佐藤暁彦(里山リベラルアーツ主宰)

横須賀生、2012年岐阜県恵那市に移住。里山を舞台に次世代につなぐ学びの場「里山リベラルアーツ」主宰(note:https://x.gd/Sq5e0)。元恵那市ふるさと活性化協力隊。有機農家を志すも現在はEC事業を運営。趣味ドラム演奏。noteのテーマは「田舎暮らしを哲学する」。

佐藤暁彦(里山リベラルアーツ主宰)

横須賀生、2012年岐阜県恵那市に移住。里山を舞台に次世代につなぐ学びの場「里山リベラルアーツ」主宰(note:https://x.gd/Sq5e0)。元恵那市ふるさと活性化協力隊。有機農家を志すも現在はEC事業を運営。趣味ドラム演奏。noteのテーマは「田舎暮らしを哲学する」。

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自己紹介・現在活動中のこと

◆これまでの経歴 1977年生まれ。神奈川県横須賀市出身。現在岐阜県恵那市笠置町在住。妻と子ども2人の4人家族で義母と築150年の古民家で同居。岐阜県移住定住サポーター。 横須賀の新興住宅地に生まれ育つ。中学受験→横浜の私立中高一貫校と進学ルートを歩むも、中学生でドラムに出会い没頭。 何とか現役で大学に進むも(社会学専攻)、音楽で食べることを志し、1留の末卒業。 その後一時音楽学校に通いつつ、バンド活動やサポート活動にいそしむが徐々にフィールドはジャズ方面へ。 イタリ

    • 田舎の田んぼの持続性を阻むのは、多収神話、か

      前回まで今年のコメ作りの失敗と、田舎でのコメ作りを難しくしている経済的なだけでない様々なコストについて書いてきた。 そして、果たして『夫婦共働きの我が家が田んぼを続けていくことは現実的なのか、また中山間地におけるコメ作りがどこに着地していくのか、あるいは着地すればいいのか』と考える中で、持続可能なコメ作りを考えるにあたっては、そもそもなんでこんな状況になっているの、を知る必要があると思うに至った。 そこで『自分たちの営みを相対的に位置づけてみること、つまり、古来からのコメづ

      • 田舎のコメ作りが持続”不”可能になりつつある話 ~カネも時間も体力も限界中~

        今年のコメ作りにおいて、収穫量が弥生時代レベルという、またしても失敗に終わったことを前回の記事で書いた。 最大の原因は自分の技術不足・知識不足・体力の限界にあることは明白だ。そこには有機・無農薬という通常とは異なるアプローチならではの問題も多く含まれてもいる。 だが限界を迎えているのはコメ作り全般ではないかと、年々そんな雰囲気が地域を覆ってきているようにも感じている。今の時代にコメ作りを続けるには何か構造的な難しさがあるのではないか。 ここで話しているのは専業・大規模の農

        • 『米部』の田んぼ、いよいよ収穫、そして『コメパ』開催 ~共に食べる喜び~

          今年の稲刈りが終わった。 結論から言うと、稀に見る少なさだった前回をさらに下回る収穫量であった。いろいろ調べてたら、弥生時代のレベルだった。 原因はいろいろ思い当たる。多くは自分の技術や知識、体力不足によると思うのだが、そもそも慣行農法を前提とした品種で無肥料栽培をすること自体に無理があったのかもしれない。これについては後で述べる。 今年は庭文庫とコラボした「米部」として、田植えから収穫まで時々手伝いに来てくれる仲間と一緒に作業をした。 もちろんみんな忙しいので毎回とい

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        自己紹介・現在活動中のこと

          田舎の音楽活動を支えてくれる人たち 

          12年前に岐阜県恵那市に移住してから知り合い親交を深めてきた方が亡くなったという知らせを受けた。 そうオレと歳も離れておらず元気な様子だったのでとても驚いたが、不慮の事故とのことだった。 彼女は、オレが恵那でジャズライブを企画するようになった当初から、ずっと足を運んできてくれた人たちの中のお一人だった。 移住したばかりのころ、恵那には演奏を聞かせるジャズクラブなどがなかったが(それは今でも変わらないが)、それを逆手にとって、ライブ会場として市内の観光施設や名所的な場所を

