「” 今 ” を生きる」って?
「いまを生きよう!」と言われて
ん?
どういうこと?
でもなんかその方がいいことがあるらしい。
それなら自分の日々の思考を
意識して観察してみよう。
すると、
「あの時ああすればよかったなー、、」
「あっちのやり方の方が良かったんかも?」
「約束の場所までの行き方を調べないと」
「あの仕事がまだできてない、どうしよう」
出るわ出るわ。
始終何かについて考えている。
ハッと気づいたものだけで
こんなにあるんだから、
一日の大半は
感性ではなく、
思考で生きているってこと、、、?
な、
なにーーーーーーーーー!!
表現することしてるのに
一日のほとんどを頭を使う時間にしてるのかーーーー!!
これはどエライことに気付いてしまった。
いま という時間。
自分の五感である
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚
普通に使ってるつもりだったのに
頭の中が勝手に考えることの方が圧倒的に勝って
かき消されていた。
いつも
心ここにあらずなんだ。
しかも今は携帯という、
なんでも調べられて持ち運べるツールがあるから
めちゃくちゃ便利になったけど
失ってるものもめちゃくちゃ大きいなぁ。
感覚。。。
私が生まれ育った田舎での
今の季節を思い出してみる。
秋のスッキリ晴れた青空の下、家族や従兄弟総出で稲刈り。
稲刈り機のけたたましい音が響き渡る中、 私は小さな手でガシガシした稲を鷲掴みし、根元を鎌でザクッと切る。
穂先には、こがね色の小さな小さな小判が鈴なりにぶら下がっているように見えた。
稲を干すための木組に登って深呼吸すると、豊かな土の香りが身体中に満ちる。
おやつに取ってきた柿にかぶりつきながら、軽トラの荷台に積んだ稲の中にうもれ、
ガタガタの山道に大きく揺られながら家に帰る。
全身、秋にまみれていたなぁ、笑
そんな、
感性で
心で
受け止める時間は
子供の時で終わってしまってる気がする。
「いいことがあるらしい」の前に
私は感性をフルに使って生きていたい。
そして、歌でその感覚を
一つひとつの言葉にいっぱい含ませたい。
体温を感じる歌。
そう思ってから
「今を生きる」
をなるべく意識するようにしています。
そうすると
「〜しながら」は基本的にしないようになりました。
化粧水ひとつとっても
「これくらいをこんなふうにつけて、
乳液の時にこの順番でマッサージして、、」
じゃなくて、
化粧水がピタッと入った瞬間って気持ちいいなぁ、
とか
どうやったらこのマッサージが気持ちよくなるか、
自分の感覚に気をつけてみよう
とか。
”やった方がいいこと”
じゃなくて、
”自分を喜ばせるためにやっていること”。
だからきっとそれは
人によって違ってきますよね。
その人にしか答えはわからない。
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