自分で自分のことを神様と言える国
これ実は推しの話の続きです。笑
最近私が出会った推し
WANDSのボーカルの方ですが
彼はお友達という括りで
別のバンドにも参加しています。
そこでは
神様という設定になっています。
自分のことを神様と言っていいって
すごいことです。
というのも
私はオーストラリアに住んでますが
周りはやはり
クリスチャン、
プロテスタントの方々が多いのですよ。
そういう方達は
日曜日には教会に行って
お話を聞く人も多く
結構熱心な方が多いと感じます。
そういう方達に
自分が神様なんて
言えるわけがありません。
彼らにとって神様は
絶対で完璧な一人なのです。
私はキリスト教については信者でないので
詳しくはありませんが
よくエホバの方達が家にきて言ってたのが
イエス様は全て知っている
聖書に全て書かれている
絶対の信頼がそこにあるんだなと
思いながら聞いてました。
それが悪いとも思わないし
間違っているとも思わない。
ただ日本の神道の考えでは
神様という存在は私たち一人一人がそうだし
全てのものに
(生きてるもの全て、個体そのものでも)
神様は存在するという考えは
自然信仰からくることなので
そういう部分で違うところが
あるのかなと思います。
海外で言えば、
シャーマニズムに近いと
思います。
まあ、自分の中に神様がいるのか、
外に神様がいるのか
これは体を使った反応を見ると
面白いことが起こるのですけどね。
(これは武学の方で確認できます。)
SHOGUNというドラマの中でも
宗教についての描写があり
アメリカで制作されたのでありながら
結構切り込んだなと感じたのは
私だけではないと思うのですが。
話が飛んでいきますが
こうして日本では
神社に行くこと自体が
自分が神様だったことを
思い出すというコンセプトで
そこに神社が存在するということ
神社はそういう場所として
どんな小さい田舎の村でも
地元にあるということです
彼は自分が神様で
愚かな人々たちを導く立場だと
自分で言ってるので
一見怪しい宗教に思われがちだけど 笑
そこに共感する歌や
こんなのあり?という歌を歌って
実に楽しく見せてくれるんですよね。
まあこれは
彼の絶対的な歌のうまさがあるからこそ
成り立つことであるのですが。
エンターテイメントとして
共感させるところに持っていってるのが
意図したことなのか
そうなっていったのかはわかりませんけど。
そもそも
仏教もエンターテイメントとして
かっこいいお坊さんたちを前にして
お経を唱えてたという話もありますから。笑
それが私の中の
神様の捉え方とにかよるものもあり
そういう意味でも
設定からして興味があるという
もちろん彼の歌にやられたのもあるんだけど 笑
これも
見た目でなく
自分のやってることの
評価が欲しいという思い
今はなんでも見た目で
評価されがちですからね
そういうところで実は苦労されて
今やっと陽の目を浴びてきたというか
自分のやりたいことを貫いたようで
あるところのコメントで
やりたくないことはやらない
そう言われてたのが印象的でした
推しとなる人は
人柄というか
バックグラウンドにも惹かれるからこそ
応援したいと思うからこそ
推してると思うのです
まあ彼の場合
年齢からして息子の歳ですが
だからこそ応援したいと思うんですよね。
私個人のブログでは
私の子育ての色々愚痴ってますが 笑
まあ子育てで言えば
色々やらかしてしまったので
こうして彼が悩みながらも
やりたいことをやってこれてるので
親の立場からすると
よくやったと言いたい感覚
自分の子供を
重ねてるところがあるんですよね
今更ながら彼がやってる
神様という設定はアリだったなと
神様という設定で
ここまでやってるのは面白い
自分たちのことを
カッコイイバンドだって言えるのも
自分のことを信じて
やり続けることが大事というメッセージだし
PVも自分たちでやってる
(多分最初の頃は予算もなかった?)
編集まで自分でやってしまうし
舞台の道具も作ってしまう
そして何より
バンドが仲がいいというのも
推しの一つ
(まあ、途中色々あったようではありますが)
歌もいろんなバリエーションがあって
飽きさせないし
どれもがやりたいことなんだろうなとか
ちょっとしたことでも
ここまで歌として作り上げてくるタレント性
歌詞も曲も編集も全てやってみせる
マルチなタレント性がすごいなと思うのです
もちろん順風満帆にやってこれたわけではないけれど
彼の中で色々悩んだことが
多分あの頃の歌にも出ているだろうし
神様として自分をみせることで
色々見えてきたこともあるんじゃないかと
自分が神様なんだと
一人一人が神様なんだと
それも完璧でなくていい
完璧でないからこそ神様で
そして日本の神様は
八百万の神様と言って
役割が違うたくさんの神様がいると言われてます
一人一人が違う役目がある
そういう意味もあるのではないかと思います
神様って
自然と私たちの中にいるんだけど
改めて
目の前にこういう形で
見せてくれてるのが
私にはすごくいいなと思って
応援したいなと思ってます
そして
違う形で
WANDSというところでも頑張ってます
これもすごいチャレンジだったと思うのだけど
ここでも
また
クリエイターとして
違うところを発揮してます
曲は柴崎さんが書いてるところも
自分だけで作らない
そういう新しいことや
長年やってきてるバンドに入ることだけでも
大変だと思うので
常にチャレンジしてるところも
応援したいですね
私自身も元気をもらえる
これ
推しを持つことの1番の理由だし
私にとっては
人に伝えること
これってチャレンジです
私はNOTEを書き始めて
ちょっとこれを意識するようになったんです
年齢から上の立場に立つ時もありましたが
伝えるということを
うまくできてなかったな〜と。
元々下手なのがわかってるので
苦手だから
そういう立場になるのは
避けてきたところもあったけれど
私の日々の思いを読んでもらって
なるほどと思ってくれる人がいるなら
書いてみようと
これが私のNOTEの始まりでもあったんです
思考を整理するのが苦手なので
これは私のチャレンジでもあるんです
やったことないことをやるのは
チャレンジですよね
でも
やりたくないことはやらない
これもチャレンジ
いや
実は歳をとると
こっちの方がもっと大きいチャレンジかも
この歳になると
そう思います
やりたくないことはやらない
還暦で思ったことです