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死にかける事故から1年。生き方が変わった話。 ~第54話 パラグライダーで墜落 そして入院~

パラグライダーの大会中におきた死にかける大事故。
8月6日でちょうど1年となりました。

この1年を振り返るとすごく不思議な感覚になります。
言葉にうまくできないですが、振り返ると今でもなんとも言えない感情がこみあげてくると同時にどうしても涙がでてきてしまいます。

色々なことがありました。
色々なことを沢山考えました。
でもそこから見えてきたによって大きく考え方が変わりってきました。
生き方というか、生きる価値基準とそのスタンスが変わって来たなと思っています。
今回はその事を綴って行きたいと思います。

先に結論を一言でいってしまえば、
「人生において運の影響力は思っている以上に大きい。だからこそ、結果ではなく過程に重きを置こう。一日、一日を懸命に生きているか。過去の自分に、今の自分は胸をはれるか。」
ということを大切にするようになりました。人生はこれに尽きるのかなと今は考えています。

どうしてそう考えるようになったか。事故の事から順に話していくので、かなり長くなっていますが、是非読んで頂けると嬉しいです。


事故を振り返る

まずどんな事故だったかを話していこうと思います。

事故の概要

パラグライダーのレース大会中に起きた事故でした。風が悪くなる兆候がでたため早めにレースが中止になり、全員ランディングすることに。他の機体2,3機と同時侵入になったランディングアプリーチ中、地上約30mで翼が乱気流で大潰れしました。ビルでいうと8階くらいの高さらしいです。

この高さがパラグライダーにとっては最も絶望的な高度です。パラグライダーというものは翼が大潰れしても、大抵の場合は回復動作に入れれば比較的すぐに翼は元に戻ります。またそれが駄目でも非常用の緊急パラシュートを開くことも出来ます。しかし、どちらもある程度の高度が必要です。

残念ながら、私の事故は高度が低すぎて、潰れた翼をリカバリーするチャンスはほぼない。緊急パラシュートを投げる時間的余裕もない。どうにもならない。。。そんな高度でした。大潰れから5秒かからずに地面に激突。しかも石やコンクリートの角が沢山ある場所に。。。 そんな絶望的な状況でした。

そんな絶望的な落ち方、、、そんな中ありえないほど沢山の奇跡がおきました。

墜落した場所は段差が無数にあり、硬い角ばかり、、、、でも幸運にもそんな場所の数少ない平らな場所に落ちることができました。ちなみに落ちた場所のすぐ上には階段くらいの段差がありました。頭一つ分上にずれて落ちていたら、後頭部を角に強く打っていたと思われます。。。。更に奇跡的に足から落ちることができました。背中から落ちていれば、結果は大きく違ったはずです。極めつけは現場に偶然にも医師と看護師がいて、事故直後に救助に駆けつけてくれました。

落ちた場所や落ち方を考えれば、そのまま死んでいたか、酷い後遺症になる確率のほうが遥かに高かったと思います。まさに文字通り「絶望的状況」だったと思います。そんな状況でここしかないという場所に落ちれただけでなく、落ち方もよかった。更にすぐに医師と看護師が処置をしてくれた。おかげで生還できただけでなく、致命的な後遺症もでませんでした。あんな大事故で後遺症としては左足の表面の感覚にある程度麻痺が残るだけですみました。一体どれだけの奇跡が起きたんだろうしょうね。今思い返しても不思議な感覚になります。

