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国籍を超えて
世界がますます複雑になる中で、国籍というラベルによって人を判断することが増えているように感じます。しかし、私は「国籍はその人の人格のほんの一部分でしかない」と考えています。それだけでその人を全て理解することはできません。だからこそ、私は国籍を超えて、その人自身を見つめたいと思っています。
私の体験
カナダにいたとき、ある中国人の友人に「日本は第二次世界大戦での行いを謝るべきだ」と迫られたことがあります。私はそのことでとても悩みましたが、結局、謝りませんでした。なぜなら、私自身が戦争を起こしたわけではないからです。
私はその友人にこう伝えました。「私たちの祖先がしたことについては申し訳ないと思っています。でも、それは私自身がしたことではないので、私は謝ることはできません。」と。その言葉を口にしたことを今でも覚えています。
その結果、その中国人の友人を失うことになりました。しかし、私の考えは変わりませんでした。この経験を通じて、私は「その人がどんな国籍を持っているかではなく、その人自身を見つめること」の大切さを強く感じました。
ウクライナやロシアの話題の背景
最近の世界情勢では、戦争によって多くの人々が苦しみ、不安定な生活を余儀なくされています。その中で、日本でもウクライナやロシア出身の人々が時に偏見や非難を受けることがあります。たとえば、日本で生活しているロシア出身の人々が「ロシアの戦争行為の責任」を問われる場面があると聞きます。しかし、それは本当に公正な態度でしょうか?
同じように、ウクライナの方々が直面している戦争の痛みは、言葉では表現しきれないほどのものだと思います。それでも、その苦しみを他国の一般市民に向けるべきではないという考え方もあります。こうした背景を踏まえると、私たちはどのようにお互いを理解し、支え合っていけるのかが問われているのではないでしょうか。
痛みを想像することの大切さ
国籍や立場に関係なく、愛する人と引き離され、不安定な生活を強いられる状況は、想像を絶する痛みを伴います。その痛みは、単純に「どちらの国が正しいのか」という議論だけでは語り尽くせないものです。
だからこそ、私たちは「その人がどんな経験をしているのか」に目を向けるべきだと思います。一人ひとりの物語や背景を知り、その痛みや困難に寄り添うことが、平和への第一歩だと感じます。
ラベルの向こう側にあるもの
国籍というラベルは、その人を理解するためのすべてではありません。その人がどんな人生を歩み、どんな夢や悩みを抱えているのかを知ることで、初めて本当の意味でつながることができるのではないでしょうか。