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新築の一番風呂 #SS

 昔、新聞の悩み相談コーナーで見たある投書は非常に印象深いものだった。
「念願の新築を建てた。さっそく一番風呂に入ろうと思い急いで帰宅したら、義母が来ており『お風呂、先にいただきました』と言う。主の私を差し置いて、なぜ勝手に先に入るのか、それも新築の一番風呂を。それを許した妻に対しても怒りの収まりようがありません」。
 これに回答したのはさる著名な男性作家※であった。彼いわく「昔から『新築の一番風呂に家主が入ると災いが起こる』との言い伝えがあります。お義母様はこれを知っていたので、自分が先に入ったのです。あなたはお義母様に感謝せねばなりません」。
 私は当初、相談者を納得させるための彼の創作だと思いこんだ。さすが作家だと感心していたのだが、調べると確かにそんな言い伝えがあるようだ。

 同じ部署の先輩Yさんが新築を建設中という。くだんの新聞投書を覚えていた私は、雑談がてらYさんに内容を伝えた。
「そんなの迷信でしょ。俺は風呂大好きだから、当然一番風呂に入るよ」
 奥さん、娘さんと入居したYさん。翌年、会社の健康診断で骨髄性白血病であるとわかり、入院された。あのいつも元気いっぱいなYさんが。休み時間にたびたび、会社のテニスコートでテニスしている姿からは想像もできなかった。一番風呂の話は迷信と思っていたが……。
 言い伝えは、それがまことになる例が多かったから時代を超えて伝えられてきた。そういうことではないだろうか。
 お兄さんの骨髄移植を行い、Yさんは一命をとりとめた。部署の皆で見舞いにいったが、やせて別人のようになったYさんを正視できなかった。それから間もなく転職し県外に引っ越したので、現在Yさんがどうされているかはわからない。


※読売新聞人生案内の回答者だった出久根達郎氏です。


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