「対決」を読んで
月村了衛著「対決」(発行所:光文社)を読んだ。
昔、「土漠の華」を読んだ時、驚いた。一晩で、読み切った、というか、引き込まれて、読み終わらずに居られなかった。こんな小説があるんだな、と思った。
本書は、新聞社の女性記者と大学の女性理事の対決というストーリーになっている。
けど、私には、「差別や区別のない社会づくり」が気になった。
変化はゆるやかに
1945年(昭和20年)12月に「衆議院議員選挙法改正法」が可決し、初めて婦人参政権が認められた。 翌1946年(昭和21年)4月に、戦後初めての衆議院議員総選挙が行われ、39名の女性国会議員が誕生した。初めての選挙には、全国で約1,400万人弱の女性が投票した。
「男女共同参画社会基本法」が1999年(平成11年)の施行。2016年(平成28年)に「女性活躍推進法」ができており、随分と時間がかかっている。
70年の歳月に、どれだけの思いが込められていたのだろう。
お爺ちゃん、お婆ちゃんの時代から70年。どれだけの思いが込められてきたのだろう。まだまだ、差別や区別の欠片が残っている。日本中に広まるには、もっと時間がかかることだろう。
「激震緩和」と言われることが、時々ある。
ドラスチックな変化は混乱を招くから、少しずつ動かしていこう、というもの。この遅々として進まぬ状況に、そんな気配を感じてしまう。
違うからこそ認め合う
「同じ」人間。といっても、そもそも男性と女性では、身体の構造が違う。 男女の生物的な「違い」は明白。
つまり、「区別」は必要。 でも、「差別」は不要、ということ。
とはいうものの、「区別」と「差別」のボーダーラインが曖昧模糊としてるので厄介だ。 難しい。
日本では、法整備も着々として進められてるけど、「差別や区別なく、違いを理解して生きる」には、法律だけでなく、人々の心や振舞こそが大事。分かっているけど、行動変容は難しい。時間がかかってしまう。
家族のあり方
本書の中では、後半のところで、ちょっとだけ、「女性差別の原点は、『家制度』じゃないか」と主人公が言ってたけど、同感。
日本の家父長制は明治時代に始まると、何かの論文に書いてあった。
1871年(明治4年)に戸籍法が制定され、これが家制を形づくり、1898年(明治31年)に「夫婦同氏(姓)」が始まったことで、家父長制が助長された。
家族の中では、年長の男子が専制的な権力を持ち、一族を支え、「一族の家に嫁ぐ」という風習をつくり上げた。
もっとも、戦後1945年(昭和22年)には、民法が改正され、家父長制度が廃止され、戸籍の単位が夫婦単位となったはずだけど・・・
依然として家父長的な枠組みが継承され、ジェンダーフリーの最近になってようやく、その呪縛が解かれようとしている。そんな風に見える。
本書もそうだけど、近頃のTVドラマや映画、文化芸術分野での女性の活躍は目覚ましい。女性が主人公の物語も増えてきている。一般企業でも、「女性の総合職」が着目されたのは遥か昔。今では、女性管理職やリーダーがバリバリ働いているし、ガテン系の職場ですら女性進出が著しい。 人口の半分くらいが女性なんだから、当然のことなんだろうけど。
緩やかに始まった変化は、閾値を超えたところで雪崩をうって拡がっていく。たぶん、男女平等社会も目前。
本書が、女対女の構図から、男女のあり方を問うてる姿にホッとしてる。
やっぱり、著者の本は面白い。
(敬称略)