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NHK文芸選評への投稿作・7月

自作を載せてない回は出しそびれました。

7/6 短歌 選者:川野里子先生 兼題:スプーン

実家から一緒に越したスプーンはひとりの部屋でもすくってくれる
鹿児島県 佐藤橙さん

ひとりで、ひとりを感受している作品にどうも惹かれます。スプーンなんか引っ越し先で百均で買えばいいのに(と考える私は何かが貧しい)、持っていったのですね。小さい頃から愛用しているものなのでしょうか。あるいはプレゼントされたとか、思い出のスプーン。なじんだ材質や窪みのかたち、とにかくそれでないと自分の心は容れられない、癒されないのだと。どのスプーンでもいいわけではないのです。



7/13 俳句 選者:井上弘美先生 兼題:蝉

ふる声や八月十五日の蝉
梨園の梨の根元に蝉潰す
死んだふりうまい私だ蝉大暑


ふるさとの蝉に囲まれ墓を閉づ
埼玉県 世子さん

実家を継ぐ人がおらず、代々の墓を自分がしまう。そんな人が増えています。仕方のないことで、自分にもふりかかってくる話です。墓の管理と共に、誰も住んでない実家の管理の問題もはらんでいる句だと思います。子供のころから毎年のお盆、法事におとずれた思い出の場所。ここに来るのも今日が最後。守り続けられなくてごめんなさいと両親に手をあわせる。この日も変わらず蝉がわんわん啼いている。



7/20 短歌 選者:山田航先生 兼題:ゴリラ

遠足の門をくぐれば正面のゴリラから来たこうばしいにおい
TVにてゴリラ一億と聞きしよりしっかりと見るゴリラがわらう
人間のいのち地球より重いとは嘘だろうゴリラは一億円


弁当を車内で食べる時にだけゴリラに近い瞬間がある
兵庫県 田中佳さん

誰にもみられず気兼ねなくふるまえるのが一人でいる車内。箸の持ち方が変でも、三角食べができなくても、思いっきりくちゃくちゃ音をたてて食べても構わないのだ。フライドチキンにかぶりつき、食いちぎり、口周りを脂でべとべとにしながらふと気づく。端からみたら自分、食事中のゴリラにみえるかもしれないなあ。でも、いいのだ。生きてるって何だろう? ナマの自分に立ち返れる一人空間。


7/27 俳句 選者:鴇田智哉先生 兼題:蓮

白蓮へ皇子みこら近づく舟遊び
蓮鉢や去りては浮かぶ魚二つ
百体の仏を包み夜の蓮


蓮咲くやピアノの弦の切れる音
埼玉県 伊藤 映雪さん

蓮池に太鼓の音の雨降れり
東京都 美智子さん

同じく蓮と音との取り合わせなんですが異なる音なんです。どちらの句もいいなあと。「蓮と音」つきすぎになりがちなので難しいと思うんですが、非常にうまく捉えられています。これ書くにあたって蓮の開く音を動画で見ました。「パッ」「バッ」って音するんですね。思ってたより大きくて繊細ではないし、しかもけっこうアットランダムにいきなり開く。伊藤さんの句は音がピアノの弦の切れるいきなりな感じと呼応していて、蓮花のひとつひとつが天と糸でつながってるようで、映像的にも非常に美しい。美智子さんのは太鼓の音、えっ太鼓?って発想に驚きました。蓮の静謐とかけ離れていると思ったから。開花じゃなくて蓮池に雨のふる音を詠まれたのは珍しいかも? でも確かに、大雨の時は太鼓みたいな音に聴こえるかもしれないですね。雨の日になかなか行かないから気づかないだけで。



Xで、詩は比較されるものではないとのご意見を読みました(俳句短歌投稿関連の方ではないです)。私もそう思うんです。たぶん色んな媒体に投稿してる大半の方もそう思ってるような気がします。特選~佳作関係なく好きな作品あるって殆どの人は(多分)わかっているから。毎月ここで感想かいてますがもちろん優劣なんてつけられず他にも好きな作品いっぱいあります。あくまで私の憶測ですがもしかすると…Xで流れてくる大量の「載りました」「並じゃなくて佳作嬉しい」などのポストをみてそう感じられたのかもしれません。でも載ったら嬉しいから、載せてくれた人に御礼言いたいからみんな「載りました」ポストするんじゃないかなって思うんです。どうだすごいだろうと言いたいんじゃなくて。少なくとも私はそうです。あとやっぱりみんなに読んでもらいたいし。みんな、とか殆どの人は、とか、ざっくりまとめた表現しましたがそれもおかしくて、自慢したい人も中にはいるだろうし笑、でもそんな人も含めて好きなように自由に楽しくふるまうが一番じゃないかと思うんです。そうじゃないと続きません。「載りました」がしんどくなったらしばらく離れるのも自由ですし。Xで書けよって話ですがその勇気が出ません笑。