見出し画像

なぜかローマで野菜を育てることになった話・その2【ローマでちょっとグレタさん生活】

前回からの引き続き。

夫の長年の夢が願ってもない形で実現することが判明したその日から、我が家の空気は一変した。
非常にわかりやすい性格で、全てが見事に表情となって現れる夫の存在感は絶大で、セカンドハウス購入の話が流れたときはお通夜のようだった我が家は、現在進行形でリオのカーニバルが絶賛通過中のようなノリに様変わりした。

何をするにも暴走する傾向のある夫は、5秒後にでも農作業用ルックを7セットくらい買ってきそうなほどうずうずしており、何かしらのアクションを起こさずにはいられなさそうだった。
しかし、既にこの空回りからの流れが夫の判断能力をとんでもない方向へ狂わせることを何回も見てきたので、わたしはとにかく夫を押さえつけ(…てはいないけれど)妥協案「とりあえず次の日に家族でサイクリングをしよう、とりあえずその市民農園がどんな場所なのか見に行ってみよう!」で決着した。
ここで気をつけなければならないのは、イタリア人、特に夫の「とりあえず」は99%「とりあえずで済むわけがない」ということである。
過去に「はいはい」と鵜呑みにしたことで泣きを見た回数から内容から、涙なしには語れないレベルなのだ。
そんなわけで今回もどうなるかわからないことは想定したうえで、最低限のここをの準備をした翌日、目的地までのサイクリングで既になかなかの状態だったわたしたちの前に現れたのは、想像以上になかなかの場所だった。

どどん

さすが、今回も夫の外しっぷりは本当に素晴らしい。
どこから手を付ければいいのか見当もつかないような土地が、どーんと広がっている。
考えてみれば、川の近くの自然保護地にある市民農園はそもそも肥沃な土地で、そこにイタリアの太陽が最大限の力で照り付けながら軽く1年も放置されれば、雑草で大盛況になるのは当たりまえである。
…ということは理解しつつも、夫もわたしも与えられた区画をただ呆然と見つめながら「さあ、どうしたものか」と眺めていたところで、説明しに来てくれた団体の人たちから非情にも次から次へと容赦ない現実を突きつけられることとなる。

・そもそも、夏に旬を迎える野菜はすぐにでも苗を植えないと間に合わない
・だから、まず雑草を刈り取って更地にしないといけない
・更地になったら、土を掘り返して上下を入れ替えて数日~1週間くらいそっとしておいてあげないといけない
・同時に信頼できる園芸用品のお店を探して、既に実をつける準備が整っているくらいまで育った苗(イタリア語では「innestate」というらしい)を仕入れないといけない

とにもかくにも時間はないらしい、今すぐにでも動かないとダメらしい、ということが判明したところで、わたしたちは全く想定外だった「実際の農作業」をその日、問答無用で開始しなければならなくなったのだった。
ここへたどり着く前に、わたしたちは首都なのにドン引きしたくなるような道路事情のローマで1時間ほど過酷なサイクリングをしてきたばかりなのである。
しかも、その前日には雨が降っていたため畑作業をするには願ってもないワーストコンディションときた。
またしても夫の「とりあえず」に軽く乗っかったことを恨めしく思い、夫を半分キッと睨めつけたものの、そうしたところで事態が変わるわけでもなく、ここまで来たらやるしかないのである。
ということで、夫とわたしはこれまでの人生で初めて鎌と鍬を担ぎ、荒れに荒れた夫の「夢のファミリー農園(そのときはジャングル仕様)」と真剣勝負を挑むこととなった。
鍬を下ろして土を少し起こしただけで、それはそれはワイルドな雑草がどわっと出てきて、根はポキポキと勢いよく音を立てて折れるほどだ。
イタリアという国では、国民のみならず、雑草も図々しくたくましくに育つのであるらしい。
イタリア人とイタリア語で真っ向からずうずうしくタイマン勝負を張るようになり、もはやタイ人やフィリピン人に間違えられるほうが多いわたしは、自分に残っているほんのわずかな日本人の部分を思い返しながら「慎ましく生きていたらこの国では飲み込まれていくに決まっているもんね、しょうがなかったんだよね」と自分に言い聞かせてみたのだった。
そしてある程度まで作業が進んだところで「次の日にきちんと向き合ったほうがよさそうだ」ということで、その日は切り上げることにした。
当たりまえだが、自転車で来た手前、帰りも問答無用でサイクリング―ローマの劣悪ロードデスマッチである。
我が家は坂の上にあるため、最後の最後は本当に地獄だった。

翌日は、まずおすすめされた園芸用品のお店に寄ってお店を開店させ(←夫が素晴らしいデシベルの音量で「すみませーん」と言ったら、お店の人が入口のドアをわざわざ開けに来てくれた…ごめんよ)、苗を購入してから畑で作業をスタートさせた。

1日中、雑草を抜いてはリヤカーに乗せて所定のスペースに運び、土を掘り返して固まっている部分をほぐし、更地にしていく。
よく見ると土にはガラスや陶器の破片、プラスチックなどが混ざっているので、わたしは見えるものについては1つ1つ取り除いていくようにした。
通りがかるいろいろな人に「日が暮れちゃうよ」と言われたけれど(←イタリアあるある)、娘も安全に過ごせるような場所じゃないと困るし、野菜だって不憫だろうと思ったので、これは譲らなかった。
そのうち、同じような作業を延々とこなしながらも少しずつ結果として形になっているのがうれしく感じられるようになり、夫もわたしも手に力がこもってスピードも速くなった。
娘にとっては退屈な時間になるのでは…と思っていたものの、土の中に住んでいたかたつむりやミミズ、空を舞うちょうちょを見ると大喜びで、広い広い場所を走り回って楽しそうにしていた。
カブトムシの幼虫を見つけたときはすぐに夫を呼び、お互いに初めて見たために思わず「わ、図鑑で見たのとそっくり!」とわたしたちが娘そっちのけではしゃいでしまったくらい。
(…といっても、ローマには家の周りを歩けばヤモリやカモメが普通にいるし、少しでも郊外にいけばイノシシにも会えるので、本当はそれほど驚くべきことではないのかもしれない)


3歳の娘はどんなことにも挑戦したいお年頃

気が付けば、少し涼しい夕方の風が感じられる時間になっていた。
囲いの外に出て、自分たちの力でそれなりに農地らしい姿になっているのがわかったとき、わたしの中で充実感というか、達成感というか、満足感というか、もうどうにも説明できない感情が身体中にじんわりと込みあげてきて、少し涙が出そうになった。
とにかく目の前のことに没頭して、そのときにできることを見つけて、それをやってやってやり切った1日。
夫と娘と、自然のちょっとしたことを見つけて、それに驚いて、学んで、また発見して…をただひたすら繰り返した1日。
一度もスマートフォンを手に取ることなどなくて、メールやメッセージの存在なんてすっかり忘れて過ごした1日。
わたしにとってはこれまでの価値観が一気に変わるような、本当に大切な1日だった。

四十路を過ぎても、思わぬところから大きな発見があるもので。
前の日には夫に気合の入ったダメ出しをしようと思っていたわたしこそ、考えを改めないといけないのかもしれない(と反省したけれど、夫には秘密にしておこう)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?