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自分の感受性くらい自分で守れ

ばかものよ

ーーと、その詩は続く。

日曜日の日本経済新聞に紹介されていた、詩人・茨木のり子さんの作品だ。

茨木のり子さんは戦中に多感な時期を過ごし、軍国主義教育・良妻賢母教育を受けた。美しいものを美しいと口に出せない時代、その頃を生きた人々は皆そうであっただろうが、茨木のり子さんはその中で「感受性」をどこかで見失ったという。
その経験を踏まえての、

自分の感受性くらい
自分で守れ 
ばかものよ

の詩なのだろうと想像する。

しかしこの詩、言葉を変えたら現在を生きるあらゆる人に響くものだと思う。

自分のしたいことくらい
自分で守れ
ばかものよ

とか

自分の大切なものくらい
自分で守れ
ばかものよ

とか

自分の人生くらい
自分でなんとかしろ
ばかものよ

とか。

今は多様性の時代と叫ばれるのだから、戦時中のように凝り固まった価値観を押し付けられることはないのに。

自ら窮屈で偏屈な世界に迷い込んで、可能性や価値観を狭めてしまう人が多いのではないか。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
(茨木のり子集 言の葉2・筑摩書房)

上手な水やりの方法を模索していく、それが人生なのかもしれない。

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