「暗殺」を読んで
巷で話題になってる柴田哲孝著「暗殺」(発行所:㈱幻冬舎)を読んだ。
著者の本は、何冊か読んできた。「TENGU」を読んだ時の、ゾッとするほどの怖さが印象に残っていて、ストーリーテラーだな、と思ってる。
本書が売り出された時も、気になったけど、「暗殺」という文字が妙に禍々しくて忌避した。
けど、気になる・・・
しばらくしてから本屋さんに行ったら、本書が売り切れてた。他の本屋さんに行っても売り切れ・・・。何処にもない。
そうなると、ヘンなもので何としてでも読んでみたくなる。アマノジャク。
読んでみたら、面白い。 あっという間に読み終えた。
暑い夏には、怪談やお化け屋敷なんかが流行るけど、本書は、夏の夜のミステリーとして迫力十分。読み応えのある一冊。
フィクションとノンフィクションの間
2022年夏の安倍元首相狙撃事件は、衝撃的だった。
銃社会でもない日本で「銃撃」事件が起きるなんてことに驚いたし、何より元首相なら警護の人だって、たくさんいただろうに、何発も撃たれてしまうなんて、と思った。
その昔、沢木耕太郎の「テロルの決算」を読んだ時は、政治家って命を狙われるほどの「仕事」なんだ。 到底、自分には出来ないと思った。
「テロルの決算」は、日本社会党書記長、委員長を歴任した浅沼稲次郎氏が、政治演説中に、突然壇上に上がって来た刺客に刺殺されるというショッキングな事件のノンフィクション。沢木耕太郎氏の綿密な調査に基づくドキュメントで読み応えのあるものだった。
一方の、本書は、安倍元首相狙撃事件を題材にした「小説」。フィクションだ。
フィクションだけど、安倍元首相の事件を丹念に調査し、不可解さをあぶり出して、そこを膨らまして「小説」に仕立てている。 フィクションなのに、現実の事件に関わる仔細な調査に基づく丁寧な事実の積み重ねが、ノンフィクションのようなリアリティを醸し出している。
「テロルの決算」を読んだ時のような不気味さが、心に漂っていた。
確かに、安倍元首相狙撃事件。 事件後の報道とか、思い返してみても、なんだか判然としないというか、釈然としないというか。 未消化。
あれだけの事件なのに、メディアからもほとんど情報が出てこない。
そのうち次第に話題に上らなくなり、忘却の彼方へ。 そんな感じ。
それが、イイのか悪いのか、じゃなく・・・
本書が発行され、いろんな人達がYouTube等々で語り出した。一般メディア(新聞・TV等)は、相変わらず扱わない。
でもYouTube上では、政治の争いだけでなく、宗教法人等々の話まで、いろんな事がささやかれ始め、安倍元首相狙撃事件は、アメリカのケネディ大統領狙撃事件の時のような構造を描き出しているなんて話になると、俄然、陰謀説がクローズアップ。
浅沼稲次郎(元日本社会党書記長、委員長)刺殺事件は1960年。
今から60年以上前・・・まだ、戦後を引き摺り、経済復興もままならない。
その時と同じような元首相の殺人事件が、現代でも起きた。
その事に、驚きと不安が上がって来る。
だからこそ本書のような「小説」が生まれるのだろう。
経済小説では、実在する企業の生々しい話を、デフォルメして想像を膨らませて、書き綴っていることが少なくない。そして、その方が、リアルな産業や企業の在り様を示している。そんな気になる。 現役時代は、産業や企業を知るための手段として、業界調査や分析だけでなく、経済小説にもお世話になった。
そんな風に考えると。小説だから現実の事件とは違うのだろうけど、だからこそ、リアリティ感のある小説が生まれる。時に、フィクションがノンフィクションを超える。そんな気がする。
(敬称略)