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オヤジの悪口

 富山県高岡市に雨晴海岸という場所がある。「あまはらし」と読むような気がする。字面のすばらしさにすっかり舞い上がってしまい脳内で音読するのを怠るから、いつも覚えては忘れてしまう。
 地名の読みは毎回忘れてしまうのだけれど、あの場所には忘れられない言葉がある。
 駅前の小さな食堂、空になったキリンビールの小瓶が立ち並ぶカウンターで熱く語るほろ酔いのおっさんがいた。おっさんはやはり地元の古いなじみらしき友人相手に、自分の父親の悪口を延々語り続けていた。
 あれは最高だった。後にも先にもあんなに共感できる親の悪口はそんなに多くないだろう。

 JR氷見線の雨晴海岸駅は、小さな小さな無人駅である。鉄道ファンの間ではかなり有名とのこと。海岸線を縁取るように線路が走り、車窓から手を伸ばせば濃紺の日本海に触れられそうである。よく晴れた日にこの駅に降り立てば、雄々しい立山連峰が海からそびえ立つかのようだ。

 夏の終わりのある日、西の方では大型の台風に備えて警戒を強めていた。北陸はフェーン現象で、むっと気温が高かったけれど、風が強くて天気は上々。今日ならきっと遠いお山もばっちり見えるぞ!と朝いちばんで思い立ち、小学3年生だった四女を連れて、電車に乗ってやってきた。
 海はないでいた。富山湾は透明度が高く、遠くの海の底まで肉眼でくっきりと見える。立山も、期待どおりにばっちりだ。

 海岸は観光客でにぎわっていた。バズーカみたいなレンズを付けたカメラを構えた撮り鉄もいた。
 四女は山には興味をほとんど示さず、海岸のヤドカリに夢中であった。ヤドカリの後は二人で貝殻を拾ったり、靴を脱いで冷たい海水に足を浸したり。
 遊んだ後は、ご飯を食べることにした。
 四女は、義経岩の向かいにある白くておしゃれな道の駅でのランチを熱望したのだが、親の権限で却下した。そして、この地に到着した瞬間から気になって仕方なかった、あの小さな食堂に入ることにした。

 昭和をぎゅっと煮しめたような古い食堂である。色褪せた清涼飲料水のポスターがすだれ代わりに張られたアルミサッシのガラス窓。入口にはチラシの裏紙にマジックで書かれた「日替わり定食 イワシ刺身」の掲示。店先ではためく黄一色のノボリ旗は、恐らく営業中のサイン。茜色の瓦屋根は迫りくる超大型台風に持ちこたえられそうもないのであるが、今までこれで何十年も大丈夫だったのだから、今度もきっと何とかなるに違いない。
 尻込みする四女の手をぐいぐい引いて、なんちゃってステンドグラスのはまったドアを開けると、永ちゃんのポスターと、手ぬぐい頭にかっぽう着姿の小柄なばあちゃんが出迎えてくれた。
 もちろん店内の壁一面には、短冊に書かれた一品物のメニューが張られ、どれも値段は書いてない。「おでん」「サバ塩焼き」、ほかにもいろいろ。
 期待通りすぎる。これはデジャヴか。

 わたしは日替わり定食を頼み、四女は「うどん」と言った。ばあちゃんによると、イワシ定食は売り切れで、他の魚ならあるとのこと。いいよ、何の魚?と聞いたら「おいしい魚」とのこと。余計なこと聞いてごめんなさい。

 カウンターには誰も見てないつけっ放しのテレビ、その前に常連客らしき60前後の男性客が2名。昼間からビールを飲んで、地元の言葉でわあわあしゃべっていた。
 この店で刺身の次に新鮮な細胞であるところの四女は、すっかり黙り込んでしまった。疑わし気に店の内部に視線を走らせ、ばあちゃんがサービスで出してくれたオレンジジュースをちびりちびりと飲んでいた。本当はカウンターのテレビを見たかったようだが、おっさんたちの熱いトークで、テレビの声は完全にかき消されていた。

 わたしの日替わり定食は、ブリの幼魚の刺身であった。フクラギというのかコソグラというのか微妙な大きさで(だからばあちゃんは魚の名前を言わなかったのか?)、びっくりするほど新鮮だった。お店で並ぶサイズじゃないから、たぶん家族か知り合いが朝方獲ってきたやつだ。
 四女のうどんには、身に覚えのない立派な海老天がデーンと乗っていた。頼んだのは素うどんだったのに。食後には、やはり身に覚えのないアイスが出てきた。
 定食のお味噌汁は食事の終盤、満を持して出てきた。さっきの刺身の魚のアラが入っていた。たいそう美味であった。アラはミディアムレアだった。

 食事中、わたしも無言、四女も無言。せっかくの親子ジャーニーなんだから、会話を楽しむべきであったが、それどころではない。
 カウンターのおっさんの会話があまりに興味深かった。

 よく飲んでいる方のおっさんは、どうやら実父の介護の愚痴をこぼしているようだった。介護といっても食事の世話と病院の送迎ぐらいのものらしいのだが、とにかくオヤジが許せんと、終始、怒り心頭であった。以下、その内容を列挙する。

