父親と父の遺した言葉

父は私にある言葉を遺して去っていった。

2008年に食道がんを患い余命3カ月と言われたが1年生きた。大好きなラグビーを子どもたちに教えていて、去りがたかったのかもしれない。
当時、父がよく発した言葉は、「かかわる」ということ。

「あき、かかわることが大切なんだ。父さんは今まで自分の子どもたち三人に、かかわることをしてこなかった。申し訳ない」。

2007年、私がカナダにいたころに父から送られてきたテキストメッセージだが、たぶんこのあたりから彼は頻繁にこの言葉を使うようになった。この当時は「申し訳ない」の文言のほうに驚いていたから、あまり気にならなかった言葉だ。

 親が成人した子どもに申し訳なかったなんて一般的ではないだろうし、我が家においては防大卒航空自衛官然と家長、大黒柱であるという気風を吹かせていたからもっともあり得ない言葉だった。その父親がわざわざ海を越えて、謝ってくるとは豆鉄砲を食った鳩のようだった。

しかも理由は、「かかわることをしてこなかった」だから、親の助力もあり、モントリオールで自由な空気を吸っていた私には少し気恥しくもあった。
帰国後、職に就いたものの父の病が発覚すると毎週末父と母の終の棲家に帰るようになっていた。父はがんになっても、ラグビーのコーチをやめようとしなかったし、がん細胞がどんどん増殖しているのを医者から見せられているはずなのに何の兆候もないと言い張って、私に(ラグビー場へ)ついてくるならコーチの講習を受けるようにとある日上尾で行われた講習まで私を連れて行った。

「かかわる」って何ですか。
かかわることが大事とはどういう意味ですか。
ラグビー場へ行く車中で私は質問をする(防大同期の中で三大無口の1人として学内新聞にも掲載されていた父とは、どこか圧迫された空間の中でしか話す機会等なかった)。
 「それは自分で経験することだな。父さんも自分で経験して分かったから」。と格好つけて前置きして続けた。

ラグビーを教え始めて数年経った父は代表コーチに子どもたちにかかわるよう言われたそうだ。ラグビーを毎週教えているのにかかわっていないとはどういう意味だとある種ふん然やるかたない的な感情も抱いたそうだが代表コーチは小学生の子どもがラグビーをする意味について語ったそうだ。

数多あるスポーツの中からラグビーを選んで、タックルもできずにいた子どもが徐々に勇気付けられ、突進できるようになっていくのはコーチだけのおかげではなく、保護者の協力も不可欠だと。階層的な関係、優劣などなく保護者もコーチを頼っているため連携プレーが必要で、例えばたまたま電話で保護者と話す機会があるときに子どもの良かったところを伝えると、親からも誉められる。小学生の子どもにとって親から誉められるほど嬉しいことは無い。

「それが子どもとかかわるということであり、育てるということです」。

と代表コーチは言ったそうだ。

父は、これを腹落ちさせた時から、ラグビーができない子どもに注力をするようになった。できる子はしたいように努力するから見守っていればいい。できない子には声かけがもっと必要なんだと言って、毎回克明に出来ない子についての記録を付け始めていた。
「先週は〇〇だったけれど、今は☆☆ができるようになったな」。と、父が見た世界を子どもたちに伝え始めた。たったそれだけなんだけど、子どもたちは明るくなってラグビーに興味を持ち始めたという。
自慢ではないが、父は保護者からとても好かれていた。ある子は父のことを卒業感想文のテーマにして書いてくれていた。

さて、現在に戻りこの言葉を思い出したのは私が発したからだ。塾の同期(と言っても年齢的には先輩)と話をしている中で出てきた言葉だった。ここでは教育とは何かというテーマを話題としていたが、人とのかかわりは教育であると言えると、私の経験則による思考の結果として出ていた。

人とかかわることは教育です。

父の声と私の声がシンクロした。単純に嬉しかった。
経験からよりよく理解ができるというのは真であった。
ここ最近ずっと、娘を見ながら、主体性とはどういうことか、協調性とどう絡み合うのか、教育とは何か、腹落ちさせたくてもがいていた。ケービーは教育は定義できるものではないと言い切ったからそれを前提に考えてみた。帰納的には教育を語ることはできるんだろう。

まだまだ分かっていないことが多々ある。だからこそ、学んでいく。その姿勢がケービーの言うところの「諦めるを諦めない」だったら良いし、私たちそれぞれ個性があって学ぶ分野も学び方も学ぶ程度もそれぞれだ。それを尊重し合えたらいい。

何より、気づかせてくれたケービーと塾の同期(ながら大先輩)には感謝だ。

娘は父が他界して一年後に生まれ、同じところにあざがある。今、目の前で朝食を食べている娘のことを父の生まれ変わりだと母はときたま言っているが、本当かもしれない。

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