余白の神様 #短編小説
夏。僕は「豚の警察」という本をお母さんに買ってもらった。読んでいて、僕はだんだん腹が立ってきた。話のすじ自体は面白いのだが、余白があまりにも多すぎるのだ。上下、左右、そして段落の間の余白が。
「なんだよ、これ。1760円もするけど、ぼったくりじゃん。余白をぎゅっと縮めたら、半分になるよ。そしたら880円で買えるのに」
僕は本の最後に印刷されている出版社の電話番号に電話した。
「はい、夏耳社でございます」
「こんにちは。中学一年の近藤貴志といいます。あの。『豚の警察』っていう本をいま読んでるんですけど、余白がすごく多くないですか? なんか、せこいなあって思うんですけど」
電話のお姉さんが申し訳なさそうに電話をかけ直しますと言って、電話番号を訊いた。スマホの番号を教え、しばらくすると、男の人からかかってきた。
「夏耳社文芸部の横田と申します。近藤さま、『豚の警察』をご購入いただき、ありがとうございます。また、余白について、ご意見をありがとうございます」
しゃべり方がすごく丁寧だ。横田さんは声の感じだと三十歳くらいかな、と思った。
「余白を無くしてぎゅっと縮めたら、使う紙が半分で済みますよね? そしたら、半分の値段で売れると思うんですよね」
「貴重なご意見をありがとうございます。……そうですね、エコの観点からも、紙の節約は大事だと私も思います」
「そう思うなら、どうしてそうしないのですか?」
「余白が全くないと、とても読みにくいのです。仮に『豚の警察』から余白をとっぱらって、文字でぎちぎちにしたと想像してみて下さい。すごく読みにくくないですか?」
僕は想像してみた。確かに、すごく読みにくいかも。
「でも、それにしても余白が多すぎないですか? 片面につき八行しかないし、字自体が大きすぎますよね。中学生対象ってシールが貼ってあるけど、小学生の間違いじゃあないんですか?」
僕がたたみかけると、横田さんはしばらく黙っていたが、やがて
「余白には、余白の神様が住んでいるのですよ」
「ええ?」
「余白の神様は、作者がどうしても話の続きを思いつかない時に、アイデアを授けてくれるのです。だから、余白をたっぷりと取っておかないといけないのです。余白の神様が息ができるように」
僕は、教科書に載っている太宰治みたいに、ほっぺたに手を当てて何かを思案する表情をした神様を想像した。
「余白の神様は、すごいんですよ。作者が書いている物語がつまらないと思ったら、たとえ終盤まで出来ていてもボツにさせて、もっと面白い物語を作るよう、尻を叩いてくれるのです」
「へえ」
「それから、たとえ物語が面白くても、世に出すと色んな人に怒られる内容である場合、あまり怒られない程度に修正するよう促してくれるのです」
いつのまにか僕は横田さんの話に引き込まれていた。
「例えば『桃太郎』をご存じですよね? あれは、元々はこういう話だったのです」
◇
おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から桃が流れてきました。おばあさんが桃を包丁で割ると、中に男の赤ん坊がいて、泣き叫んでいました。
赤ん坊は玉のようにかわいい顔をしていましたが、ほっぺたに包丁の傷が深くついてしまいました。
「ああ、ああ、ごめんなさい」
芝狩りから帰ってきたおじいさんと共に、途方にくれました。ふたりはとても貧乏だったのですが、赤ん坊の傷を治すために、無理をおして町の医者にみせました。高い金をとられたにもかかわらず、傷は深く残りました。
子供のいないふたりは赤ん坊を育てることにしました。桃から生まれたので、安直ですが桃太郎と名付けました。
桃太郎は体格の立派な男子に成長しました。美しい顔についた頬の傷が、なんだかエロティックに見えるらしく、桃太郎は女子にすごくもてました。
何かと目立つ桃太郎は、中学にあがるとすぐ、不良のリーダーに目を付けられました。校舎の裏に呼び出されると、不良たちが襲いかかりました。
しかし桃太郎は、日頃から剣術を習っていたので、難なく不良たちをやっつけました。剣を学校に持ってきてはいけないのですが、先生たちは彼を恐れて、黙認されていたのです。
こうして桃太郎は、不良の新しいリーダーとなりました。元リーダーの恋人がさっそく桃太郎の恋人に収まりました。彼はすぐ、彼女を妊娠させてしまいました。
彼女は産むといいますが、桃太郎は困ります。まだ稼げる年齢じゃないし、彼は色んな女の子と、まだまだ遊びたいのです。
それに結婚するほど、彼女が好きというわけじゃない。桃太郎はカツアゲで巻き上げた金を彼女に渡しました。
「あのさ、避妊しなかったおれも悪いんだけど。この金で、堕ろしてくんねえかな」
彼女は怒り狂い、桃太郎の家にとんで行きました。そしておじいさんとおばあさんに、桃太郎の酷さを涙ながらに訴えました。
「心身ともに強い子になって欲しくて、苦しいのを切り詰めて剣術を習わせたのだ。わしたちはお前を、間違った方向に育ててしまったようだ。お前とは縁を切る。これからはひとりで生きていけ」
桃太郎は家を出ました。彼女は追いかけてきませんでした。何もかも失い、かえってサッパリした気持ちでした。
