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【子育て】「お手伝いしたい」のタイミング、「お手伝いして欲しい」のタイミング

子どもにいかにお手伝いさせるかを、以前に書いたことがある。子どもが自ら進んで「洗濯物をたたむよ!」とか「食器を拭くよ!」とか言ってくれることを期待していたけれど、いくら待ってもその日は来なかった、我が子は聖人君子ではなかった、という内容だった。そして報酬で釣るという、私にとっては苦肉の策=「ポイント制度」で子どもに(無理やり)お手伝いをさせたのだった。

で、読み返してみて、「あ、こんなことしていたんだっけ」と自分が忘れていた。お手伝いポイント制度は、夏休み限定だったようだ。

それから一年後、娘は中1に、下の息子は小2になった。中1の娘は自分から「お手伝いします」と挙手することはないが、お願いすれば「いいよー」とわりと気持ちよく応じてくれる。その雰囲気を息子も受け継いでくれて、「いいよー」と私の依頼をすんなりと受け入れてくれることが増えた。

その日は突然やってきた。息子ともまるが、自分から「お手伝いしたい」と言い出したのだ。こ、これは、まさに私が望んでいた「自らお手伝いする子」。やった、来たよ、「お手伝いする!」が来たよー!と自分で自分を胴上げした(心の中で)。
が。
息子は決まって私が食事の用意=キッチンで格闘している時に声をかけてくる。「ママ、ともまるにできることはない?」と。
「え、え、今?」
本音は、「お母さん、いまご飯の用意しなくちゃいけないから、あとでね!」とか、「いま、ともまるにできることはないから、また今度ね!」なのだが、それを言ったら「ジ・エンド」な気がする。二度と「お手伝いしたい」は来ない気がするし、心の中で胴上げもできないだろう。

そうなのだ、子どもの「お手伝いしたい」タイミングは、必ずしも親の「お手伝いしてほしい」タイミングとは重ならないのだ。
私の母親が言っていた。「子どもが何かをしたいと言ったら、そのタイミングを逃さないこと」と。特に家事に関しては、自立のきっかけになるし、困った時は頼りになるし、将来的にいいこと尽くし。なるべくさせてあげなさい、と。

ちょうどその時は、野菜を切りかけたばかり。包丁かあ、ちょっと危ないなあ、と思ったが、一度やらせてみることにした。
左手は野菜に添えて、形は猫の手。
包丁は真ん中ぐらいを持って、体全体で押すような気持ちで。
すると、意外なことに危なっかしさはなく、仕上げもまあまあ。これはわりと早くにお手伝いのレベルに達するかもと期待して、3種類ほど任せてみた。私が切った方が早いのは十も承知だが、息子が緊張と喜びと両方の表情を見せながら一生懸命に取り組んでいる姿を見て、「おお、やらせてよかったかも」と思い直した。

こちらが調子に乗って「これも、あれも」と言ったせいか、息子は「手が疲れたから休憩する」と言ってリビングに行ってしまった。「もうおしまい?」と聞くと、「うん」と即答。意外と呆気なくお手伝い熱は冷めたようだった。
短い時間だったけど、本人はとても満足そうだったし、私自身も展望が見えた気がした。ご飯を作ってくれるその日のために、子どもの「お手伝いしたい」思いを100パーセント掬い取っていく努力をしたいと思う。
ご飯を作ってくれるその日は、何記念日になるのかなあ。




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