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「非時代」の態度、もしくは否定弁証法の必要性について(『芥正彦責任編集 地下演劇 第7号』掲載文)

*劇作家・芥正彦氏編集による雑誌『地下演劇』の50年ぶり第7号に寄稿した文章を、出版者である熊谷朋哉(SLOGAN)氏の特別の許可を得て以下に公開する*

芥正彦が主催する勉強会に筆者が参加したのは、たかだか2回に過ぎない。しかし、間違いなく言えるのは、芥がたたずむあの四谷の「稽古場」には、ある種の「知」の在り方を未来に託し、発展的に紡いでいくための種が時を越えて保存されているということだ。

ソクラテスが服毒死を迫られたように、ジョルダーノ・ブルーノが火刑に処されたように、小林多喜二が警察によって惨殺されたように、偉大な知性はときに時代から厳しい仕打ちを受け、日の目を見ないまま死を迎えることや、何十年、何世紀と経ってからようやく理解されることもある。また、一度認められた知性も、世界が暗黒の時代に入るにつれ、一時的にせよ危険思想として扱われることや、黙殺の対象となることもある。暗黒時代においては、詭弁家やデマゴーグが大衆の支持を受けながら跋扈し、真の知性を持つ人々は日陰に隠れながらじっと時を待つことを迫られる。

ナチズムの真っ只中でハンナ・アーレントが高らかに声を上げることは不可能だった。フランクフルト学派の面々も、ナチズムに真っ向勝負を挑んで討ち死にするよりも、アメリカ合衆国に亡命して再生の時を待つことを選んだ。そして2023年の今、アーレントを持ち出して反全体主義を唱えても一笑に付される可能性は1960年代後半よりも確実に高く、ミシェル・フーコーの『言葉と物』は、1966年出版当時とは違い、決してベストセラーにはなりえない。我々はすでに、新たな暗黒時代に足を踏み入れている。虐待から逃れた子供が時を経てようやく当時の自分の状況を理解するように、我々は暗黒時代を抜け出したあとにしか、本当の意味でこの時代を冷静に批判することはできない。

そのために今必要なのは、「反時代」だけではなく、「非時代」の態度ではないだろうか。それはいわば、未来に向けて確実に必要な知性の種を、いつでも解凍できるように自己の内部に冷凍保存する技術であり、それを守り抜く覚悟である。「反時代」の態度は、それ自体歴史の更新にとって必要不可欠な要素である。どんな闇の時代も、同時代に起きる「反時代」の行動なくして終わりを迎えることはない。だが、「反時代」的でいることは、多様性を失い、愚鈍化した社会から総攻撃を食らうという代償を伴う捨身の行為でもある。そこに、もう一つのレイヤーとして「非時代」の態度、すなわち時代との弁証法的対決ではなく、アドルノ的否定弁証法によって世界と対峙する術を付け加えることができれば、いずれこの世界にもう一度光が差すとき、まるで冬眠から目覚めた熊のように、湧き上がる生命力とともに次の時代を駆け抜けることができる。芥の勉強会と、そこに佇む彼の姿や言葉から筆者が得たものは、情報としての知識でもなく、中途半端な意味での哲学トレーニングでもなく、「非時代」の態度を貫くことの覚悟に尽きると言っても過言ではない。

遡れば、筆者が芥正彦の名を知ったのは、2022年の年明けである。社会学者・宮台真司とラッパー・ダースレイダーが出演するオンライン番組「SUPER DOMMUNE」への出演を1月6日に控え、筆者は静かに己の血を煮えたぎらせていた。この番組に出演するきっかけとなったのは、宮台が筆者の監督作品『カナルタ 螺旋状の夢』を「SUPER DOMMUNE」番組内で酷評し、それに対して筆者がTwitter上で反論したことで、宮台を直接知る友人である編集者・辻陽介が「番組内で直接対談したらどうか」と提案してきたことだ。

