WHO I AM (自己紹介)
生い立ち〜中高時代
福岡県生まれで、応援団長をしたり、風紀委員長をしたり、野球も頑張ったりして、軟式野球ですが、福岡県大会と九州大会で優勝したり、準優勝したりしました。
ただ全て上手くいったわけではなく、小学校から中学3年生までは小中高一貫校でもずっとずっと学年最下位の成績でずっとビリで誰からも自分の人生なんてそんなに期待されてないんじゃないかと思っていたりもしました。(※ただ小学校6年生の時には身長が168cm,体重が78kgありました)
高校1年生の時に、将来はアメリカ陸軍特殊部隊に入りたいと思い、思いたったが吉日、次の日から野球部が終わった後に柔道クラブに通い、また英会話教室に通うという日々が始まりました。
(引用:https://orga-inc.jp/outline/about-green-beret/ )
この時に、本気でアメリカ陸軍特殊部隊に入るなら睡眠時間を3時間以上取ったら恥ずかしい、情けないというルールを自分で決めて、高校1年生〜2年生の2年間は3時間以上寝た日は数えるくらいしかなかったと思います。
ここから毎日、柔道と野球と塾と英会話とを繰り返す生活が続いたのですが、途中から「日本人ってアメリカ陸軍特殊部隊に入れるのか?」とふと思ったのをきっかけにもっと他にもやりたいことを見つけないといけないんじゃないかと思うようになりました。
大学に入るまで
高校一年生のある時に、心臓の病気で海外の病院で手術をしないともう命はないと言われている女の子をツイッターで見つけました。それから、西日本で初めて募金活動を開催したりして、色々とやって、たくさんの人に協力してもらい、どんどん日本中に伝播していき、なんとか2ヶ月で3億円を集めることができました。
そこでのプロセスにおいて、当時16歳の自分には、募金活動を発信する発信力(マーケティング力)、企画などをする上でのリサーチ力と粘り強さと忍耐力、病院などに募金活動の営業をする上での営業力の3つが全くたりていなかったということを学びました。
募金活動を発信する発信力(マーケティング力)
企画などをする上でのリサーチ力と粘り強さと忍耐力
病院などに募金活動の営業をする上での営業力
ひとりですごく悩むというよりも悩む以前に16歳の自分にとってはどうしようもなかった。本当に、何の変哲もない16歳が3億円を集めに行くというチャレンジは非常に厳しいものでした。自分の無力さに絶望した瞬間でした。
それに、3億円集まるという行為さえも自分ひとりでは何もできないのに対して、ソフトバンクの孫正義社長は東日本大震災に一秒で100億円を寄付したという現実。行動力とはたとえ小さい頃から備えていたとしても、孫正義社長のように若い頃から過酷な努力を何十年も積み重ね、資本や組織という巨大な影響力を身に備えてこそ、ようやく発揮されるものであるという現実を知りました。
「いくら努力している。頑張っている。」と言っていても、大切なことは結果であり、さらにそれが周りの人を幸せにできたかどうかの結果論で何事も価値が決定することを身をもって感じました。
入学式の前から始めて合わせて3社でインターン
それから2年を経て、16歳の時に感じた3つの力を速く身に付けたいと思い、まずはベースメントアップスという会社でwebマーケティングのインターンを経験し、そこでSEOだったり、インターン採用などの人事を担当させたりして頂きました。
次に電動キックボードのシェアリングサービスを運営するLUUPという会社でインターンをさせて頂きました。ただ、ここで、自分の弱さにぶち当たり、ほとんど何もできずに辞めてしまうという情けない決断をすることになりました。
具体的には、スタートアップというものが理解できず、リーンスタートアップにおける仮設検証などの初期の段階でのお金が全く儲からないということがその時の自分は全く理解できなかったという理由です。(いま思うと、本当に情けないです)なんでこの人達はこんなに働いているんだろう?大手志向が強く、普通に就職して、普通にエリートになるみたいな世界しか知らなかったその時の自分にはなかなか理解に苦しみました。。