・あいつが若いころからまともに働いているのを見たことがない。

・北陸新幹線に伴う開発で先祖伝来の田畑が望外の高値で売れて、オヤジは人生誤った。

・死んだオフクロは生保レディとして頑張って働いた。50代でがんで死んだが、もっと楽させてやりたかった。

・オヤジは小金持ちになったせいで、百姓のセガレという身の程を忘れて愛人をつくった。

・愛人といっても氷見の駅前の場末のスナックの従業員である。なんでオヤジがあんな冴えないババアに入れあげたのか分からない。

・どうせならもっとバチバチッとしたいい女に入れあげてほしかった。そうすればオフクロも少しは納得できただろう。

・オフクロが自分で自分にかけていた生命保険は結構な金額であった。オヤジは保険金が入ると、愛人を連れて北陸新幹線に乗って、東京ドームで野球観戦をしてきた。しかもオープン戦。あれ以来、俺はジャイアンツが大嫌いである。

・オヤジはオフクロの保険金で、愛人と道後温泉にも行った、湯布院も行った。氷見のスナック通いにはタクシーを使うようになった。おれたち子どもや孫は、オフクロの保険金の恩恵はゼロだった。

・おれがオヤジのことで苦労している姿を見ているせいか、幸いおれの息子はいい子に育ってくれた。高岡のまちなかで働いていたが、昨年だか「こんな時代だからこそ農業は大事なんだ」と、決意を固めて実家に帰ってきた。

・息子は友達と農業法人を立ち上げて、近隣の農地をまとめて耕作するプランを立てていた。納屋で眠っていた農工具も使えるように手入れをして、活用するという。最近の若者はしっかりしている。

・ある日、集落の会合があり夜遅く帰ったら、息子が居間で泣いていた。わけをきいたら、「じいちゃんが納屋にあったトラクターを勝手に売ってしまった」と。

・おれは激怒した。おれと息子は母屋に住んでいるが、オヤジは離れで寝起きしている。夜中の12時、おれは縁側から母屋を飛び出し、ダッシュで庭を横切り、オヤジの離れの窓から突入。なぜ窓からかというと、それが最短ルートだったからだ。

・眠りこけているオヤジを引きずり起こして、「ジジイ、自分が何したかわかっとるんか!」と怒鳴り散らしてどつきまわした。老人なのでやり過ぎたら死んでしまうが、かまうもんかと思って蹴った。

・目先の小銭欲しさに孫の希望を売り飛ばすとは許せんジジイだ。おれは自分のことはいい。氷見のババアのことも、オフクロの保険金のことも、東京ドームのことも百歩譲ってオヤジの人生だと許してきたが、今回ばかりは許さん。若者のやる気を踏みにじるやつがあるか。

・とはいえ、ジジイをどついてトラクターが戻ってくるわけでもない。息子は他のつてをたどって別の機械をひっぱってきた。息子はえらい。

・それに引き換え、おれのオヤジは本当にクズである。おれは北陸新幹線が憎い。

 実際はもっと長くて面白かった。
 くどいているおっさんは時折声を荒げていたが、お友達は温厚な人らしくい。絶妙なタイミングで「ああ、それはひどい」「だめや、それはだめや」とおだやかに相槌を打っていた。
 おっさんは、介護の愚痴も冴えていた。
「あのジジイ、倒れてからは目が不自由になったといって、食事の世話をさせやがる。そんなときだけあわれっぽい態度で、かわいそうぶって、おれを頼ってくる。おれにはわからない。目が見えなくて本が読めないのなら納得できるが、どうして目が見えないと一人でメシが食えんのだ。箸がだめなら手づかみで食え。何度か味噌汁を頭からひっかぶったら、そのうち慣れておぼえるだろう」
 たしかにね!そうだよね!
 あまりに生き生き語るので、耳だけダンボのわたしまで一緒にカウンターでビールを飲んでる気分であった。

 私たちは食事を終えた。
 四女はジュースとアイスでふくれてしまって、少しうどんを残してしまった。残された海老天を食べてみたら、身の詰まったホンマモンの海老天だった。ちなみに頼んだのは素うどんであった(大事なことなので二度言いました)。
 もっとこの場にいたかったけれど、帰りの電車の時間であった。
 わたしがお勘定を支払っている間も、おっさんトークは止まらない。

「このイワシの刺身、うんめぇな~。いくらでも入るわ。おかわり!」
「もうない、もうない。あんたが全部食べてしまった」

 アタシのイワシの刺身、食ったの、おっちゃんやったんかーい!

 お店を出て、何歩も歩かないうちに、待ってましたとばかりに四女が言った。
「お母さん、さっき、何で笑っていたの?」
 四女…。賢い子。お店にいる間中、その質問を小さな胸に畳んでいたのね。
「わたし、笑ってないよ」
「でも、口の端がきゅっ、て」 
 と両手の人差し指で自分の口角を上げて見せた。

 帰りの電車はハットリくん列車であった。わたしはテンション上がったが、ハットリくんを知らない四女は「ふーん」みたいなリアクション。

 いい旅だった。

 四女はわたしと同じ眼をしている。これから育つにつれて徐々に角膜が白濁していく。少しでも明るいうちに、少しでもきれいな景色を見せてやりたいと思いつつ、ついつい日々の雑事にかまけて、いつもほったらかしである。
 あの食堂でガチ切れだったおっさんも、四女ぐらいの年の頃には、夏の間じゅう、この海で過ごしたことだろう。遠くの岩まで泳いだり、潜っては魚を突いたりしたのだろうか。
 口が達者で喧嘩っ早くて、さぞかし周囲の大人の手を焼かせたことだろう。わんぱく坊主のセガレを誇る、父のまなざしがあったかどうかは分からない。