かさぶた #SS
哲夫はかさぶためくりに魅入られてしまった。きっかけは体育の授業だ。サッカーの試合中にこけて、右ひざを派手に擦りむいてしまった。保健室で手当てをしてもらい、ひざを包帯でぐるぐるに巻かれた。
毎日、ガーゼを交換する。傷あとに赤黒くグロテスクなかさぶたが出来はじめた。一週間たち、傷あとが完全にかさぶたで覆われると、ガーゼをやめた。乾かして、かさぶたが自然に剥がれるのを待つ。
でも、これ、きれいに治るのかなあ?
かさぶたは無理やり剥がしてはならない。あとが汚く残ってしまうからだ。今は、かちかちでてかてかの、赤黒い板のようになっている。剥がしたいのを、哲夫はがまんした。かさぶたの下の皮膚が痒くなったが、掻くのをかろうじてこらえた。
一ヶ月が経った。風呂上がりに見ると、かさぶたの端が少しめくれている。かさぶた全体が、湯で膨れてぶよぶよになっている。我慢できず、哲夫はめくれたところから、そっとかさぶたを剥がしていった。下にあたらしい皮膚が見えた。ふやけているので、簡単に剥がれてゆく。
痛みもなく、かさぶたは全部取りのぞけた。あたらしい皮膚は、きれいなピンク色だった。まるで、赤ちゃんのほっぺたのような。
この一ヶ月、かさぶたの下で、死んだ細胞と入れ替わりに新しい細胞がものすごいスピードで増殖していたのだ。生まれたての細胞に熱い血が流れ込み、細胞に栄養を届け、育てていたのである。
そのさまを想像するとき、哲夫は「手のひらを太陽に」の歌詞を思い出す。
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる 僕の血潮
子供の頃はちしおって何? と思いながら歌っていたが、今ならはっきりわかる。そう、血の潮だ。どくどくと脈うち、逆巻く血が、僕の身体に流れ、生命を形成しているのだ。
もう一度、命の神秘を体験したい。哲夫はもう一度かさぶたを剥がして、生まれたての皮膚を見たいと思った。だがそれには、擦り傷をつくる必要がある。わざわざ怪我をこしらえたくはない。おりしも、もうすぐ夏休み。休みに入ってすぐ、友達らと海に行く予定にしていた。
哲夫はほとんど海で泳がず、砂浜に寝そべって身体を焼いた。皆は変なやつと笑ったが、哲夫は普段から何を考えているのかわからない変なやつなので、放っておかれた。
帰る途中ですでに全身は真っ赤で、痛かった。日を追うごとに皮膚が真っ黒に変わり、二の腕から皮がめくれてきた。
さあ、この瞬間を待っていたのだ。哲夫は嬉々として皮めくりを開始した。少しめくれた箇所を指でつまむ。ぺりぺり。痛みもなく、おもしろいように剥がれてゆく。
あたらしい皮膚は、やはりうすいピンク色で、すべすべしている。美しい……。背中の皮も、手が届く範囲で剥がした。
哲夫はうっとりしながら、あたらしい皮膚をなでた。澄んだ、純粋なエネルギーが自分の中になだれ込んできた気がする。生命を体感したい。もっと、もっと。哲夫はカッターで、ごくうすく肘のあたりを切った。ちく、とした痛みのあと、すっと赤い血が滲み出た。
傷が治る様子を観察する。赤い一本の線だったのが、うすく、短くなり、一週間も経つと消えた。自分の皮膚が呼吸し、生きているのを哲夫は感得した。
だが傷は浅く、すぐに塞がってしまった。これではおもしろくない。哲夫は父親のライターで肘を少し焼いた。火傷が治癒する過程をつぶさに観察し、彼は大いに満足した。
哲夫はカッターでもう少し深い傷をこしらえたり、ライターで手の甲を焙った。こうして、彼の身体はかさぶただらけになっていった。あとが残っても、もう気にしない。
半年も経つと、哲夫の様子がおかしいことに父母と友達らは気づいた。自傷行為を行う要因は、周囲との人間関係にあるとスクールカウンセラーは述べたが、まったく心当たりはなかった。
哲夫は、疑問点が生じると解明できるまで納得せず、いつまでも考え込む少し変わった性格ではある。だが、スポーツの好きな普通の子供で、周囲との関係もごく良好だったのだ。
いま哲夫は自宅学習をしている。何も問題はないと言っているのに、強制的に休学させられたのだ。いったい僕のなにが悪いというのだ?
哲夫は引き出しからカッターを出し、手首に線を一本足した。