さらに、そんな中でもゴリゴリゴリゴリと自分よりも何倍も頭の良い人達が血と汗を流しながら、自分の何倍もコミットして仕事をしているという現状に自分はずっと引け目を感じていました。人間は引け目を感じると、頑張ろうと思うのが普通だと思いますが、その時の自分は忍耐も辛抱もないしょうもない人間でした。分からないことからは逃げ、時間がかかることからは逃げという今思えば本当にどうしようもない人間でした。
この悔しさは今後もずっと引きずることになります。
そこから次にstockclipという会社でインターンをすることになりました。ここでは主にリサーチがしたいという理由で、業界のデータベースやスタートアップの調査をする仕事をしていました。
それからスタートアップに携わってようやく一年、だんだんスタートアップがどういうものか、スタートアップとはどんな世界を創り上げていくものなのかが次第にイメージできるようになってきたような気がしました。
具体的には、大手志向でずっとすぐに結果が出るもの以外は理解できなかった自分が、大手企業の戦い方よりもとてつもない社会課題に対して、全力でぶつかって、何度も何度も繰り返して仮設の検証を行い、赤字を掘ってでも頑張り続け、遠く先にある見えない正解に向けてコツコツと一歩一歩進むスタートアップ的な志向が自分の主軸になったということです。
周到な準備を繰り返して、一気にリスクをかけてでも、人々の幸せを最大限に高めるため、幸せを提供するために戦い続ける”スタートアップ”に心のどこかで好奇心を持てるようになりました。
この頃から次第に、今までずっと小さなミクロな視点でしか物事が見れていませんでしたが、ひとの幸せとか社会的な課題とかそういったマクロな視点で物事を見れるようになってきたと思います。
何故か真冬に東京から福岡まで歩き二回意識を失う
少しアクティブな挑戦も好きな性格で、夏はタイでデング熱にかかり、アフリカにも一人で行き強盗に襲われたりと色々とやっていて、じゃあ次は1000キロ歩いてみようと思って、歩いてみました。正確には歩いて日本縦断しようとしました。
ただ結果は名古屋で450キロ地点で途中リタイア。
しかしながら、この時、山の中で二度死にかけることになりました。気温も氷点下で、毎日30時間連続で歩いていたりすると、真夜中の山道で自然に気を失いました。10日間で1000キロ歩く計画だったので、寝る時間など全くありませんでした。雨も降り、氷点下で、5日間ほとんど寝ずに歩き続けると、ついに、体中ががくがくふるえ、死ぬんじゃないかとしか思えない状況でした。泣きながら歩いたり、壁にしがみつきながら歩いたあの日々はいつになっても忘れないことでしょう。
そして、夜道、高速道路の隣の道で気を失い、道の真ん中に倒れて気付けば記憶が無かった。そんなどうしようもない状況で震えながら、自分の無力さと命のはかなさを実感しました。
命ははかない。ひとは意外とすぐに死んでしまう
これまで命についてなんて考えたこともありませんでした。ただ、いざ自分の死を目の前にした時、人間の命は有限であることを実感しました。
死を目の前にした時、これまでの自分に対する嫌悪感が心の底から湧き出てきました。軽装備での冬の極寒の山の中で、これまでの過去の自分に対して、「ひとの目ばかりを気にして、自己承認欲求の塊のような人間」で、全て褒められるためにやるような、精神の腐った人間だったと昔の自分を恨んだことは今でも忘れません。
さらに、情熱を持ち続けられない昔の自分にも嫌悪感が出てきました。インターンも自分で決めたのにすぐにやめたり、やると決めた物事をすぐに投げ出したり、死ぬ直前になると、そういったことができない自分に後悔の思いでいっぱいになりました。
死を目の前にした時、人間(僕)は「自分ではなく周りに幸せを与えられたかどうか」と「自分の人生における物事へ取り組む姿勢」について考えるようになりました。
自己実現の延長線上に社会実現を置くように
命の有限さを体で実感した時、これまで自己承認欲求の塊だった自分が、マズローの欲求階層説でいう一番上にある自己実現欲求の塊へ進化するようになりました。