そんなとき、Netflixでふと目についたのが映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』だった。エネルギー消費量の高い論戦を控えた筆者は、何か参考になることがあるかもしれないと思い、夜な夜なその作品を視聴した。東大駒場キャンパス900番教室を左翼学生たちが埋め尽くす騒然とした状況の中、堂々と一人で受けて立つ三島由紀夫の気迫、勇気、鋭い言葉、そして醸し出される人間味に感銘を受けながらも、議論の途中で赤子を肩に乗せながら壇上に上がってきたフーテン族風の男から別次元の衝撃を受けざるを得なかった。それが芥正彦との出会いだった。芥の存在感の前で、教室は瞬く間に劇場と化し、理詰めの応酬に聞こえていた議論は詩の交感となり、彼の身体動作や息遣いは「振る舞い」を「生き様」に昇華させていた。

『三島由紀夫vs東大全共闘』を鑑賞したことで、明らかになったことがあった。かつての戦後日本において、これほどまでに言葉と態度の粋を尽くして戦い抜く文化があった、そして現代において、それは(再び)失われた、ということだ。本作を観て、筆者は宮台に対して同様の論戦を挑むことに意味はないと直観した。なぜなら、現代の言論界では、当時のような高い解像度と緊張感を伴うディスカッションは行われておらず、宮台に「真面目な反論」を行ったところで、筆者が期待するレベルのロジックとセンシティビティを伴った反応は返ってこないだろう、と考えたからだ。

議論とは、決して一対一の個人間のみで成立するものではない。議論は社会や時代の環境に依存する。社会が、時代が、高い解像度と堅牢性を求めなければ、あらゆる対話は弛緩し、欺瞞や忖度にまみれ、詭弁が増殖する土壌を生み出していく。むしろ、宮台と対峙するならば、徹頭徹尾の「否」を、論理を越えて突きつけることに集中するべきだと思った。俺はお前の弛緩した言葉に何があっても、どんなに不利な状況下においても阿る(おもねる)ことはない、その一点のみを思い知らせることに全精力を傾けることに決めた。それは同時に、宮台との対峙を通して、きめ細やかな言論の在り方自体が(再び)崩壊した現代という時代に対して、反響としての否を叫ぶ、筆者なりの否定弁証法の実践でもあった。

筆者は社会学者、あるいは論客としての宮台の存在については知っていたが、特に継続的に彼の動向を追ってきたわけではなかった。2020年に日本に帰国するまでの約8年間、パリの社会科学高等研究院(EHESS)やマンチェスター大学で人類学の研究に追われる厳しい研鑽の日々を過ごす中で、正直に言えば、宮台よりも耳を傾けるべき存在は世界を見渡せば枚挙にいとまがなく、そもそも日本の言論界を追いかける余裕も必要性もなかった。これほどグローバリゼーションと知の流動化が進んだ現代においても日本に「東大信仰」が根強く残っている事実を知ったのは宮台との論戦を通してであるが、マンチェスター大学在籍時の筆者が直接的であれ間接的であれ対峙していたのは、英国ならケンブリッジ大学やオクスフォード大学、エディンバラ大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)やユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)、米国ならばハーヴァード大学やカリフォルニア州立大学などを始めとする国際的学術コミュニティに所属する現役の博士課程の学生や研究者たちであり、日本の知識人の言説がそこに割って入ってくることは皆無に等しかった。2018年にロンドンの大英博物館で行われた英国王立人類学協会主催の国際学会で発表した際にも、バルセロナで行われたラテンアメリカ研究協会(LASA)の年次総会で発表したときにも、日本の大学の研究者はほんのわずかしか参加していなかった。

筆者は、一方で世界にとって思想的アポリアの突破口となりうる日本の知的遺産が「東洋学」あるいは「日本学」の枠に押し込まれ、西洋的思考の「本流」に受け入れられていない現状に強い問題意識を持ちつつ、他方で日本の言論界があまりにも外界から隔絶されすぎていることに危機感を抱いてもいた。西洋の言論空間は凄まじいスピードで折衝を繰り返し、いくつもの議論の道筋が複雑に入り組みながら同時並立しているにも拘らず、それらが日本語に翻訳・変換されるスピードはあまりにも遅く、なおかつ日本人の論客が日本語以外で海外の論客たちと現在進行形でコミュニケーションを取る術も、言語能力的にも機会の面でもあまりにも限られていた。

