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緑の逃走線たち

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種を植えず蒔きもせず、点を作らず線を突き刺す。 (ノーディレクションな旅の後悔や傷をポスト構造主義的に肯定する試みです。) (ワーホリの記録です。)
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記事一覧

逃走線 其の二 (ロードトリップ①)

 あの街で、私は彼女を待っていた。  その街は、ケアンズから南へ一四○キロほど進んだ位置…

Takagi Akira
11日前
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アボリジナル・メモリー

 今日は彼らについて想いを馳せてみる。  私が初めて彼らのことを知ったのは中学生の頃だっ…

Takagi Akira
2か月前
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アリススプリングス①

 砂漠の夜は寒い。まだ日が明ける前の早朝、街道を進む車は少ない。点在する街灯と星空が照ら…

Takagi Akira
5か月前
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二年目の始まり

 タスマニアでの第二の青春期を経て、私は恋人と二人の友人と共にオーストラリアの内陸を目指…

Takagi Akira
5か月前
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タスマニアスケッチ①

この仕事は  ブリスベンの話を書き終えて、タスマニアの話を書こうとした。しかし、タスマニ…

1,000
Takagi Akira
6か月前
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坂の多いまち 其の二

 新しい生活に慣れ始め、無くしたものが残した穴を時間の垢が埋め合わせた頃、私はロッククラ…

Takagi Akira
1年前

坂の多いまち 其の一

 坂の多いまちだった。  中央の駅から長い坂を登って街を抜けると、公園の中を突っ切る長い階段が現れる。これを足の裏に汗をかきながら登ると、私が部屋を借りた町に辿り着く。  部屋といっても、一軒家の一階の一室を四名が共有する形で、週に一二〇ドルの家賃であった。二階には共有のキッチンやダイニングがあり、三階には一階と同様な仕組みで女性たちが暮らしていた。シャワーはそれぞれ一階と三階の部屋に備え付けられ、一階には小ぶりなテラスがあった。私はよくそこで陽を浴びながら背筋を伸ばした。

再領土化

 これまで初めての海外渡航から異国での農業生活及び共同体の崩壊について綴ってきた。しかし…

Takagi Akira
1年前
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 私がこのファームに来る数ヶ月前、大きなハリケーンがこの地域を襲ったらしい。その影響で苗…

Takagi Akira
1年前
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シットパンツ

 可奈は上半裸の聡を見つけた。彼の左脇にはサッカーボールが抱えられ、快活な笑顔で誰かと話…

Takagi Akira
1年前
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擬態 其の二

 私は静江、滋賀県出身の19歳。私はバックパーカに憧れていた。それで高校を卒業してすぐにニ…

Takagi Akira
1年前
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もしあの時

「麻衣子、週末ブリスベン行かない?」 「いいよ、八重子さんも行きたがってたよ」  健が麻衣…

Takagi Akira
1年前
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集る

 ある日、私は他のチームの人々が集まるコンテナーの前に居座っていた。彼らのチームには過去…

Takagi Akira
1年前
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官能

 イチゴ農家では収穫時にトロリーと呼ばれる台車が使われる。座面と荷台と屋根(多くは布が朽ち果てた骨組みだけの状態)から成る車輪付きの人力車だ。  決して滑らかではないこの車輪を自らの重さと摘んだイチゴを乗せて走らせることは、なかなかの重労働であった。芯の細い私は腰痛に悩まされるようになった。さらに毎朝毎晩の大人数を乗せた運転もそれなりに負担になっているようであった。幸いなことにドライバーとしての役割のおかげで、それほどがむしゃらにイチゴを摘まなくても生活費に困ることはなかった