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ローマで野菜を育ててみた…からのその後【ローマでちょっとグレタさん生活】

目下、我が家で無駄に闘志が爆発している、ファミリー農園。
「観察する」という課題など存在しないイタリアの小学校を卒業し、中学校→高校→音楽院を経て、何かを植える際に根元に土をかける必要があるということすら知らないのでは?…という疑惑が持たれていたローマ生まれローマ育ちの夫も、虫もミミズも苦手だったのに今では「…だから何?」とあしらえるレベルになり、これまでのふてぶてしさに一段と磨きがかかった東京生まれ東京育ちのわたしも、見当外れも甚だしいほど意気込んだ両親に「野いちごを見に行こうよ!」と踊らされ連行される健気な3歳の娘も、ちょっとでも時間ができたときにはまずこの場所を思い浮かべるほど思い入れのある場所となり、早いもので初めて苗を植えてから2か月が過ぎた。

「東京の気候とあまり変わりません」…とガイドブックには書かれてはいるけれど、実はローマでは早ければ5月でも夏の陽気を感じる日が多くなり、6月になるとティレニア海沿岸ではどこも軒並み海開きを迎え、日本列島が梅雨入りして鎌倉の明月院に大行列ができる頃、ローマの人々は既に夏へ向かって一直線となる。
スーパークロップド丈のノースリーブトップスのお嬢さんが街を闊歩し、ビーチでは高校生がビーチサッカーに勤しみボールが飛んでくるので逆にこちらが逃げ回るようになると、週末のローマでは市内の駐車場争奪戦も落ちつくのだが、よくよく考えればお隣のドイツではまだ最高気温が20℃くらいの時期、ローマではサザンオールスターズ全開の茅ヶ崎を彷彿とさせるお天気が連日続いているのだ。
(昨日の予報なんて、ダブルスコアの39℃だからね!)
広い広いヨーロッパのダイナミックさがわかるなんてさすがだねぇ、すごいねぇ!…ということが言いたいのではなく、北半球でも一般的な認識より1か月も2か月も早く真っ盛りの夏が到来するということは、言い換えれば「この時期は、夏の野菜がすくすくと育つハイシーズンに入っちゃっているんだよー」ということに他ならない。

現在、こんな状況になっております

ということで、からっからの雑草が悲壮感を漂わせていたわたしたち家族の一画も、茎や葉の緑が鮮やかになり、白やパープルの花が咲きはじめた。
ここでちょっと、ご紹介。
トップバッターを飾るのは、ピーマン。

「角(a corno)」という名前がついたピーマン(角っぽくないけどね)

イタリアでよく見かけるピーマンは、日本で一般的に「パプリカ」「カラーピーマン」と呼ばれるもので、サイズもがっつり大きくて実にも厚みがある。
オーブンで丸ごとローストしてから皮をむいて、オリーブオイルでマリネするとそれはそれは美味しいのだけれど、夫の胃腸との相性があまりよろしくないらしいこともあり、わたしたちは夫が食べても支障をきたすことが少ない、ししとうが巨大化したような品種のものを植えることにした。
夫曰く、このタイプはどちらかというと南イタリアでよく栽培されているようで、もはや南に分類してもいいのでは…と思わなくもないローマでもなかなか珍しいため、マーケットでは少し高めの値段がついていることも少なくない。
ざくざくっと切って、にんにくといっしょにたっぷりのオリーブオイルでゆっくり炒めると、とろけるように甘くなる。
娘が大好きでこればっかり食べるので、脱・家計圧迫のためにも早く赤や黄色になってちょうだい。

