信長と信忠、二つの運命が交差した場所 妙覚寺
室町時代には足利将軍家の帰依を受け、寺勢を拡大しました。しかし、1536年の天文法華の乱で伽藍を焼失し、その後堺に避難しました。
安土桃山時代には、織田信長が上洛した際の宿所として使用されました。信長は京都滞在中、常に妙覚寺を定宿としていましたが、本能寺の変の際は、嫡男の信忠が妙覚寺に宿泊していたため、信長は本能寺に宿泊しました。これは稀なことだったようです。
江戸時代には、徳川家康から寺領を安堵され、再び寺勢を盛り返しました。また、庭園「法姿園」が作庭されました。