「人間はいったい何をしているのか」~凶弾に倒れた伊藤一長前長崎市長が遺した平和宣言
2007年4月17日に長崎市長選挙に立候補していた現職の伊藤一長氏が暴力団関係者の銃撃を受けて死亡した。市長選の遊説の途中に現職市長が襲われるという民主主義の根幹を揺るがすような事件だったので、覚えている方も多いだろう。今年で事件から15年が経つ。
事件の犯人は無期懲役で服役中に死亡した。
2020年1月22日のことである。新聞報道では、当時の市の対応に不満を持って市長を射殺したとされているが、果たしてその程度のことで現職の首長を選挙期間中に公衆の面前で射殺する必要があったのか疑問でしかない。
伊藤一長市長は事件の前年、2006年8月9日、長崎に原爆が落とされてから61年が過ぎた「長崎平和宣言」を読み上げた。これが伊藤市長の最後の「平和宣言」となった。
間違えてほしくないが、伊藤市長はバリバリの保守政治家である。決して左翼ではない。伊藤氏は1995年の市長選に自民党の推薦を受けて立候補し、同様に右翼の凶弾を受けた本島等市長を破って初当選した人である。
あれから15年も過ぎて、今さらのように核兵器の使用が示唆されたり、それに乗じて「核共有」などという妄言を高らかに掲げる政党や政治家が現れることには、怒りというより落胆や悲しみしか感じない。
日本は米国の原子力爆弾による大量殺戮(ジェノサイド)を経験した国である。その国が戦後、その米国の傘の下で平和を築き、そして、2022年のロシアによる核兵器の威嚇を前にして、核兵器保有国と核を「共有」しようというのだ。それはまさに大国(米国)の持つ核兵器が一つの独立した経済大国(日本)を巧妙にコントロールし、支配下に置くという仕組みを、日本自身が支配された側として実証しているのである。核兵器でウクライナを威嚇するロシアとの関係と何が違うというのか。
長崎を最後の被爆地にしたい。そういう被爆者たちの切実な思いを踏みにじるように、アメリカやソ連は核軍拡競争に明け暮れ、中国がアジアで初めて核兵器を保有し、日本にとっての脅威となっている。しかも、北朝鮮をはじめとしたさまざまな国々があたかも自国の権利であるかのように核兵器を開発し、保有しようとしている。
核兵器のリアリズムとは、《使わずに平和を守る》ことではない。昨今の保守政治家には、こういう勘違いが多すぎる。
核兵器は持っている限りにおいて民間人の大量殺戮を容認しているのと同じだ。使わないから安心しろという《抑止力》など、抑止力として機能しない。誰もが広島や長崎の惨状を知っているから、核兵器を持つのであり、核兵器を恐れるのである。
たった一発、核兵器が使用されれば、核保有国の大半は核の撃ち合いを強いられる。地球は破壊され、人類は滅亡の危機に瀕する。核戦争に勝者はいない。
リアリズムを追求するのであれば、核兵器は全廃するしかない。
15年前、なぜ伊藤市長は銃撃されなければならなかったのか。
服役していた犯人が死んでしまった今では、もう解明は難しくなってしまった。私は事件から15年経って、日本の空気が伊藤市長を殺してしまったのではないかと思い始めている。「最後の被爆地」である長崎の市長として、最期まで核兵器廃絶を訴え続けた伊藤市長。もしも現代に生きているとしたら、どんなメッセージを発信するだろうか。
きっと、ロシアによる核兵器の威嚇を怒り、日本の保守政治家たちがそれに乗じて煽る「核共有」議論を一蹴していたに違いない。
「人間はいったい何をしているのか」
この言葉は、現代の我々に向けられているのだ。今一度、あの平和宣言に立ち戻りたい。