隠れキリシタン疑惑
先日、長崎に行ってきた。
初めての九州。
本来の目的は 某四次元不思議カフェ だったのだが(生徒さんお2人にお誘いいただいた、ありがとう) それは呼び水にしかすぎず… という長崎旅だった。
宗教とか神様への想いは隠してきた
前にも記事にしたことがあるけど、わたしは小さい頃から宗教とか神様とかの話がとても好きで、しかしそれを他人に話しては絶対にいけないと思っていた。
コロナ禍を経て、バクティヨーガの先生方に出会って、わたしはもう既に大好きな神様の話をしてもいい世界を作っていたことに気がついた。
まあ、とはいえ、自分のことは分からないもので、そうゆう思考をもっている事にきっと周りは気がついてたし、この話を古い友人に言ったところで「何言ってんの、そんなの知ってるし前からだよ」と笑われると思う。そうゆうもんだ。
でもわたしにとっては宗教の話、とりわけ神様への信仰の話は心の奥底にしまってあったから、絶対に他人に言ってはいけないし、生きている間に言うこともないと思っていた。
それが今思えば謎といえば謎である。
学生時代の友人の話が関係してるとはいえ(信仰がある人と親しくしていた)そんなに恐怖におののく必要もなさそうではある。
忘れていたキリスト教のこと
それで
長崎である。
長崎で大浦天主堂に訪れた時に、更に宗教、キリスト教に関わる話があったことを思い出した。
大学時代にクロスのペンダントがとても流行っていた。シルバーのやつで、シンプルなものをタートルネックのニットに合わせる着方をみんなしていた。
見た目がとてもかわいかったし流行ってたから、わたしもクロスのペンダントが欲しかったのだが、なぜかどうしても買うことができなかった。わたしなぞが胸に十字架をつけてはならない、と強く思った。何が分からないけど相当な理由がないとダメだと感じていた。
もうひとつ。
奇跡のメダイユ をご存知だろうか。
小さなマリア様のお守りのようなものである。ペンダントトップにしたり、それ自体を持ち歩いたりするもので、由来はもちろんキリスト教の教会にある。飢饉や災害があった時のお守りとして配っていたようである(コロナ禍でいうところのアマビエ的な)
これも大学時代に流行っていたが、これまた手元に置くことができなかった。マリア様なんて!わたしには持てない!と感じていた。
今のわたしはキリスト教に対しては特にどんな想いも持っていなくて、ヒンドゥー教の神々であるクリシュナやラーダーに対しての想いが強い。ただ、信仰に対してのきっかけはキリスト教だったのかなと思う。
大浦天主堂で感じた強い衝動
長崎の大浦天主堂で隠れキリシタンについての語りを聞いた時に、いや、教会に入った瞬間に、よく分からないけどもうどうしようもない感覚が湧き、とにかくひざまずいてお祈りを捧げて私の全てを告白したいという強い衝動にかられてしまったのだ。
(周りには普通に人が静かに話を聞いていたので、この衝動は押さえ込んだ)
わたしは数年前から、人が強い信仰を持っている姿を見ると、どうしても泣いてしまう。ほんとうに止められない。お寺で一心不乱ににお祈りしている姿に感極まってしまう。
でもこの大浦天主堂での気持ちは、ちょっと違っていた。誰もお祈りしてなかったし、博物館的な要素のほうが強かったように思う。
その強い衝動や感覚は隣に併設されていた展示室でさらに抑えきれなくなって、展示を見ることができず号泣しながら退出した。
一緒に行った生徒さんおひとりも、もう見れないと言って退出したが、どうやら彼女には怒りの感情が湧いてきたようだった。
なので2人で瞬間的に感じたのは
私たちは前世のどこかで隠れキリシタンだったのではないかと。
そう思ったらとても納得して、今日来れて良かったねという気持ちになった。大浦天主堂近くの教会ショップ?みたいなところで、奇跡のメダイユも買うことができた。
だって隠れキリシタンだって分かったんだもの、そしてもうわたしは隠れる必要がないから大丈夫と思った。
以前抱いていた謎の神様の話NGも隠れキリシタンだったカルマがそうさせたのかもしれないと感じた。
信仰心とは
大浦天主堂についての解説を引用したい。
わたしの輪廻転生のなかで隠れキリシタンがあったかどうかはさておき、隠れていたキリシタン達が「私たちも同じ信仰であります」と告白した というその場所が大浦天主堂である。
その告白した時のオーラというか信仰心が、今もなお強く残っているのを感じた。
信仰とはなぜ生まれるのかと考えたことがあるが、これにはもう理由なんてない、カルマでしかないと私は考えている。生まれる前から決まっている。
自分ですら選ぶことができない、ましては他人から強制されたりやめされることなんてできるわけがない。
しかしそれがまかり通ってしまったのが、キリスト教への迫害であるんだろう。
信仰をやめさせられることがどんなに厳しいことであったのか、その想いに触れることが少しできたのかもしれないと感じる長崎だった。