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【落日の丘陵】 那須野ケ原ファーム(現NASU FARM VILLAGE)の秘密

那須野ヶ原の美しいランドスケープには忘れられた悲劇の過去があった

ZOZOグループ出身の濱渦伸次氏とタレントの紗栄子さんによって事業存続が公表された栃木県の那須野ケ原ファームは、労働者派遣会社スタッフサービスのリクルートへの売却利益を資本に設立されたGIグループ(旧OGIグループ)によって運営されていた。

1700億円という莫大な資金力にも関わらず広大な牧草地は枯れ、傷んだ設備の補修すらままならない状態で新しい所有者に引き継がれたという那須野ケ原ファームの背後で何が起きていたのか?
19年の過去を辿るとともに、驚くべきファームのルーツを紐解いてゆく。

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プロローグ―那須野ヶ原ファームの秘密

“モデルでタレントの紗栄子(さえこ)(本名道休(どうきゅう)紗栄子)さん(33)が、栃木県大田原市狭原(せばはら)の「NASU FARM VILLAGE(那須ファームビレッジ)」=旧那須野ケ原ファーム=の乗馬・牧草管理・飲食事業の運営に乗りだした。同ファームの所有者交代に合わせ、「馬の命や従業員の雇用を守りたい」と再建に協力することにした。避雷針の設置や芝の復旧など、想定外の費用が必要となったことから、2日にクラウドファンディング(CF)を始めた。(中略) 同ファームを取得したベンチャー「NOT A HOTEL(ノットアホテル)」の浜渦伸次(はまうずしんじ)社長(37)の依頼を受け、8月から業務の一部を引き受けた。”  (下野新聞2020年9月5日)

旧那須野ケ原ファーム。
広大な那須野ヶ原の中心部に位置するこの地を、筆者は以前訪れたことがある。ゴールデンウィーク明けの平日だったからかどうかわからないが、ほとんど客の姿はなかった。

誰もいないクラブハウスのラウンジは美しく整えられ、そこにいない主人の帰りを静かに待つ従僕のようだった。

その年の桜は遅く、散り始めの桜並木を散策していると、5歳くらいの男の子とその母親と思われる2人組とすれ違った。

その時、桜の木の間を突風が吹き抜けて大量の花びらが舞い上がり、散った。

「サクラ、サクラ!」

男の子は歓声を上げながら勢いよく走り出し、母親は小走りにその後を追った。

丘陵の上の樹木の傍まで行くとその傍らに一基の墓があった。刻まれた墓碑に目を遣るとそれは馬の墓だった。

それから厩舎の中に入って見学していると、馬房から大きな馬が顔を出してきた。近くにいた若い女性の厩務員に馬の名を尋ねてみると快活な声で教えてくれた。

筆者はその名前を聞いて驚いた。

話を元に戻そう。
新聞記事によれば、那須野ケ原ファームの元の主もかつてそうであったように、新しい所有者もベンチャー企業の社長だという。

なぜこの地を手に入れようと思ったのだろう?

ウェブニュースの下の方に、新オーナー濱渦氏のインタビューを見つけた。

「この景観に一目ぼれした。(中略)これだけのランドスケープがあるのは魅力。大田原がすごく良い場所なのに全国的に知られていないのは、滞在場所がないからだと感じた。良いホテルが出来れば、富裕層も含め東京から人もお金も引っ張って来られる。」(下野新聞2020年6月27日)

「ランドスケープ」

前の所有者もその言葉を好んでいたことを思い出して微笑みそうになった。

しかし、目に留まった次の言葉に引っ掛かりを覚えた。

「大田原が全国的に知られていないのは、滞在場所がないから」

たしかに、大田原市に限ったことではないが、那須御用邸で有名な那須地区や世界遺産の日光鬼怒川温泉地区以外に栃木県の観光地を挙げられる他県民は少ないだろう。

だから那須野ヶ原が全国区では知られていない土地というのは事実だ。

けれども不思議なのは、今回ベンチャー起業家と女性タレントが後継者になったことで各種メディアに取り上げられるまで、このファームが近隣地域の住民にさえあまり知れ渡っている場所ではなかったことだ。

新たな名称は「那須ファームビレッジ」と改称されているが、旧名称の通りこの地はいわゆる「那須」ではなく「那須野ヶ原」という。

砂礫層が大半を占める土壌のせいで稲作に向かず、長い間人の住める土地ではなかったが、明治以降、政府の重鎮だった華族たちを中心に大開拓が進められた。
日本の3大疎水のひとつである那須疎水が完成したことにより、1900年初めには20近い農園が運営されていた。

しかし、そうした歴史を背景に持つ地域にありながら2004年に労働者派遣会社スタッフサービスのグループ企業として設立された有限会社那須野ケ原ファームは、華族農園にルーツを持ってはいない。

そして地元住人にすらほとんど知られることのない忍びやかな雰囲気に包まれていた。

筆者は以前、大田原市近郊に居住する3人の知人に旧那須野ケ原ファームについて尋ねたことがあるが、3人とも「そんな場所は知らない」と答えた。

そのうちの一人は父親がしょっちゅう隣接する那須野ヶ原カントリークラブにゴルフに通っているが、そんなファームの存在は耳にしたことがないと言うのだった。

この会話からしばらくしてその知人からファームに行ってみたと連絡があった。

「本当に、あんなところにあんなファームがあるとは思わなかった。」

それからこう付け加えた。

「奥まった場所で人目につかないし、秘密っぽい雰囲気があるね。」

新たな所有者はここにホテルを建設し、観光地化を進めるそうだ。

しかし、ため息をつくほど魅力的な那須野ケ原ファームは、たまたま人知れず取り残されていた「奇跡のランドスケープ」ではない。

現在に至るまで観光地化されることがなかったのは、観光客の滞在場所がないという単純な理由でもない。もしかすると、このベンチャー起業家の目はきっと未来だけを見ていて、土地の過去という事柄には関心を持たないのかもしれない。

しかし本稿では未来ではなく、逆に過去をさかのぼってゆく。

旧那須野ケ原ファームの成り立ちと土地の歴史をたどることによってさまざまな事実が見えてくる。

その中には少しオカルトめいた部分もあるし、ごく控えめに言っても悲劇的な要素もある。

50ヘクタールの牧草地はなぜ荒れ果て、豪奢な設備は管理もままならない状態で人手に渡ったのか?
那須野ケ原ファームはなぜ多くの人に知られることなく、秘密めいた雰囲気をまとっていたのか?

その問いに対する答えは、最終章に至るまでに少しずつ明かされる。

本稿に登場する多くの人物の中で、特に「1人の死者」と「大勢の死者」にまつわる事実。

そしてファームの運命を象徴するかのような2頭の馬―1頭は死に、もう1頭は今も生きている―は、筆者にとって忘れがたい。

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