「オリンピックを殺す日」を読んで
堂場瞬一著「オリンピックを殺す日」(発行所:文藝春秋)を読んだ。
著者の本は、一時期、山ほど読んだ。警察や政治、新聞、スポーツ等々、綿密な取材を重ね、臨場感溢れるシーンを描いてくれるので、思わずホントの事かな、と・・・。お気に入りの小説家のひとりになった。
本書は、謎の組織が、オリンピックをものとせず、アスリートファーストな競技を開催する物語。そんなバカな?と思っていたら、へぇ、そうか、と、どんどん物語に吸い込まれ、あっという間に読んでしまった。
早く続編が読みたい、そう思う極上の一冊だ。
真夏のオリンピック?
気候変動の影響で、日本の夏は、とてつもなく暑くなった。たぶん、私が生きてる間は、35度を超える猛暑の夏しか、やってこないんだろう。
こうなってしまうと、真夏の炎天下でのスポーツは、ちょっと危険。アスリートは強靭な肉体を持っていると言っても、コンマ何秒というレベルで争う競技では、日本の真夏は不向き。少なくともイイ記録は出ない。先年の東京オリンピックの際も、マラソンや競歩は、急遽北海道での開催に変更された。
IOC(国際オリンピック委員会)は、何で「真夏の東京開催」を決めたんだろう。
最終候補地に選ばれたイスタンブール、東京、マドリードの3都市のうち、東京が最も暑い。社会的な安定や安全性、インフラの充実という意味では、東京が良さそうなだけど、東京はアスリートに優しくない暑さ。
8月に開催するなら、南半球のどこか涼しいところでやればいい。地球は丸いのだから。
近頃のオリンピックは、どうかしてる??
気候変動への対応だけじゃない。
どこで開催されようと、近頃のオリンピックは、スポーツ施設やインフラ整備事業に、湯水の如くお金をつぎ込んでいる。四年に一度の大会のために、世界的な無駄使いしているような感じ。壮大なポトラッチだ。余分なお金があるなら、国際的な貧困や健康問題解決に使った方がいいんじゃないか。
オリンピックを中継する放送局も、巨大な利権を寡占して、好き勝手放題。「他のスポーツイベントの放映があるので、オリンピックは真夏に」と言われるとげんなりする。
どの地で開催されようと、オフィシャルスポンサーには、世界的なクレジット会社や清涼飲料メーカー等々が名を連ねてアピール合戦。
何だか、たくさんお金を出した人のためのオリンピック。
「アスリートファースト」って感じがしない。
何のため、誰のために、世界No1を決める競技があるんだろう。
毎回、アテネで開催すれば・・・
そもそも1896年の第1回オリンピックは、4月に開催された。第2回は5月~10月、第3回は7月~11月。真夏に限定的に開催してなかった。
それなら夏のオリンピックは、聖地アテネで、しかも10月頃に開催したら、どうだろう。
今のギリシャには、オリンピックに巨額の資金を投入する余力はないかも知れない。
だったら、足りない施設やインフラは、世界中の国と企業や金持ちが、寄付すればいい。神社やお寺を建てる時と同じように、つくった施設やインフラには、資金提供者の名前を付けておけばいいじゃないか。寄付した人の名前は、ずっといつまでも忘れられずにいる。
世界中の金持ちの国や企業、個人がお金を出し合えば、大概のことは出来るはず。
たくさんのお金が集まれば、放映権だって無料に出来るかも。そうなれば、いろんなツールで競技を見ることが出来て、今よりも盛り上がるんじゃないかなぁ。
ともかく、毎回、同じ場所で開催すればいい。立地も建物も風景も何もかもが、代り映えしないかもしれないけど、いいじゃないか、No1を決めるのが目的なんだから。何より、開催ごとの余分なお金は必要なくなる。建物やインフラの維持管理費は、IOCが維持管理会社を設立・運営すればいい。
真夏の暑さに苦労しているアスリートを見ると、何とかならないものかと思ってしまう。せめてオリンピックくらい、「アスリートファースト」でやって欲しいな。
(敬称略)