アフガニスタンの希望、里山の未来 〜中村哲氏の哲学にふれて〜
ドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』は、アフガニスタンでの活動で知られる、医師であり人道支援家である中村哲氏の軌跡を追った作品である。
今回、地域の有志が企画した上映会に参加し、会場の体育館に集まった地域の人たちを中心とした100名超の方々と共にその映像を見つめた。
上映会開催
中村哲氏に関しては、著書『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』や別のドキュメンタリーに触れ、その稀有な活動に深く感銘を受けていたこともあって、今回の上映会が中村氏の活動を地元の人たちと共に理解を深める機会として楽しみであった。
ちなみにコテンラジオ番外編での中村氏の回も、中村氏のより人間的な面に触れていておススメ。
映画に関しては、先の著書に書き綴られていた中村氏の言葉とアーカイブ画像を引用する形で構成されており、自分にとっては既知の内容もあったが、自分の暮らしと重なった見える新たな発見もあったので、ここに感想を書いてみたい。
映画で印象に残ったり、特に強く感じたことを3つほど挙げる。
蛇足ながら、上映会には地域活動の一環として会場設営などに協力し、ちょっとした貢献のニーズも満たされたこともあって、より感慨深い時間となったことも付け加えておく。
緑に生まれ変わった砂漠
まず何と言っても、心を奪われたのは、砂漠地帯が中村氏たちが掘り進めた用水路によって緑豊かなオアシスへと変貌していくシーンである。
広大な荒地が数年で緑に覆われていき、そこには田畑や、木陰を作る樹木、人々が憩う空間が姿を見せている。何も知らなければここがアフガニスタンだと言われても、にわかに信じられないかもしれない。
ここに至るまで広大な荒地を前に、1メートルずつ用水路を掘り、1本ずつ苗木を植える気の遠くなるような作業を、中村氏たちは現地の人々と共に遂行していく。高度な技術や莫大な資金に頼らず、地域住民のニーズに寄り添い、彼ら自身による持続可能な利用と維持を実現させた中村氏の方法は、あらゆる形の「支援」を手掛ける人たちにとって示唆に富むものだ。
素顔のアフガン
二つ目は、自分たちの食べ物が自分たちで育てられることの喜びと安心がもたらした、人々の笑顔である。
アフガニスタンの人々というと、日本から見ると、不毛の地に住みきわめて貧しく近代的とかけはなれた、戦乱が続く国というイメージが強い。そしてその原因を、彼らの怠惰さや野蛮さといった偏見で説明しようとする人も少なくない。しかし、映画を通して描かれる彼らの姿は、そのような単純な説明では到底理解できないほど複雑なものだった。
映画に出てくるアフガニスタンの人々は、懸命に働き、思慮深く、日々の安寧を願う敬虔な暮らしをしている、ごく「普通」の人々だ。
彼らが本当に願っていることを表す印象的な言葉があった。
「自分たちは好きでケシなど作っているわけでない。食べるものを作る農業がしたいんだ。」
ケシ栽培という問題についても、単純な善悪で断罪することはできない。歴史的、経済的、社会的な様々な要因が複雑に絡み合った結果であることが示唆されている。
しかし中村氏の水路建設によって、ケシ栽培は減少し、人々は穀物を育てる喜びを味わうようになった。
笑顔で穀物を刈り取る大人たちや、田畑を駆け回る子どもたちの姿は、食べるものを育てる、というシンプルなことが困難な状況においてもどれだけ希望にあふれた幸せなことかを思い出させてくれる。
忍耐と努力のリーダーシップ
3つ目は、中村氏が最初から最後まで、アフガニスタンの人たちと協働かつ対等であることを何よりも大事にしていたことである。中村氏は憲法9条を守ることを主張していたことでも知られるが、その精神をこの地域で体現し、一つの形を具体化したことは、簡単に真似できることではない。
「平和には戦争以上の忍耐と努力が必要なんです」
と著書の中で語っているように、映画を観れば、彼が地域住民を尊重し、敬意を払い、信頼を得るための並々ならぬ努力を尽くしていたことがわかるだろう。
恐怖や打算で動いたことは、あとに残らないことは実感として理解できる。
中村氏が亡くなった後でも地域住民が中心となって新たな用水路の建設や診療所が運営されているのも、これが住民たちの喜びと誇りから生まれた活動だからだろう。
彼の活動は、真のリーダーシップとは何かを問いかけている。それは、単に権力を持つことではなく、相手を尊重し、共に歩むことこそが本質であることを教えてくれている。
田畑の風景が平和を生み出す
最後に、映像の中でたびたび映し出された、田畑の緑や実りの黄金色が本当に美しく、この景色がいつまで続くことを願わずにはいられなかった。
豊かな実りは、ここに人々の助け合いと集いと分かちあいがあることを示す。中村氏が再生したのは、農地だけではない。どんなに困難でもこの地に暮らしたいと願う人々の希望と未来をも再生したのだと言える。
中村氏のこのような活動は観る者に深い感銘を生み出すものの、遠く離れたアフガニスタンという国の出来事、という点では自分と関係のない話に思えてしまうかもしれない。
しかし、中村氏の活動とアフガニスタンの人々は日本に暮す我々に、食べ物を得るという根源的な営みについて深い示唆を与えていると感じる。
ここ日本での食の中心は、米にある。都心はさておき、少し田舎に入ればどこでも田園風景が広がっている。この風景になつかしさや安心を覚えるのは、多くの人が経験していることだろう。
しかし、確実に耕作放棄地は増えている。かつて黄金色の稲穂が風に揺れていたであろう田んぼが荒れ果てている跡を見るにつれ、何とも言えない気持ちになるのは、決してノスタルジックな感傷だけではないはず。
おそらく人間の本能的には、食べ物がここにない、という不安を搔き立てられる景色なのだ。
中村氏の活動は平和状態が単に武力衝突がないというだけでなく、食べるものに困らず、心豊かな生活を送ることだと示している。
その意味でいえば、危険を顧みず異国人と用水路を引き自分たちの糧として懸命に小麦を育てるアフガンの姿と、もはやコストやライフスタイルの変化といった名目で田畑を荒廃させる一方食糧を輸入に任せる社会と、どちらが未来に残っているのだろうか。
人間としての希望を映画からもらいながら、会場の一歩外に出て飛び込んでくるそのような里山の風景に、複雑な思いがしたが、中村氏のメッセージを受け取ったのであれば、恵み豊かな里山再生を目指してみるのも一つの道かもしれない。