝 #エッセイ
知人が宮本輝「蛍川」を基に短歌の連作を詠んだ。宮本輝が好きだと言った。それで興味を持ち自分も読みはじめ、はまった。蛍川から始まり川三部作はもちろん、流転の海シリーズまでほとんど読んだ。
一番好きなのは「春の夢」。人生どん底だった時、宮本氏の分身である主人公、井領哲之のド根性にどれほど救われたかしれない。
好きが高じて氏の母校・追手門学院大学で行われた講演会にも行った。話ぶりから想像通りのユーモアある温かいお人柄を感じた。
氏の仰る「簡単な言葉で深いことを書く」「いかに削るか。書かずに書く」を胸に刻みつつ創作を続けているが、なかなかうまくいかないものである。
待人は葱に蛍を込めて来る
NHK俳句には、「季節往来」という読者のお便りコーナーがあります。
その月のテーマに沿った300字程度のエッセイに、それに合う俳句を添え、題名も自分でつけます。テーマ「蛍」で出したお便りが没ったので、お亡くなりになったお便りをここにアップし弔うことといたします。
2011年10月22日、読売新聞の21世紀活字文化プロジェクトの一環で行われた宮本輝氏講演会です。一時間半~二時間のお話だったと記憶しますが、話の上手な小説家は創作物と同じく講演にも緩急をつけられるようで、始まってから全体の4/5にかかる頃、こうした講演一般では聴衆がダレて眠くなってくるところに一番すごい話をぶっこんでこられました。当時のレジュメ「タイトル:簡潔な表現こそ名文」から引用します。
壇ノ浦の戦で平家は滅亡しますがそれではあまりに後味が悪いということで、灌頂巻では生き残った建礼門院(平徳子。壇ノ浦に入水する安徳天皇の母)の死去までを書いています。物語としてはぷつりと無慈悲に終わる断絶平家の方が断然良いと、宮本さんは仰るんですね。聞いていて、私もそうだなあと納得しました。小説家の目線でみると読み手の中にいかに余韻を残すかが肝要、ということなのだと思います。余韻は小説のなかで一番大事と私は思っているので(いかに書かずに切るか…最後の一文がどんだけ大事か…)、このお話はずしりときました。
引用した話は宮本輝の著作物でも読んだことがあるので、ご存じの方がいらっしゃるかもしれません。講演のこのくだり、宮本さんの語調が急に力強くなって、何かぎゅいーんと糸で講演台に引っ張られるような感覚がしたのを覚えています。宮本さんの口から生で語られると能舞台の暗がりと篝火の揺れ、舞台をまっすぐみるお父さんと横に座る少年の影が眼前にあらわれるようで、いにしえの琵琶法師の語りもこのように凄まじい吸引力があったのだろうなと想像させられました。
同じレジュメから、
医者から処方された小さな薬一粒、この一粒でどうにでもなる俺の心は、いったい心というものは何なのだろう。この疑問から小説を書きはじめるに至った、とも仰っていました。私も思います。心って何なのだろう。1秒ごとに変わってゆく、いや下手したら0.1秒ごとにも変わっているかもしれないこのやっかいな心というのは。
余韻すごいなと思う宮本作品はたくさんありますが「青が散る」の最後が忘れがたい。ずっと好きだった夏子がやっと自分に振り向いてくれたのに燎平はこたえなかった。切ない、けど、わかるんです。「私みたいな傷物はいや?」夏子のこの問いに答えないのは何とも残酷、だけど、適当にいいかげんなことが言えない燎平をすがすがしくも思った。ずっと好きだったのにね。人の心のふしぎさ、どうにもならなさを提示してくれた名ラストと思います。