          田舎の音楽活動を支えてくれる人たち 

          ラグジュアリーツーリズムが田舎にとどめを刺す前に

          近隣にグランピング施設の建設が相次いでいる。 ラグジュアリーなキャンプ体験とハイエンドなホスピタリティで、インバウンドや国内の高所得層に向けて、地方創生の切り札として期待が寄せられている。 地元の行政や事業家も目を付け、さらにその数が増えていきそうなのだが、こうした開発が地域にどのような影響を与えるか、疑念を抱いている。 上記は2年前の記事だが、このようなラグジュアリーツーリズムにおいて、地方にはまだソフトハードともにその受け入れ態勢が整っておらず、とくにラグジュアリー

          ラグジュアリーツーリズムが田舎にとどめを刺す前に

          アフガニスタンの希望、里山の未来 〜中村哲氏の哲学にふれて〜

          ドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』は、アフガニスタンでの活動で知られる、医師であり人道支援家である中村哲氏の軌跡を追った作品である。 今回、地域の有志が企画した上映会に参加し、会場の体育館に集まった地域の人たちを中心とした100名超の方々と共にその映像を見つめた。 上映会開催中村哲氏に関しては、著書『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』や別のドキュメンタリーに触れ、その稀有な活動に深く感銘を受けていたこともあって、今回の上映会が中村氏の活動を地元の人たちと

          アフガニスタンの希望、里山の未来 〜中村哲氏の哲学にふれて〜

          都市と田舎、現代と歴史、世界とワタシ

          コテンラジオのリスナーメッセージ紹介の回で、農作業中に聴いてる人の話が紹介されていた。 オレもコテンラジオのヘビーリスナーであるが、そもそもは、辛い辛い田んぼの草取り中の気晴らしに何かないかと、ポッドキャストをあさっていたところ偶然見つけたのだった。 コテンラジオは農作業と相性がいい恥ずかしながらオレは典型的な「歴史弱者」であるが、もともと社会学専攻で文化人類学にも興味を持っていたからか、歴史を構造的に俯瞰する切り口が自分にピッタリで、「あれ、もしかして歴史って面白い!?」

          都市と田舎、現代と歴史、世界とワタシ

          田んぼは語り場 〜持続可能性というは楽しむことと見つけたり~

          今年のコメ作りは、仲間を募って「米部」なる活動を始めている。 「米部」始まる米部は同じ恵那市笠置町で、古民家の古本屋として知られる「 庭文庫」のみきちゃんからの提案で、庭文庫に集まる人たちと一緒に米づくりにかかわってもらい、無事収穫できたら最後は「コメパ」をして祝おう、という企画。 うちでのコメ作りは4年前に始めたが、昨年はいったんお休みしている。一応農薬は使わずに育てているので、毎年イネ以外の草に悩まされ、仕事や子供たちを見ながらオレと妻の二人で除草に時間と体力を使うに

          田んぼは語り場 〜持続可能性というは楽しむことと見つけたり~

          木陰のピッチ大会から生まれたシナジーとは ~「やりたいことがある!」をみんなに話そうの会~

          恵那市笠置町という小さな山村に可能性を感じ、何かをやりたい、と思っている人たちと出会いたい。 そんな思いから行政の協力を得て、ワークショップを開いた。 「人」が主役の新しい地域のために主体となったのは、かつて恵那で地域おこし協力隊だった仲間たち。 これまでも、地域の魅力を住民が再発見する、という趣旨の場は何度も開かれてきた。 だが、この地域の魅力は?という問いに対して、いつも同じことしかあがってこない。何なら同じ人たちしか集まってこない。 わかってはいるけど、じゃあ誰が

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          万年一年生のコメ作り/農業は産業として程度が低い、と言われた話

          5月上旬、田植えを終え、いよいよ米作りが始まった。 今年で4回目の米作りだが、昨年は諸事情により断念した。 ”みんなでコメパ”を目標に再チャレンジ一時期、有機農業を志し、栽培から販売まで本格的に農業をやっていたことがあるが、経済的・身体的理由で断念した。 しかしコロナ禍を機に、コメは自給自足しようと、休ませていた畑を再び田んぼに戻した。 1年目はビギナーズラックと言われたぐらいよく採れた。しかしどうもこれは畑として使っていたころの残肥が効いていたようだ。 2年目には草の管

