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集る

 ある日、私は他のチームの人々が集まるコンテナーの前に居座っていた。彼らのチームには過去に賑やかなイタリア人の一団がいたが、彼らはすでにチームを去っていた。それ以来、彼らのチームの人数は減る一方で、このファームハウス内での勢力は衰えているように見えた。最古参の群れである彼らの衰退を見るのは、最初期から食卓を共にした私にとって、我が事のように悲しく思われた。彼らから直接理由を聞くことはできなかったが、彼らは別のファームへ移動することにしたという。それで、私は最後の宴のためにそこに座っていたのだ。
 コンテンとコンテナで作られた二メートル幅の路地には、木製の長椅子とテーブルが並び、足元には誰のものかわからぬスケートボードが転がっていた。あちこちに灰皿と化したビールの空き缶が散在し、日本では見たことのない黄色い缶の甘ったるい炭酸飲料も多くあった。こういった僻地での生活では、少ない買い物回数で、効率良く仕入れるために、多くの者はお気に入りの、あるいは安売りの飲料を箱で購入することが多い。自然と、あたりには同じ缶が転がり、それがマーキングやナワバリの主張のように働くこともあった。私は、自らのコンテナから、緑色のラベルが貼られた瓶ビールを数本抱えて参加していた。
 そこには、タバコとは違う香りのする葉を吸う人々がいた。彼らはよく『Adventure time』を見て馬鹿笑いしていた。私はその姿を眺めているのが好きだった。
 あるとき、彼らの一人が、夜のゴミ箱の話を始めた。共有厨房の内外には車輪と蓋の付いた大きなゴミ箱が設置されていた。1日の終わりにはどのゴミ箱もいっぱいになっていて、場合によっては蓋が締まり切らないことがあった。朝になればそれらのゴミは業者が回収に来てくれるのだが、夜のうちは捨てられた生ゴミが垣間見えていることもあった。そのような夜には、蛆が湧いた。そして、彼曰く、ゴミ箱から湧いて落ちてくる蛆を求めて、蛙の輪がゴミ箱の周辺にできるというのだ。確かに皆が寝静まった頃、やたらに蛙たちの鳴き声が五月蝿い夜があった。それは、ファームハウスの裏にある池の影響だと思っていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。
 私はその話を聞きながら、この路地に集まる人々とゴミ箱に輪を成す蛙の姿を無意識に重ね合わせていた。人の傲慢さや怠惰により積み重なったゴミの山に湧く蛆とそれに集る蛙。人を怠惰にさせ得る葉に集る人々。その人々がまたゴミの山を築き、蛆が湧き、蛙が集り、吸った彼らがそれを見て笑う。循環が生まれ、そこには生態系が生まれていたのかもしれない。
 しかし、不衛生と夜間の騒音は人間社会の秩序を乱すには十分な要因であったのだろう。彼らは翌日、ファームハウスを去っていった。彼らが去ってから、ファームハウスにあの匂いがすることはなかった。

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