誤解を恐れずに言えば、宮台を含む「日本の論客」たちの多くは、筆者の眼中になかった。それは、知識の単純量や思考の明晰さの度合いによる優劣の問題ではなく、地球的危機の課題を考えるべき時代において、国際的コミュニティを含む「他者」たちとの粘り強いコミュニケーションを放棄した内向き志向の論客たちから学べることがなかったからである。知性は常に、態度とともにあり、両者の結晶化として現前する。

このような筆者の状況認識の最中において、1年前にようやく和訳された10年前の人類学について得意げに語りながら、明らかに「その後」あるいは「その周辺」の動向に精通していない宮台が、言葉を交わしたことすらない筆者の人類学的知識を酷評し、それを『カナルタ 螺旋状の夢』の作品評価に転換している様子は、第一に非常に奇異かつ滑稽な光景として目に映った。

正直、その姿はとても痛々しかった。「東大信仰」に寄りかかっているのか、「日本の論客」として確固たる地位を築き上げた余裕なのか、いずれにせよ何らかの要因によって弛緩し切った態度の宮台を見て、日本ではきっと、このような痛々しい裸の王様に対して、真っ当な反論や批判が正面から飛んでこないのだろうと直観した。なぜなら、もしも西洋社会で当時の宮台が発したものと同様の言葉が発せられたときには、そのあまりにも脆く身勝手な論旨に対して瞬く間に反論が飛んでくるだろうからだ。そして何よりも、作品の作者があのような言葉を浴びた場合、反論するのは当たり前である。もしそれが当たり前のこととして受け取られないならば、それは本来解放された状態で存在するべき人間の生命力、自由な思考、そして感情の躍動が抑圧されている社会情況が原因であり、それこそが我々がすでに暗黒時代に足を踏み入れていることの証左である。

宮台は筆者との論戦のあと、「この15年で自分に立ち向かってきた若者は太田光海だけだ」と述べた。筆者はこの言葉を聞いても、全く嬉しくない。本来毎日起こるべきことが15年間も起きなかった事実に、ただただ驚愕するのみだ。宮台真司は、2022年11月に男に襲撃され、数カ所を切りつけられた。己の言葉を尽くして宮台に立ち向かう人間が筆者以前にもっと現れていれば、視点は多様化し、彼が裸の王様になることを防ぐことによって、このような事件を避けることができたかもしれない。

芥正彦が三島由紀夫に対峙する姿を観たことによって、筆者は自分が今暗黒の時代に生き、1960年代後半のような言論を行うための知的基盤が現代の日本に存在しないことを思い知った。だからこそ筆者は、宮台に対して「反時代」ではなく、「非時代」の態度、つまり弁証法ではなく否定弁証法で立ち向かうことを決意した。

そして芥は、2023年の今も、「非時代」の態度によって、いつか訪れる雪解けの時を待つための、思考の種を若者たちに蒔き続けている。この種には、現代では「時代遅れ」、「ディレッタントな自慰行為」、「経済的生産性のない無駄」など、様々な罵詈雑言を浴びせられることが容易に想像できる。言うまでもなく、我々は時代が強いるこれらの抑圧に屈するべきではない。この種はいつか必ず開花する。いつか必ず、開花が求められる時が来る。その時まで、あらゆる手段を用いて耐え抜き、この種を守り抜く。時に種を隠し、時に種を飲み込み、時に種を一時的に忘却すらする。一人でこの種を守り抜かなくてもいい。一人が敢えて忘却し、もう一人があとで思い出させる、それも立派な手段だ。あらゆる知性はこのようにして集団的に時代を越え、受け継がれてきたのだから。

2023年2月執筆

2015年1月7日、パリで起きたシャルリ・エブド社襲撃事件後、通行止めとなった現場近くの通りにて。2015年1月7日、筆者撮影。

*筆者以外にも、芥氏本人による新作戯曲などを含め、寄稿者多数。約900ページの長大なボリュームである。ぜひともお買い求めいただきたい*



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