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「学校選びに迷ったら、国語の問題を見て」というアドバイスに痺れた

我が家の子どもたちは近所の公立中へ行くので、世の中の中学受験フィーバーはまったくの他人事だが、それにまつわる新聞やネットの記事はわりと目を通す。

偏差値や入試の動向などについての記事は完全スルー。だが、子どもとの接し方や親としての役割など、日頃の子育てに生きてきそうな内容は吟味しながら読んでいる。

日経新聞の火曜日の夕刊は、子育てにまつわる連載が多くて面白い。中でも、「中学受験」に関するコラムで安浪京子さんが執筆されている回があると必ず読む。
先週は「学校選び」について書かれていた。中学受験カウンセラーの安浪さんが遭遇したであろう様々な例や、近年の傾向が綴られた後の言葉が印象的だった。
「学校選びは、子どもが6年間通う場所を選ぶこと」と、当たり前だけど親は忘れがちなことを改めて確認し、「学校に楽しく通えるかどうかに、知名度も偏差値も関係ない」と言い切っていた。

各家庭の教育の軸、子育ての軸が学校選びに一番大切なことだと訴え、「それでもまだ迷うのなら、国語の入試問題を見比べることをお勧めする」とあった。

え! 国語の問題? なんか分かるような。分からないような。
文章はこう続く。テストに引用する文章や問題から、学校が大切にしていること、どのように生徒を育てているかが読み取れるという。
目から鱗な発想。入試問題を長年研究していると、そういう発見があるのだなーとただただ感心して同じ文面を何度も読み返した。

確かに、友達や交際相手の人物像を探るとき、好きな本や好きな作家、好きな曲や好きなアーティスト、好きな映画やその感想が参考になる。表向きの情報で「こんな人かな」と想像するより、「好きな○○」を知る方がグッとその人の真実に迫れる気がする。

どんな名文も、入試問題となると文章を味わうためのものではなくなる、極端な表現だが「記号」にすらなり得ると、つくづく感じていた。問題を解くために要領よく読み飛ばし、キーワードになりそうな部分を感知する。
だから私は国語のテストが嫌いだ。作家だって、本望ではなかろう。

安浪さんの「国語のテストに引用する文章や問題から、学校が大切にしていることがわかる」という考え方は、国語のテストに人肌のような温かさをもたらす気がした。少なくとも、無機的な「記号」ではない。読み手も、その文章が伝えたいことを、素直に受け取れる体制が整うのではないだろうか。

ということは、娘の学校のテストを見たら、国語の先生の人柄が分かるかも? これはちょっと面白そうだ。

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