お次は、きゅうり。

あれ、とげがなくて長く育つきゅうりの苗を買った気がするんだけど

あまり公の場面で議論されることはないと思うが、海外で暮らすとなかなかの確率で直面するのが「きゅうり全然美味しくないんだけど」問題である。
実はこれ、意外と本気で涙なしでは語れない切実な話で、今この瞬間、日本の外(特にアメリカ大陸)で孤軍奮闘している人なら「普通に美味しいきゅうり」を見つけることがどれだけ難しいかということを、きっと理解してくださることだろう。
今からン十年前、初めてアメリカできゅうりを食べたときのこと―わたしは周囲をぎっちぎちに包囲し中身を完全防御するゴリッゴリの皮、そして尋常ではなくソフトでグミを思わせるチューイーな触感に完全KOとなり、そこから「日本のきゅうり以外はきゅうりとは認めない」と腹をくくってノーきゅうりライフを営むことを決めたほど、ショックを受けた。
「日本に帰ったら食べたいものは?」というのは海外在住の人がよく聞かれる鉄板中の鉄板の質問だが、大学生のわたしはそれに対し、しみじみ美味しいラーメンでもぷりっぷりのお刺身でも、甘い香りがたまらないたい焼きでもふわふわの食パンでもなく、とにもかくにも間髪入れずに全力で「きゅうり一択!」と返答していたのである。
あまりにも地味だ、地味すぎる。
しかし、そんなきゅうりロスに陥ったわたしもイタリアのものは美味しいと思っており、日本のきゅうりの直径の軽く3倍はありそうな見た目には今も少し怖気づいてしまうけれど、サラダや(ときどき家族にせがまれて致しかたなく日本のご飯にするときに)浅漬けにしていただいている。


続いて、レタス。

娘、ロメインレタスと真っ向勝負に挑む

日本では「(何も条件を加えず)レタス」というと、ほとんどの人がしゃりしゃりのセロファンに包まれた球状の「あの」レタスを思い浮かべるだろうと思う。
ところがイタリア、少なくともローマで八百屋さんに「レタス(lattuga)くださいな」というと、目の前に出て来るのはほぼ無条件でロメインレタスである。
フィレンツェで1人で生活しているときはレタスについてここまで深く考える必要がなかったので、ローマで暮らしはじめたばかりの頃はどこに行ってもそれが普通である様子に少し驚いた。
しかし、よくよく考えてみるとロメインレタスは「romain lettuce」―つまりはローマのレタスなのであり、そうじゃなければ逆に道理が通らないということに気がついてからというもの、わたしの頭の片隅にあった「ロメインレタス=高嶺の花」説は消滅し、我が家の食卓にごくごく当たりまえのように登場するようになった。
(ちなみに日本のレタスは「insalata iceberg」と呼ばれていて、スーパーマーケットに行かないと買えず、変にパック包装されているうえ異常に高いので、これまでに一度も我が家の敷居をまたいだことがない)。
でも、実はレタスには立派な茎があり土の中に埋まっていることも、内側からどんどん小さな葉が伸びてくることも、自分たちで育ててみるまでは恥ずかしながら全く知らなかったし、考えたこともなかった。
そして、葉がすごくしっかりとしていてみずみずしく食べ応えがあって、芯の白い部分にはほんのり甘さまで感じるのは、自分たちで育てて愛着があることを差し引いたとしても、収穫から20分後にはキッチン直送されているから…ということに尽きるのだろう。
本当にわずかな時間が経つだけでもどんどん弱ってしおれてしまうほど、野菜は繊細で儚いものなのだということを、わたしは四十路を超えてレタスから学ばせてもらったのだった。
「次も絶対に植える!」と夫が張り切っているので、任せておくことに決定。

それから、とうがらし。

実を縦につけるのが、花火みたいでちょっと愛らしい

夫が「好きでしょ、植えなよ」と言ってくれたものの、我が家で唯一のとうがらし消費者であるわたしは最初、あまり乗り気ではなかった。
そもそも前向きに使うのは自分だけなのに、実をつけ過ぎちゃったら困る…という蛇足にもほどがある心配をし(←わたしの特技である)、いざ植えてみたところで結局はその通り、全くの杞憂に終わったのだった。
生のとうがらしはピリッとした刺激以上にそこはかとなくピーマンのほろ苦い香りが感じられて、信じられないくらい美味しいのだ。
イタリアで料理番組を見ていると「とうがらしの香りを…」というフレーズを耳にすることがあり、正直なところわたしはこれまでずっと「辛さは二の次かよ」と疑っていたのだがすみませんでした、確かにしっかりと特別な香りが加わるのでございました。
とはいえ、それもわたしたちが選んだ(というより夫に買ってきてもらった)のが小さな実をつけるイタリアのノーマルとうがらしだったからなのかもしれない。
最初に行った園芸用品のお店で、カラブリアの丸いとうがらしやメキシコからやって来た暴君ハバネロを買わなくて本当によかった。

最後に、トリを飾るのはなんといってもトマト!

