好きな友人の町で暮らす。

世の中、別れの歌が多い。友人に関してはとくに多い。

“僕らは別々の道を選んで、手を振り合うけれど、続いていく道のどこかできっとまた会いましょう”

卒業シーズンに、リズムを替えメロディーを替え流れるこのメッセージでは、仲のよい友人同士は、涙をこらえて、あるいは流しながらでも離れていくことこそが美しいとされていて同じ場所へと巣立っていくことは想定されていない。

友人とは人生のひと時をともにしても、時が来たらそれぞれに生きる場所を見つけることを求められている。恋人と新しい町で生活を始めるならともかく、友人がそこに行くから自分も行くなんて、人生を真面目に考えていないみたいでよろしい響きはしない。

……という雰囲気の中、私も大切な友人とは地球の反対側に住んでいた。

彼女はメキシコ人で、私は日本人で、私たちは留学先のアメリカの大学で同級生だった。わたしたちはいつもぽつりぽつりとしか話をしなかったけれど「ソウルメイト」がいるとすれば、この人だと思えるのが彼女だった。

彼女はもの静かで内気。周りからは「ミステリアス」だと言われていた。私は「だれとでも友達になれるタイプ」(本当は人見知りだったけど、それを隠そうとする変なハイテンションを持ち合わせていた)と言われていた。でもこれが恋愛になると、彼女の方がオープンで、私はミステリアスを通り越して自分のこともよく分からなかった。私たちはよくそのことを笑った。同じ星からうっかり別々の国に生まれてしまった双子のように似ているのに、周りからの印象は全然違うんだねと。場面によってどちらが外交的でどちらが内向的になるかが替わるだけで、とても似ていた。

一緒にミシシッピ川のほとりまで散歩に出るとき、彼女の部屋でそれぞれの宿題をしながらやがて眠りに落ちるとき、周りで賑やかな音楽が鳴って友人たちが楽しそうにしているとき、そこに世界が重なっている人がいることが私を安心させた。

卒業後はそれぞれの国に帰った。私の方が一足先に日本に帰ることになったとき、彼女は空港までアコーディオンを持ってきてその場で弾いてくれた。それが終わると私たちは抱きあって泣いた。言葉は殆どなかった。

日本に帰ってきてから一度、彼女が手紙をくれたことがあった。「今はとても寂しいけれど、私たちはそれぞれに決めた場所でやがて大切なひとたちを見つけていくよ。しょうがないよ」

「そうだね」と呟いて、私は手紙を封筒に戻した。なにもJ-POPのラジオだけが別れの歌を流すわけじゃない。

20代を思い返すとき私の一番深いところにあった感情は「寂しい」だった。彼女と近くにいたら、このどうしょうもなく寂しい気持ちは全然違うはずだった。それをおおっぴらに言うことはしなかったけれど、心のどこかで思っていた。

「恋人を追いかけていくのはOKで、友人だとNGなの?」

「何をしたいかよりも、誰と生きていきたいかを大事にしてはダメなの?」

目先の迷路を抜け出そうと必死になりながらも、だれに聞いていいかわからない問いが、頭上で宙ぶらりんに浮いていていた。

20代の迷路を抜けて30代に入るころ、自分の道が決まった。いくつかの偶然が重なって私は物書きとして生きていこうと腹を括ることができた。不思議なことに一度道が定まると、彼女の言っていたような出会いに恵まれることになって、私の抱えていた寂しさは随分と影を潜めた。それは時折ちらつくけれど、なんとかやって行けそうな感覚も掴んでいた。

忘れかけていた気持ちを思い出させてくれたのは夫だった。自分が仕事を休んで旅にでるタイミングで、彼は私に「メキシコに家を借りたら?」と提案してきた。彼と知り合ってからの最初の数年も「寂しさが消えない」と泣いていた。それを彼はずっと覚えていた。人生の伴侶になろうとしてくれていた人に私はずいぶんとひどいことを言った。

「もう大丈夫だよ」と言おうと思った。でも、一生のうちで一度くらい「愛する友の近くで暮らすため」に住む町を決めてもいいかもしれない。

「どこにいてもできる仕事を選んだのだから、住みたいところに住んでみればいいじゃない。俺、そこを拠点に旅するから。あ、でもまずはスペイン語少し勉強しようかな」

休む段取りのついた夫は、うきうきしている。

彼女に連絡を取ったら、オアハカという町にいるとのことだった。

「オアハカ」という町をインターネットで調べると原住民の文化が色濃く残る南部の地域と出てくる。夫が通えそうなスペイン語学校もある。アパートは……これもこのご時世インターネットから予約できそうだった。それ以外のことは分からないけれど、まあなんとかなりそうだ。

「行けるかもしれない」が「行ってしまおう」に変わって、私たちは飛行機のチケットを買った。東京のアパートを引き払って荷物をまとめた。

期間はとりあえず3ヶ月。

好きな人の側で暮らす日々の始まり。



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