事故の事を詳しく知りたい方はこちらをどうぞ↓


自分としての事故の認識

事故に関しては色んな人の様々な意見があると思いますが、自分の認識としては以下のようなものです。

レースが中止になり、選手みんながどんどん地上に降りてくる形に。そのためランディングアプローチで他機と同時進入になってしまいました。山の近くは風が荒れている可能性はあったけど、危険なほど荒れている様子はない。そんなことより、同時侵入になった他機との空中衝突のリスクのほうが怖い、そんな状況でした。パラグライダーって、突然予測不可能な動きをする人が結構いるんです。なのでしっかり距離を空けておかないと、いざって時にかなり危険です。また、自分も急な動きをしたり、変な所でターンをして周りに迷惑をかけるのも避けるべきです。だから状況的に、自分がちょっと荒れているかもしれない空域を通るのが、自分を含めて皆にとってもトータルで一番安全だよね、と考えて山の近くのルートを選択しました。 ヘルメットに付けていたGoProの映像も確認をしてみたのですが、周りの木々の葉の動きなどをみても空域が荒れている兆候は見られませんでした。でも不運な事に、、、なぜかそんな場所で強い乱気流くらってしまい、翼が大潰れしてしまいました。そしてそのまま制御不能になって墜落しました、、、。

どうやったら事故を防げたのかとうタラレバは色々あります。でもそれは事故後だから言えること。。。。。事故の時に致命的な判断ミスや致命的な操作ミスはしていなかったと自分では思っています。

そう。自分は致命的なミスはしていない。むしろ、周りにも気を使って飛んでいました。周りに気を使ったが故に自分が少しリスクをとっていました。その代償がなぜか、あんなかたちで自分に降り掛かってしまった。。。。あまりにも理不尽な仕打ちを食らってしまいました。
病院で目が覚めてから今までずっと考えています。

なんで自分なんだ?
なんで自分が墜落しなきゃいけなかったんだ?
なんで自分だけがこんなにも痛くて苦しい思いをしなきゃいけないんだ?
そういった葛藤は強くありました。

パラグライダーは空を飛ぶものですからね。それ相応のリスクがあるものだよね、と言われればそれまでです。自分としてもリスクを承知して飛ぶという選択をしていたつもりでした。でも、こんな事故は全く想定していなかったというのが本音です。事故としてはかなり特殊なケースじゃないかなと思います。なんでそんな事故が自分におきてしまったのか。。。


事故が起きた理由、その意味について

あまりにも絶望的な状況。そこから救ってくれた数々の奇跡。あまりにも極端ですよね。そのために心は、、、どうしても意味を考えてしまう。探してしまう。あんな特殊な事故を経験したら、誰でもみんな同じ思いになると思います。

どうしてそんなことが自分に起きてしまったんだろう?
あの時、あんな低い高度で乱気流をくらった理由は?
それでも生きていた意味、いや生かされた意味ってなんだろう?
あまりにも偶然が重なりすぎている。なにか意味があるはず。

そんなことを考えてしまいました。ずいぶん葛藤しました。事故が自分におきた理由、そして意味。そんなものを私の心は必死に探しました。

あれから1年。出てきた答え、それは、、、

そこに理由や意味なんてない。

今はそう考えています。ちょっと極端かもしれませんが、結局全部確率の問題なのかなと思っています。

風が悪くなり始めていた。他の機体と同時侵入になってしまった。色んな要素が複雑に絡み合った結果、自分はちょっとリスクのあるコースを選択せざるを得なかった。そして丁度その時、そこに強い乱気流があった。私はそこに入ってしまった。翼が大潰れした時、回復動作はしたけれど、不十分だった。でも自分がした動作の結果、平坦な部分に落ちることになった。体勢も足から落ちる形になった。そしてたまたま医師と看護師がいた。

ストーリーとしては出来過ぎているとも思ってしまう。でもそこにあるのは確率の問題だけ。あの時、いい意味でも悪い意味でも自分には色んな偶然が重なった結果なんだと思います。

あまりにも運悪く、最悪な高度と位置で乱気流に遭遇してしまい、墜落してしまった。でも、逆に見ると最高にラッキーでもある。あの状況で生きていた。致命的な後遺症もなかった。ただそれだけ。

あまりにも色々重なりすぎていて、何かしらの意味や理由をどうしても考えてしまう。でも現実は色んな要素や確率が複雑に絡み合って生まれ結果なだけなんだと思います。もっとシンプルに言えばそこにあるのは良いことも、悪いことも含めた「運」ただそれだけ。ということなんだろうなって頭では考えています。