念願のトマト丸かじり@畑に向けて、第一歩を踏み出す娘

我が家に野菜を育てるスペースがやって来ることがわかってから、夫が何よりも心を躍らせ最優先に据えていたのが、トマトである。
こればかりは冗談でも何でもなく本当に声を大にして言いたいのだが、イタリア人がトマトにかける情熱は生半可なものではなく、とにかくトマト愛が半端ない。
パスタといえばトマトソース、ピザといえばマルゲリータ、夏を代表する一皿といえばモッツァレッラとトマトのカプレーゼ&パン…一見バラエティ豊かなイタリアごはんではあるが、よーく考えてみれば実はトマト、小麦粉、オリーブオイル、そしてチーズという全く同じ原料を手を変え品を変えどうにかアレンジしたものに他ならず、国旗の色を考慮してもイタリアという国はこの4要素で構成されているといってもあながち間違いではあるまい。
とはいえ「よくもまぁ、これだけいろいろバリエーションを考えたね」と思いつつ、何かをちょっと変えるだけで最終形は全く別のものとなり、それぞれに独特の香りや味わいがしっかりと備わっているのは紛れもない事実である。
わたしは毎日、焼いたパンにトマトを乗せてオリーブオイルをかけて仕上げに塩をぱらっと振った「パーネ・エ・ポモドーロ」を朝ごはんに食べるし、娘のnidoでは週に1回はトマトソースのパスタが何食わぬ顔してリピート登板するけれど、何百回、何千回それを繰り返したところでまるで飽きが来ることはなく、シンプルで奥深いイタリアごはんにはいつも本当に感銘を受けるのだ。
外国人であるわたしでさえこうなのだから、生まれてこのかたそのDNAを受け継いでいる夫、そしてイタリア人にとってトマトはもはや生命線を左右する野菜であり、その存在には絶対的な重要性とまごうことなき意義があるのである。という意味では、それこそASローマ、ひいてはイタリア代表におけるフランチェスコ・トッティと同様の神々しさを宿しているわけで、トマトはイタリア野菜界の圧倒的なレジェンドなのだ。
というわけで、トマトの苗を選ぶときの夫は本当に面倒なほど真剣で、植える品種と本数を決めるだけでもケタ違いの時間とエネルギーを費やした。
しかしそれ以降、意識が絶好調に舞い上がって完全にスカイハイの状態だった夫は、例のごとくどこに何をどう植えたのかを全く覚えておらず、投資した時間とエネルギーに対する効果が見込めているのかは甚だ疑問である。
とりあえず、娘がある日「datterino nero」という細長く黒を帯びたストライプが特徴のミニトマトをつんでそれはそれは美味しそうに食べていたし、丸いtondo grappoloはまだ淡い赤に色づいただけだったけれど大事に持って帰ってきてサラダにしたところびっくりするほど甘かったので、それでよかったということにしておく。
問題はトマトが最高に元気な8月、わたしたちがローマにいないという…11月に今年の夏の予定を立てちゃってたからどうしようもないといえばそれまでなのだけれど、それにしても非の打ちどころがない凡ミスについてはどうしたものか。

そんなわけで、本当はかぼちゃやズッキーニ、なすにたまねぎだってあるんだけれど、トマトに全部を持っていかれる件。

ある日のサラダの材料は、自分たちで育てたロメインレタスとトマト
夫の母&双子の叔母がカラブリアから持ってきてくれたトロペアのたまねぎ
きゅうりとオレガノはいつもお世話になっているお店で買ったものだけれど
こんなシンプルなものがしみじみ美味しいって実は贅沢なことだと思う


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