カッコイイ女とは。#1
18歳。高校卒業後、中野坂上にあるアナウンスの専門学校へ入学した。
高校卒業の数か月前にアメリカ留学から帰国した私は、進路を急いで決めなければならなかった。
ほとんどのクラスメイトがもう進路を決めている中、教室で一人使い古された専門学校辞典をパラパラとめくりながら、この先勉強したい事ってなんだろうと女子高生の頭で大雑把に考えた。
「英語はある程度話せるようになったけど、そもそも私、日本語ちゃんと話せてなくない?」
「順番的に母国語からじゃない?」
という事になり、たまたま隣の席に座っていた友達に
「アナウンス専門学校ってどうよ」
と言ってみると
「いいじゃんいいじゃん!かっこいい!」
と言われたのでその場で、じゃぁそうしよう!と進路を決定した。
学校までは千葉の実家から片道1時間半かかる。毎日が小旅行だ。
千葉で地下鉄に乗った時は雨が降っていたので傘を持って来たけれど、東京で地上に出てみたら晴天で傘を持っているのは私一人だけ、などという事もざらだった。
高校の時は女子高生らしい女子高生ではあったけれど根っからの地元っ子だったので、渋谷や原宿など所謂都内へ遊びに行く事はほぼなかった。
中野坂上という町自体は都会感のない町だけれど、大都会新宿駅を経由して行くので私は毎日張り切ってお洒落をした。
其の一
ヒールは10cm以上なければいけない。
其の二
メイクは濃い目、布は少な目。
其の三
非力で重たい物は持てないテイなので、バッグは小さく。
其の四
どうしても大きいバッグの時は、必ずヴィトン(カバンだけで重い)。
東京を歩いてもよしとされる女というものは、大体漠然とそのようなものではないか。
来る日も来る日も私は10cm以上のヒールを履いて、往復3時間かけて学校へ通った。
あまりにも遠いので半年ほどで先に上京していた姉の家に転がり込み、余裕が出来た時間を更なるお洒落に費やした。
そんな私にも専門学校で友達が出来た。
都(みやこ)と、サオだ。
サオは専門学校入学と同時に大阪から上京したのにちょっとも関西弁が出て来ない同じ歳の女の子。
都は短大を出てから入学していたので2つ年上だったけれど、和歌山弁バリバリの女の子。
何だか私達は自然と仲良くなっていた。
ある日都が
「うちの和歌山の実家から送られて来る鳥つくねがめっちゃ美味しいんやけど今度皆にご馳走したいわ~」
と言った。
学校の近くに住んでいたサオが
「いいね!じゃぁ休みの日にうちでやろうよ!一人暮らしだし。
あ、でもうちそんな大きいお鍋ないか…」
と言うと都が
「あるある!うちの持ってくし!」
と言い、後日三人で鍋パーティーをする事になった。