【折り紙と息子とわたし5】紫陽花(アジサイ) 裏側だって面白い
紫陽花(アジサイ)は、正確には「あじさい折り」という名称で折り図が掲載されている。
1枚の紙から幾何学模様を折り出す方法を「平織り」というそうで、なるほど、作品を見ていると織物のような精緻さ。数学と科学と職人技の融合という感じで、凡人にはとうてい到達できない創作の極致だと思う。
が、凡人の私たち親子にも、その美しさは理解できる。理解していないかもしれないけど、「美しいなあ」と感じるのだ。
平織りの中でも、手が届きやすいのが、このあじさい折りだと思う。
このあじさい折り、様々な作品が存在するそうだが(バリエーションは無限とも!)、私が知っているあじさい折りは、花弁が12枚のものと花弁が4枚のものの2種類。花弁が4枚のものは私にも折れたのだけど、12枚のものはまだ完成できていない。
息子はもう折り方をマスターしていて、幼稚園の集まりで唐突に完成させたりして、私もびっくりしたけど、周囲の人も驚いていた。
折り紙で食べて行けるような世の中ならいいのにね〜 笑。
息子が小学生になって間もない頃の話。
上の子どもを迎えに行くために2人で出かけた。
そのときの息子の持ち物は、このあじさい折り。とぼとぼ歩きながら、裏面のまだ折れるところを見つけては折る。そうすると、表面の緑色が現れて新しい模様になった。
「あ、裏側なのに、きれいな模様になったね」
「うん、どっちが表なんだかわからないね」
なんて話していたら、今度はあじさい折りを空に向けて掲げた。
光に当てて、あじさい折りを透かして見ると、表と裏の模様を同時に楽しめる。
「あ、ママー。きれい。両方の模様が見えて、きれい」
* * * * *
親バカと呼んでほしい。Call me 親バカ。
だけど、ああ、なんて素晴らしい感性を持ち合わせた子なんだろうと思った。
幼稚園の時は登園拒否が激しくて、ほとほと手を焼いたけど、「幼稚園に行きたくないという気持ち」と、「光に透かした折り紙をきれいと思う気持ち」は、きっとリンクしているのだ。
子どもって、人間って、表面だけじゃない。
いま、子どもが表向きは「困った」子でも、ひっくり返ったら「すごい才能」かもしれないし「すごく感性が豊か」かもしれないし、「なんでも極める子」かもしれないし、成長のどのタイミングでポジティブな要素になるか分からない。
表も裏も完成して、ひとつの作品=ひとりの人格となるんだなあ。
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さてこのあじさい折り、上手に仕上げるポイントは、「序盤でつける折り筋を、正確にきっちりつける」こと。
あわわ、子育てと一緒じゃん。
今日の作品:あじさい折り(創作者:藤本修三さん/「新世代 秀麗な折り紙(山口 真)」より)