世の中のお金の流通量はどのように決められている?
経済を大きく左右する要因の一つとして、お金の流通量があげられる。
では、そもそもお金の流通量はどのように決められているのだろう。
今回は、お金の流通の仕組みについて説明する。
大昔、お金という概念ができる前は物々交換を行なっていた。ただ、物々交換は非常に効率が悪い。お肉を食べたいのに野菜しか持っていない時、野菜を食べたいのにお肉を持っている人を探す必要がある。なかなか見つからない。そこで、誰もが欲しいものを持っておくことが物々交換を有利に進める上で必要だった。日本の場合、これが「稲」だ。お金に関する感じのほとんどに「貝」という字が含まれているが、これは中国にとっての誰もが欲しいものが「珍しい貝殻」だったからだ。
だが時間が経つにつれ、金・銀・銅がこれらの代わりとなっていく。金・銀・銅は手に入れるのが簡単ではない一方、加工が簡単だからだ。ところが、ここで問題が発生する。セキュリティの問題だ。金・銀・銅を家で保管したり、持ち歩いていたりすると、泥棒に会う可能性大なのだ。そこで、セキュリティのしっかりしているお金持ちのところへ行って、金・銀・銅を預けるようになった。この時、預かった証明証として兌換紙幣と交換していた。このお金持ちは明治維新後、銀行へと変わっていく。
明治維新後にできた多くの銀行は、元々は両替商だった。両替商とは、先程のお金持ちの仕組みのことで、自分が持っている金を担保に紙幣を発行する施設をいう。ところが、自分が持っている金以上の紙幣を発行する銀行で出てきたのだ。ここで、人々は銀行に対して不信感を抱き紙幣への信頼が揺らぎ、多銀行で紙幣を金に両替するように。この動きが加速し、パンクしたいくつかの銀行が潰れてしまう、そこで、明治政府はお札を発行できるところを一箇所にし、国が後ろで支えようと考えた。ここで、中央銀行(日本銀行)が誕生したのだ。
日本銀行ができたはいいものの、結局のところ持っている金の量しかお札を発行することができない。これでは経済を良くしたいときにお金の流通量を増やすことができない。そこで、兌換紙幣という役割をなくし、不換紙幣にした。すなわち、もう金とは関係なく紙幣を発行して良いとしたのだ。紙幣は文字通りただの紙切れとなってしまったのだが、これはお金だという信用は残った。一方、日本銀行が好き勝手紙幣を発行していては、お金という信用は失われてしまう。そこで、日本銀行は政府が発行する「国債」の量に応じて紙幣を発行できることにしたのだ。
だが、ここでもまた問題が起こってしまう。太平洋戦争中、戦争にかける予算増大や終戦後の軍人への退職金支払いのために政府は多くの国債を発行する。すると、日本経済はとんでもないインフレになってしまったのだ。1936年と比べて1954年の物価は約300倍となっていたのだ。GHQによるドッジ・ラインと呼ばれる経済政策によって結果的に物価は安定したのだが、今後このような問題が起こってはならない。
そこで、今では日本銀行は直接国債を買うことはできず、政府が発行した国債を個人や銀行が買った後、銀行が持っている国債を買うことができる。間に銀行というクッションを挟むことで、政府の金融政策が行きすぎることを防いでいるのだ。
今回の話をまとめると、お金の流通量を決めているのは「国債の量」であり、国債の流れは 政府 → (国民) → 銀行 → 日本銀行 となっている。
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