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NoMaps 2022 開催を終えて

久しぶりに札幌市内をぐるぐる歩き回った5日間、NoMapshttps://no-maps.jp/2022)のメイン会期(10/19~23)が終わりました。NoMapsとは、アメリカ・テキサス州で行われている大規模イベント「South by Southwest」をモチーフにした札幌版のイベントです。セミナー・セッション、映画祭、実証実験、パーティ・音楽など、分野を超えて集積し、ある意味カオスな空間を濃縮させたような祭典で、今年で7回目になりました。直近の2年間はコロナ禍でオンライン開催でしたから、コロナ以前と比較すると雰囲気やイメージもアップグレードしたように感じます。今回のスローガンは「楽しくなければ未来じゃないだろう」。

自分は、2つのセッションを担いながら、実行委員(教育分野担当)として様々なセッションや会場に足を運び、全体をなるべく俯瞰しつつ、来年度以降のことも見据えて回っていました。その中で感じ考えたことは2つ、「世代交代」と「教育」です。本体の実行委員メンバーがこの3年間で世代交代が起きていることから実働部隊も若い世代へシフトしたのを感じました。会場を回ると高校生あたりの関わりが広がっていることや、スタートアップウィークエンドなど、他のイベントも巻き込んで繰り広げられたため、全体的に若くなったという印象を持ちます。

札幌市長と一緒に札幌の未来を語るセッション

「教育」について。例えば、札幌市の秋元克広市長が登壇したセッションのなかで、いつもまにか教育や子育ての話題になっていたり、ホリエモンこと堀江貴文氏の登壇したセッションでは、開口一番「学校いらなくないですか?!」から始まっていたり、札幌国際芸術祭ディレクターの小川秀明氏とNoMaps総合プロデューサーの五十嵐慎一郎氏とのトークセッションでは、小川氏から「NoMapsは、教育をどう考えているの?」と質問が出ていたりなど、いくつかのセッションで多く触れていることが見受けられたので、拝見できてないセッションでもポツポツ起きていたのではないだろうかと推測されます。

しかしながら、教育のどこの話をしているのかというと、登壇者が企業人であると産業人材育成についてや採用に関する話題であったり、母親の立場で来ると保育の話であったり、時には高校についてであったりなど、セッションでその時の登壇者の立場や関心ごとによって話題に上がっていることは部分的で、教育全体を網羅しているわけではありません。教育課題は複雑で多岐に渡っており、全体的で俯瞰的イメージを持ちにくいものですが、こういった場面では教育全般と捉えがちです。それらの交通整理的なことを行わないと、発信力が大きなところで安易に局所的教育のことをあたかも教育課題全体的のように伝わる流れは、やや危険な匂いがします。ですから、トークセッションとしてコンテンツは面白いけど、未来に繋がっていく有機的な場になっていたのかとなると、そうでもないのか、それともこのカオスな状況をもうしばらく続けていくほうがいいのか、悩ましく聞いていました。

少なくても、NoMapsは教育について、開催期間中4日目の土曜日に関係セクションを集中するスケジュールを組みましたので、そちらに議論する場を作っています、といったセッション間の接合ぐらい発信していくべきだったのだろうと感じました。がしかし、その都度話題に上がっていたものを取り上げたセッションが揃っているとは限らないので、うまくいかないものです。

KINGXMHUで行われた Meetup

個人的な見解でざっくりと切り込むと、これだけ社会システムの変化が早く多様で複雑化しているなかで、主に学校教育の世界はこの150年間画一的で大きな変化が見られず、社会と順応していないことへのジレンマや鬱憤がたまりたまってきていることがあるのだと思います。その解決のための道筋は整備されつつあるけど、やはり社会の変化の方が早くてどんどん周回遅れになっている。そのあたりの可視化や一般化、そして乗り越えるべき具体的な取り組みやもしくはざっくりとした方向方針への議論を、分野を超えたカオス空間から整理して生み出していく、そのようなデザインが求められるのではないか、と思いました。

来年開催までのあいだ、まずは今年よりももう一段踏み込んで「NoMapsは、教育をどう考えているの?」に応えられるようにはなっておきたいと思います。


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