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詩人・石原吉郎を知るために 畑谷史代『シベリア抑留とは何だったのか』

石原吉郎という詩人がいた。彼は敗戦後、スターリンの政策によってシベリアで強制労働をさせられた。これは「シベリア抑留」と呼ばれている。敗戦時、多くの日本人が満州に取り残され、捕虜となった。そして、捕虜となった人々はシベリアの各地域に輸送され、極寒のなかで食べ物もほとんどないまま働かされた。シベリア抑留で亡くなったひとは4万人以上と記録されている。彼は生き残ることができたが、その期間は8年間にも及ぶ。彼が30歳の時に敗戦したので、38歳まで過酷な環境を生きたことになる。
畑谷史代『シベリア抑留とは何だったのか』では、石原吉郎の一生を辿りながら、石原吉郎とはどんな人物だったのか、シベリア抑留とは何だったのか、考える。本書の魅力は、シベリア抑留体験者の家族への取材、石原吉郎にかかわった人々の取材といった貴重な証言を織り交ぜながら、彼の真実の姿に迫ろうとしている点にある。

本書に出会うまで、私は彼の詩のなかにシベリア抑留の経験を読み取ろうとしていた。だから、彼の詩集のなかでも、シベリア体験がことばに反映されている詩ばかりに立ち止まった。たとえば、彼はこんな詩を書いた。

脱走
――一九五〇年ザバイカルの徒刑地で


そのとき 銃声がきこえ
日まわりはふりかえって
われらを見た
ふりあげた鈍器の下のような
不敵な静寂のなかで
あまりにも唐突に
世界が深くなったのだ
見たものは 見たといえ
われらがうずくまる
まぎれもないそのあいだから
火のような足あとが南へはし
力つきたところに
すでに他の男が立っている
あざやかな悔恨のような
ザバイカルの八月の砂地
爪先のめりの郷愁は
待伏せたように薙ぎたおされ
沈黙は いきなり
向きあわせた僧院のようだ
われらは一瞬腰を浮かせ
われらは一瞬顔を伏せる
射ちおとされたのはウクライナの夢か
コーカサスの賭か
すでに銃口は地へ向けられ
ただそれだけのことのように
腕をあげて 彼は
時刻を見た
騾馬の死産を見守まも
商人たちの真昼
砂と蟻とをつかみそこねた
われらは その口を
けたたましくおおう
あからさまに問え 手の甲は
踏まれるためにあるのか
黒い瞳が 容赦なく
いま踏んで通る
服従せよ
まだらな犬を打ちすえるように
われらは怒りを打ちすえる
われらはいま了解する
そうしてわれらは承認する
われらはきっぱりと服従する
激動のあとのあつい舌を
いまも垂らした銃口の前で。
まあたらしく刈りとられた
不毛の勇気のむこう側
一瞬にしていまはとおい
ウクライナよ
コーカサスよ
ずしりとはだかった長靴ちょうかのあいだへ
かがやく無垢の金貨を投げ
われらは いま
その肘をからめあう
ついにおわりのない
服従の鎖のように
 注 ロシヤの囚人は行進にさいして脱走をふせぐために、しばしば五列にスクラムを組まされる。

副題に「一九五〇年ザバイカルの徒刑地で」とあるように、シベリア抑留の体験がモチーフとなっている。強制収容所を脱走しようとして、撃たれて死んだ囚人をみた体験を詩で表現したのだという。現場に居合わせた囚人たちは、怒りを殺すのではない。また我慢するのでもない。怒りという感情そのものを放棄しているのである。生きるために、生きることをプロセスに変える、その瞬間が描かれている。そんな過酷な世界が詩となって、眼前で起こった出来事のように迫る。最初にこの詩を読んだ時、しばらく呆然としてしまった。

けれども一方で、この衝撃も石原吉郎がシベリア抑留の経験者であるという前提が、どこかで作用している。
詩は絵画と同じように、作家や文脈について知ると味わいが深くなることがある。たとえば印象派の絵もその文脈を知ることで、その新しさに触れ、作品の良さをより深く理解することができる。石原吉郎の詩も同じように、シベリア抑留体験が背後にあると知ることで、その過酷さについて想像力をより働かせることができるようになる。
しかし、それは石原吉郎の詩を読むことの妨げになっていたのではないか? 本書を読んでそう思うようになった。

本書には、石原吉郎が参加していた詩誌『ロシナンテ』の同人であった詩人の粕谷栄市の言葉が引用されている。
「石原さんは楽しいから詩を書いた。自由になるために、自分を解放するために詩を書いたんだよ」
石原吉郎は詩を書くのが楽しかったのだという。見ようともしていなかった詩のことばの向こう側を、見せつけられた気がした。詩を書くときに喜びを感じていたとすれば、石原吉郎の過酷な経験という視点にとらわれることは、彼の詩を半分しか見ていないことになりはしないか? そう考えたとき、本書にも引用されている次の詩が、詩を書く喜びそのものに見えた。

自転車にのるクラリモンド

自転車にのるクラリモンドよ
目をつぶれ
自転車にのるクラリモンドの
肩にのる白い記憶よ
目をつぶれ
クラリモンドの肩のうえの
記憶のなかのクラリモンドよ
目をつぶれ

 目をつぶれ
 シャワーのような
 記憶のなかの
 赤とみどりの
 とんぼがえり
 顔には耳が
 手には指が
 町には記憶が
 ママレードには愛が

そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった

 自転車にのるクラリモンドの
 自転車のうえのクラリモンド
 幸福なクラリモンドの
 幸福のなかのクラリモンド

そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった

 町には空が
 空にはリボンが
 リボンの下には
 クラリモンドが

本書はどこまでも石原吉郎に寄りそって、彼の姿を描く。レッテルが安易に貼られないよう、全体を描こうとする(レッテルは石原吉郎を苦しめたものでもある)。その姿勢がいかに徹底されているかは、石原吉郎が「語らなかった」ことにあえて言及していることからもわかる。
石原吉郎『望郷と海』(ちくま文庫)収録の「1959年から1962年までのノートから」には次のようなことばがある。

ほんとうの悲しみは、それが悲しみであるにもかかわらず、僕らにひとつの力を与える。僕らがひとつの意志をもって、ひとつの悲しみをはげしく悲しむとき、悲しみは僕に不思議なよろこびを与える。人生とはそうでなくてはならないものだ。

「かなしみ」だけでは石原吉郎を知ることはできない。石原吉郎を知るために、本書のような仕事がある。


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