          万年一年生のコメ作り/農業は産業として程度が低い、と言われた話

          これから地域おこし協力隊になる人へ③ ~こんなことに困ったら~

          2回にわたって地域おこし協力隊としての活動を振り返り、数々のしくじりと、それでも何かを町にも自分にも残せたのではないかと、いうことを掘り返してみた。 協力隊へのアドバイスについて協力隊活動の核心=「泥臭いコミュニケーション」 こんなオレでも「協力隊OB」という肩書ゆえに、現役の方から相談をいただく機会もある。 しかしながら現役の協力隊さんに「こうすればうまくいく」なんてアドバイスは極力してこなかった。 そもそも協力隊も地域も千差万別であり、その関係は一つとして同じものは

          これから地域おこし協力隊になる人へ③ ~こんなことに困ったら~

          これから、地域おこし協力隊になる人へ② ~オレの3年は本当に失敗だったのか~

          前回、地域おこし協力隊での3年間でしでかした、多くのしくじりを振り返ってみた。 協力隊の失敗の多くは、地域と人材のミスマッチや、地域・行政の制度への理解不足、お互いに3年間で目指すゴールがあやふやなど、決して協力隊だけがその原因でないことは少なくない。 だが自分の行動を振り返ってみると、経験・技量不足、思慮不足と、社会人としての未熟さが大きく影響していた。 これは採用する側の地域や行政にとって、どのような人材が地域に合っているのか、見過ごせない点になるだろう。 残念な

          これから、地域おこし協力隊になる人へ② ~オレの3年は本当に失敗だったのか~

          これから、地域おこし協力隊になる人たちへ① ~3年間のしくじりを振り返る~

          全国各地の自治体において、地域おこし協力隊員の募集が活況を見せている。 地方移住や協力隊に興味を持ち、応募を考えている、もしくはすでに内定している、現地で活動し始めている人達も少なくないだろう。 自分も12年前岐阜県恵那市岩村町の地域おこし協力隊(正式には地域おこし協力隊に準ずる恵那市独自制度のふるさと活性化協力隊)となって神奈川県横須賀市から移住を果たした身である。 反面教師かもしれないが各個人の志望動機は様々であるものの、多くの方がほとんど初見のような土地での生活、

          これから、地域おこし協力隊になる人たちへ① ~3年間のしくじりを振り返る~

          こども園でドラムバトル⁉ 小さな「つながり」が生まれた一日

          次男の通うこども園で、園児たちを前に一人ドラムを叩く、という機会をいただいた。 ドラムのアッキー、こども園に登場遊戯室にセットされたドラムセットを目にして目を輝かせるのと同時に、横にいるオレを見て「あれ、S君のパパ?」という声があがる。 しかし今日のオレは非日常の存在でなければならない。子どもたちに夢中になってもらいたい。そんなパフォーマー魂が顔をもたげる。 そこで、「今日はドラムのアッキーだよ!」と自己紹介。子どもたち爆笑。 一発ドラムを鳴らすと、耳をふさぐ子どももいる

          こども園でドラムバトル⁉ 小さな「つながり」が生まれた一日

          「シン・お年玉」~餅起源説を歴史・文化的観点から再考してみた~

          前回の記事で、正月飾りや小正月のどんど焼きが年神信仰であることを知り、地方に残る正月行事の原形のような「トシドン」による子どもへの歳餅を贈る風習を知ることで、日本の原風景を想像することができた。このように調べていくと、必然的に気になるトピックに出くわす。 お年玉である。 自分も当たり前のように子どもの時にはいただいてたし、子どもを持って親戚づきあいが増えれば、甥っ子姪っ子などに贈るようになったわけだが、この風習は一体なんなのか、今まで誰も説明してくれなかったなと思い、子ど

          「シン・お年玉」~餅起源説を歴史・文化的観点から再考してみた~