なんとかしてでも、後世に遺る幸せに溢れた世界を創りたいと思うようになりました。いざ死ぬとなった時、自分の幸せなんかはどうでもよくなります。ただ自分が周りの人を幸せにしたのかどうかについては必ず気にすることになります。だって、人間はどんな人でも良い奴(性善説)だからです。実際に自分はそうでした。
「人は死ぬ直前には自分自身の幸せよりも周りの幸せを意識する」
それならば、できる限りの幸せを世界中に届けてやろうと、最初は自分の5m周りからだけでも少しずつ少しずつ大きなものにしていこうといういつかは数億人に幸せを提供できるようになってやりたいと。
さらに、
自分たちにしか提供できない価値を創りたいしワクワクするようなことがやりたい。自分たちが信じる方向性の強いプロダクトやサービスを生み出したいという気持ちが心から湧いてきました。
根源的な欲求と、性格
根源的な欲求:「社会的意義があり、大きく、ワクワクできるもの。」
性格:「構想は高く、根回しは繊細に、でも楽しくユニークに」
起業を決意
世界中のみんなが心から自分の生きたいと思える人生を送れるように手助けをする
そして現在は、大学受験コーチングサービスを運営しております。
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初めようと思った理由としては、
1 福岡県にいる時に、塾の大学生アルバイト講師の能力を学年が上がる度に超えて中高で塾を7回変えたこと=誰も頼れなくなり、どうやって勉強をしたらよいのか分からず、時間とやる気が山ほどあったのにも関わらず大きく苦しんだから。
2 頑張らない人は救われないが、少なくとも頑張る人の結果は報われるように「頑張る人を応援する」というミッションのもとにコーチングという形で寄り添いながら合格という目標を達成するまでのサポートをしたかったから。
オンラインで行う理由は、このサービスは日本全国の苦しむ受験生を救うためにできたものだからです。決して小さな学習塾ではありません。今後、何万人、何千万人に「学びを提供する」という形での幸せを全力で届けて参ります。
これまでオンラインで色々な生徒と会っていく中で、両親がお亡くなりになった生徒やひとり親の生徒で普段からあまり親に会えない生徒に出会いました。コロナウイルスの影響で、普段泣かない子でも友達に会えない不安と将来への焦りから泣いてしまう生徒にも数多く出会うようになりました。
「勉強」を切り口に、そんな子達と接点を持つようになりました。
ただ、そんな子達は、誰が見ても苦しいような環境の中で、「絶対にあの大学に受かってやる」「なんとしてでも合格してやる」という夢と希望に満ち溢れていました。
どれだけ苦しくても、辛くても、自分が叶えたい目標のために必死に頑張る生徒をなんとしてでも、彼らの夢を叶えてやりたいと思うようになりました。
「頑張る人をみんなで応援する」
スタディチェーンが始まって以来大切にしている考え方です。どれだけ辛くても、どれだけ苦しくても頑張る子達のために、彼らの夢を叶えるサポートをする。私たちにしかできない365日の学習サポートとコミュニティの力でそれを実現する。オンラインでも隣にいるような指導ができるよう私たちスタディチェーン一同これからも生徒のためにたくさんの改善に努めて参ります。
3 自分たちにしか提供できない価値を自分たちが頑張れば頑張った分、色々な人に提供できる、つまり外部の状況にあまり左右されずマンパワーでしっかりと成長する事業だと考えたから。
4 これからedtechなどオンラインの教育が主流になってくる中で、自習室で学ぶという体験よりも自宅でしっかりと学習管理(モチベーション、合格に必要な勉強計画の管理など)をする必要が生まれ、必ず自分ひとりだけでは苦しむ受験生が出てきます。そんな彼らをひとりぼっちにさせず、コーチングで寄り添いながらサポートして上げたかったから。
「なにをやるか?」という問いは全ての起業家を必ず悩ませるわけですが、私は、そしてHUSTAR株式会社はやるからにはどでかいマーケットで挑戦がしたいと考えています。今はまだ小さなマーケットですがこれから大きなマーケットで大きく羽ばたき、教育からその他の領域などひとの生活に関わる全てのものからひとの生活を支えていく組織に成長していきたいと思います。