でも動機づけはできる

今回の事故は色んな偶然や確率の要素が複雑に絡み合って出てきた結果でしかない。事故そのものに起きた理由や意味はないんだろうなと思っています。そう、頭ではそうわかっているはずなんです。

でもどうしても心ではそう思えない。何か不思議な力が働いていたのではないか?そう思ってしまった自分もいました。そう思わないと説明がつかないと思いました。

あれから1年、いろんな葛藤がありました。その中で一番自分が納得できた考え方は

起きたことそのものは運の要素が生み出した偶然の産物。そこに理由や意味はない。でも、今回の事故をどう解釈するか、どう動機づけしていくかは別の話。そこの選択は自分でできる。その経験をした自分がこれからどう生きるか。どんな目標や目的を持って進んでいくか。それをどう決めて、歩んでいくかは自分次第。

というものでした。

どうせ人間は生きていくしかないです。酷い不運も本人には受け入れる以外の選択肢はありません。であれば自分が一番進める道を見出していくしかない。振り返った時に一番胸を張れるようにしていくしかかないなって思ったんです。だからこう思うことにしました。

自分にはきっと何かやるべき事があるはず。それが何かは今はまだ全然わからない
。でもきっとあるはず。そう信じて、まずはそのやるべき事を探す旅に出る。見つけたら、そこに向かって全力で進む。

そう決めました。そんな旅のスタートの記録として、このNoteを書いています。

事故から得た大きな教訓 

これからの進む方向性は見えてきました。一方で事故を通して痛感したというか、考え方が大きく変わったことがあります。それを踏まえて進んでいこうと思っています。それは、

人生において「運」の要素は思っている以上に影響が大きい。

ということです。

今まで、自分の努力や頑張りで人生は作っていくものだと思っていました。もちろん運の要素も多少は関係するけれど、頑張り続ければ結果はついてくる。そう信じてました。でもどうやら、「運」の影響力というのは自分が思っている以上に大きいみたいです。

今回の事故は自分としてはあまりに理不尽でした。こんな形で自分が墜落事故をおこすとは思ってもいませんでした。人一倍事故を意識して、そのための訓練を積んできた方だと自分では思っています。そんな自分がまさかの事故。しかも事故の時は、周りに気を使った判断をしていた自分にふりかかってきました。
「もっと危ない飛び方をしている人なんていっぱいいるのに、、、なんで自分が、、、。」そう思う部分もかなりあります。

でも多分、世の中ってそんなもんなんだなって今は思います。
ちょっとした運の違いである日突然、とんでもない不幸が降りかかる人はいるんです。そしてその裏側では何かのきっかけで幸運を掴み取る人もいるもんなんだと思います。

事故で大怪我をする人がいる。最悪の場合、亡くなってしまう人もいる。
一方で似たような事故でも何かの違いで無傷ですむ人もいる。
恵まれた環境や体格をもって生まれてくる人がいる。
一方で何かのハンデをもって生まれてくる人もいる。
ずっと頑張ってきているのに、運に見放されて蕾のままの人がいる。
一方でそんなに頑張っていないのに運が見方して、花開く人もいる。

入院中から今まで、「運」について考えてきました。自分の周りの人をはじめ、色んな人の人生を調べたり、比べてみたりもしました。やっぱり人生を取り巻く様々な結果において「運」の影響はかなり大きいみたいです。
同じ様な才能、ポテンシャルをもっていて、同じくらいの努力をしていても、運の要素で大きく結果が変わってくることもあるはずです。
私のように色々と気を使っていても、死にかけてしまうことすらあるんです。悲しい言い方をすれば、世の中って不公平な部分は確かにあります。