「さて、生まれ変わった気分だ。これから何をしようかな」
桃太郎が国道を歩いていると、犬、猿、キジに出会いました。
「あなたはこの町で一番強い、有名な桃太郎さんですよね。中学を退学されたときいて、探していたのです。どうか僕たちを家来にしてください」
家来がこいつらではいささか頼りないなあ、と桃太郎は不満でしたが、せっかく申し出てくれているものを無下にできません。家来にしてやりました。美しいキジはさっそくその晩、桃太郎のお嫁さんにされてしまいました。
さて、嫁と家来を食わしてやらねばならぬ。桃太郎はハローワークへ行きました。ハローワークの求人は高卒以上ばかりで、中学中退の桃太郎の仕事はありません。
「ちえっ。いっときの快楽は高くついた。高校くらい出ておけばよかったな」
ふと壁を見ると、派手なロゴのポスターがありました。
桃太郎は早速応募し、採用され、嫁と家来を引き連れて鬼ヶ島行きのフェリーに乗り込みました。しかし、彼は思案します。
「鬼ヶ島には鬼しかいないと係の人が言ってた。島の中で平和に暮らしてるだけで、島から出て人間に危害を加えるわけじゃないだろ。なのになんで退治しなきゃいけないのかな」
フェリーが鬼ヶ島に到着しました。桟橋で出迎えてくれたのは、なんと退治すべきはずの赤鬼や青鬼たちでした。
「鬼ヶ島へようこそ、いらっしゃいました。ホテル鬼奴にて瀬戸内海のおいしい魚介を、たんと召し上がれ」
ホテル鬼奴に行くと、話通りおいしい魚介がたんと出て、犬と猿は飲めや歌えやの大騒ぎ。中居さんには美しい鬼娘がいて、桃太郎は彼女を部屋に引き込むため嫁の目を盗むのに苦労しました。
なんだなんだ。いい奴らじゃねえか。
多くの不良とつきあってきた桃太郎には、生き抜く知恵がたんとついていました。
「なあ、おれらに退治されたってことにして、島を出ないか。一億円で整形して、人間と見た目が変わらないようにすればいい。その後の生活はおれに任せておけ」
鬼たちは人間の残虐さを知っているので躊躇し、一晩かかって協議しましたが、桃太郎は他の人間とちょっと違って、かなりのやんちゃをしていたらしい。こういう人間は、かえって信用できるかもしれない。
鬼たちは彼の案に乗ることに決め、島を出ました。
整形した鬼たちは、桃太郎の設立したアクション俳優専門の芸能事務所に雇われることになりました。筋骨隆々の鬼たちは、立ち回りはお手のものです。たちまちメディアからお呼びがかかり、大河ドラマや映画に出ずっぱりとなりました。
今や年商十億の社長となった桃太郎。
「中卒の元不良が一城の主に昇りつめた!」
と騒がれ、桃太郎自身もテレビや講演に引っ張りだこに。おじいさん、おばあさんを豪邸に呼び寄せ、キジの嫁との間に子供も生まれ、幸せ……
……は、長くは続かなかったのです。
不良時代の元彼女が豪邸に尋ねてきました。幼児の手をひいて。彼女は桃太郎の子供を産んでいたのでした。
養育費、という名の一億の手切れ金を渡しますが、彼女は納得しません。父無し子にしたくない。認知しろと迫ります。キジの嫁との仲は険悪に。
さあ、桃太郎よ、どうする!?
◇
「どうかなあ? こっちの話の方が、面白くないかい?」
朗々と物語を語っていた時とうって変わって、横田さんはおずおずと、小さな声で尋ねた。
「こっちの方が、面白いですけど……なんかおかしくないですか? 法律で、働けるのは15歳になって最初の3月31日を過ぎてからと決まっています。新聞配達や牛乳配達は別としてですが。桃太郎は本当ならまだ中学生だから、働けないですよね」
返事を待ったが、横田さんはだまっている。
「それから、なんで昔の話なのに中学校が出てくるのですか? それに、中学生が中退できるのは私立中学だけのはずです。桃太郎の家は貧乏だから公立ですよね。公立の場合は義務教育だから中退できなくて、ずっと登校拒否していても卒業証書が送られてくるんですよ」
「君はしっかりしている。編集者になれるよ」
横田さんは笑った。僕は自分が登校拒否児だから詳しい事を知っているとは言わなかった。
「それから一番変なのが、話が途中で終わってる事なんですけど」
「ごめんごめん。続きは考え中なんだ」
と、横田さんはすまなそうに言った。僕は時計を見た。電話をかけてから一時間以上経っていた。
「もう一時間もしゃべっていますけど、横田さん、仕事のじゃまをしてごめんなさい」
「ん? ああ、いいんだよ。僕は苦情……いやいや、お客様からご意見を伺う係をしているのだから」
「そうなんですか。じゃあ、僕、失礼します。余白の神様のこと、教えていただいてありがとうございました」
「近藤さま、こちらこそ、貴重なお時間を賜りありがとうございました。これからも夏耳社をどうぞよろしくお願いいたします」
僕は電話を切った。桃太郎と、キジのお嫁さんと、昔の彼女とが大げんかをしている様子が目に浮かんでいた。
僕は勉強机と本棚のマンガと窓の外のカエデの木をながめた。毎日みている景色なのに、なんだか違う世界に戻った感じがする。ちょっとむずかしいかもしれないけど、僕も余白の神様の助けを借りて、さっきの話の続きを書いてみよう。
さっそく勉強机に向かい、ノートを開いた。
書けたらまた、横田さんに電話するつもりだ。