人生において「運」の要素は思っている以上に大きいということを今回の事故で思い知らされました。

「運」の要素は受け入れるしかない

でも残念ながら、不公平な部分があろうとも、人間は全員それを背負うしかありません。どんなに拒否しても、最終的には運の要素を受け入れる以外の選択肢はないんですよね。

私の場合は墜落したという不運、それでも生きていたという幸運がありました。両方を比べると幸運のほうが少しだけ勝っていました。

それなら不幸と幸運、その両方を背負わせるんじゃなくて、まず不幸の神様と幸運の神様でバトルしてもらって、結果としてのちょっとだけ勝った幸運の方だけ背負わせてくれればどんなにいいかと思ってしまいます。でもそうはいかないんですよね。すべて受け入れるしかありません。

これは今回の事故のことだけではありません。私の場合、自分なりに写真もパラグライダーも頑張ってきたつもりでした。それでもくすぶっている部分や不満に思っている部分があるのは事実です。努力や頑張りがたりなかった部分もあると思います。でも同じ様な頑張りでも、運の力でもっと花開く可能性も0ではなかったんじゃないかと思う部分があります。

実際、自分の周りで実力以上のチャンスが舞い込んできて、それを上手く掴み、花開いた人もいます。私が知らないだけで影ですごい努力をしていたのかもしれません。おそらくそうでしょう。それでも、やっぱり運の要素の影響で花開いた部分はあると思うんです。

改めていいます。人生において「運」の要素は思っている以上に大きんだと今回の事故で気づきました。色んなことの結果は運に左右される部分が結構大きいです。


だからこそ、変えられることに集中する

結果に関してはどうしても「運」の要素が大きく影響します。不公平に感じる部分もあります。でもそれはどうしようもない。受け入れる以外の選択肢はありません。

であれば運の要素は受け入れて、自分が変えられること、コントロールできることに集中するしかないなって思ったんです。「過程」の部分は自分で選択できる部分がかなり多いです。ならば、自分で変えられる「過程」に集中するべきなんじゃないかなと思いました。

結果ではなく、過程に重きをおく

自分の今までを生き方を振り返ると結果を重視していたなと思うんです。振り返ってみると、求めている結果が出ないことに不満をもったり、嘆いていることが結構あったなと思うんです。

でも今回のことで結果に関しては運の要素もあるし、どうしようもないこともあるって痛感したんです。であれば、自分で変えることのできる過程に集中しようと考えるようになりました。

すごく頑張ったことに結果がでないとすごく悲しいし、辛いですよね。さらに言うと、そうやって頑張っていても、いきなり理不尽なことが起きてすべてが無に返ってしまうことすらあるかもしれない。(自分はそうなりかけました。)

でも、それでも、受け入れるしかない。人の人生って、そんなもんなんだと思います。だからこそ、自分自身の評価軸は結果ではなく、過程にするべきなんだと思います。

やれることを、ちゃんとやっているか。
やるべきことを、ちゃんとやっているか。
一日、一日を懸命に生きているか。
過去の自分に、今の自分は胸をはれるか。

そこを大切に生きていくことにしました。
その積み重ねで明日を作っていくしかないんです。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、人生においてもそういう感覚で進んでいくしかないなと思うようになりました。

より良い過程にするために

過程を重視する進み方をしていく中で、実は意識していることが2つあります。より良いかたちで過程を進んで行くために大切なことだと思っています。


巧みであろうとする

ちょっと言っていることが矛盾しているように感じるかもしれませんが、いくら過程が大切だといっても、結果を無視するのもまた違うと思います。やると決めても、あまりにがむしゃらにやっていては間違った方向に進んでしまうこともあります。それは違いますよね。それはある意味では良くない過程を進んでいるとも言えるでしょう。

正しい方向に進んでいるか、自問自答して方向修正しながら進むこともまた大切だと思っています。結果を意識し、求める結果になるように創意工夫しながら進んでいく。それがいい過程の進み方なんじゃないでしょうか。それはつまり巧みであることだと言えると思っています。

過程を重視して進む。だからこそ、巧みであろうとし続ける。

これが意識している1つ目のことです。

辛い時は「前にズレる」ことを意識する

どうしても辛くなってしまうことは当然あります。どうしても心が進まない、なんてことがあるのは当然です。だって人間ですからね。そんな時は「自分はだめだ」なんて思わずに「前にズレる」ことを意識するといいのかなと思っています。

辛かったり、苦しかったりでどうしても前に進めない時もある。そんな時は進むのではく、1ミリでも良いから前にズレるように意識する。

実際、私は入院の後半から自分にそう言い聞かせてきました。これは結構効果があると実感しています。

入院中は事故で体も心もボロボロ。そこにリハビリだけでなく、病室で色々とやらなきゃいけない作業も色々出てきて、精神的にかなり辛かったです。

でもそんな時に
「苦しい時は前にズレるだけでいい」
こう思うことで、できない自分を攻めることも減ったし、「ちょっとだけでいいならやってみよう」と行動をおこしやすくなりました。

不思議なもので、このスタンスでいるといい方向につながっていくんですよね。人間、調子の波ってどうしてもあります。そんな調子の悪い時にちょっとでもいいから前にズレるようにしていると、調子が良くなった時に普段よりも沢山進められることがよくありました。

やっぱり心持ちで大きく変わりますよね。この「前にズレる」という意識をしていると、今までだったら止まってしまっていたところでもちょっとだけ前に進めています。その積み重ねは大きいし、調子がいい時には更に進める。なので「過程」を全体で見ると、進む平均スピードが大きく変わってくるんじゃないかなと思います。

めんどくさいことや、見たくないこともあると思います。でもそれから逃げたり無視していたら、結局悪い過程を進んでしまう。前にズレるだけでもいいから、向き合って行くことが大切なんだろうなと思います。

一年を通した体感ですが、この2つを意識して過程を進むのと、そうでないのとでは結構大きな差になるんじゃないかなと思います。過程を重視する生き方をするからこそ、常に意識していきたいと思っています。

自分だけでなく、周りの人に対してもそうしていきたい

私自身、よくメディアに出ているような、結果を出した人たちにすごく憧れていました。いつか自分もそうなってやるんだって思っていました。もちろん今でも憧れはありますし、これからそうなっていきたい気持ちはあります。でも事故をきっかけに、結果ではなく過程に重きをおく生き方にスタンスが変わっていきました。

まずは自分ができること、やるべきことを、しっかりやっていく。
そうやって進んでいく自分を時には一歩引いて客観視する。そして巧みであろうとし続ける。

時には、どうしても辛くて進めない時もある。そんな時は少しでもいいから前にズレることに意識をする。

過去の自分に、胸をはれる自分をつくっていく。
そうやって積み上げて明日を作っていく。

これからはそう生きていこうと思っています。

もちろん結果を出して花を咲かせている人たちは素晴らしいです。それ相応の努力や頑張りをしているんだと思います。一方で何らかの理由でまだ花を避けせれていないけれど、真剣に向き合い、頑張っている人たちも沢山いるはずです。これからは、そういう人たちを理解し、応援できる存在になりたいなという気持ちが出てきています。

自分なりに努力や頑張りをすることは素晴らしいことです。
更に、それを続けることはすごいことです。
自分自身もそう有りたいですし、周りの人でそうやって懸命に生きている人がいれば称えられる人間でいたいなと思います。
事故の体験をした私だからこそ、そういう人の辛さや苦しみを理解し、一緒に頑張れたらすごくいいなと思っています。

最後に

すごく長くなってしまいましたが、以上が私が死にかける事故をして、気づいたことから考えがかわり、

「人生において運の影響力は思っている以上に大きい。だからこそ、結果ではなく過程に重きを置こう。一日、一日を懸命に生きているか。過去の自分に、今の自分は胸をはれるか。」

という生き方に変わったという話でした。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

このNoteが読んだ人にとって励まされたり、力になったり、何かプラスに働く内容になっているといいなと思います。

もしよかったら、感想やコメントなど頂けると嬉しいです。


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前島聡夫/空飛ぶ写真家
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