国籍を超えた愛に堕ちた・・
#あの選択をしたから (応募予定でしたが、していません。)
中学1年の時から英語が好きだ。あのスマートに聞こえる響き。特に西洋人が英語で話すのを観ている(聞いている)と、うっとりする。
中学3年間、英語は結構勉強した。クラスでもテストでトップにも何度かなった。歌詞の意味はわからないが、洋楽のハードロックにはまっていった。
高校では散々。興味も薄れ、専門学校でグラフィック・デザインを専攻し、卒業後グラフィック・デザイナーとして社会人生活を始めた。バンドではエレキ・ギター担当でボーカル・パートからは距離を置いていたので、英語歌詞への関心もそれほどではなかった。
最初のデザイン事務所入社から5年後、リサイクルや自然破壊の動きが出始め、大量に紙を消費する印刷媒体をメインにデザインしていた僕は、「これでいいのか?」と思い始める。その思いは止まらず、退社しロンドンに取り敢えず短期留学をした。外国が見たかった。以前NYには行ったことがあるので、英語の発祥地イギリスは妥当な選択だった。
多くの海外からの友達に出会った。ラブレターをもらったことも。でも英語にそれほど自信があった訳でも、外国人の恋人を目当てに行ったのでもなく、それは経験として自分の中に仕舞い込んだ。
暫く別のデザイン会社で働き始めた。バンドも離れ、何かしたかった。英会話学校に通おうと決めた。当時では唯一「好きな時間にどのブランチでもネイティブの先生と会話できる」システムを採用している英会話学校に通い始めた。普通の授業もあったので定期的に受けていた時、アイリッシュ系オーストラリア人の女性講師に出会った。
自分の気持ちがどんどん引きづられていった。デートに誘った。最初のデートはバンド時代の友人に同行してもらった。2度目からは単独だ。
彼女が自分にも興味を持っていることが明白になってきた。暫く交際が続いた。
結婚を申し込んだ。「Yes!」
流暢に英語を話せなかったが、気持ちが引き合うのをジンジンと感じていた。
結婚後2人で小さなアパートの一室を借りて住み始めた。2人で電車やバスに乗っていると、珍しそうに凝視する人たち、「アメリカに帰れ!」と罵倒するおじさんたち。人種差別が徐々に明らかになり、彼女は毎日涙をこぼす日々が続いた。
日本が好きで独りでオーストラリアからやってきた彼女は、日本人にはやはり「ガイジン」の一人にしか過ぎなかった。辛かった。日本人が憎かった。
2人はオーストラリアに移住することにした。彼女には帰国。無念な帰国・・・
僕は心配だらけだったが、彼女の伸び伸びとした様子を見るのは嬉しかった。
英語が流暢でない僕は普通の仕事に上手く着けなかった。日本人経営の会社にも勤めたが、長い労働時間と不規則さから彼女との時間が減っていった。
辛かった。選択を誤ったと思った。
でも、彼女はひたすら前向きで僕を支え続けてくれた。現地の専門学校で卒業証書をゲットするよう彼女に勧められ、ウェブ・デザインとアドミンの分野で修了証を取った。それから現地会社から声がかかるようになった。
その後も仕事をしながら英語の勉強は必須だった。がむしゃらにした。続けた。
英語は徐々に分かり出してきたが、グラフィックWEBデザインがメインでコンピュータに向かっていることが多かったので、英会話はあまり上達しなかった。でも続けた。とりあえず続けた。
あれから25年。ようやく現地の仕事仲間、義理の家族、近所の人々と心から笑えるほどになった。その過程では何度も「やれば出来る!」と確信したことが多い。
続ければ絶対できる、自信と確信が今の僕にある。
そして、何よりもいつも、どんなに苦しくても側についてくれている彼女。素晴らしい人に出会ったのは間違いない。いつも前向きに、側で応援してくれている。
こんなにも僕を心から応援してくれる人をライフ・パートナーとして共に人生を生きている。これ以上の幸せが何処にあるのだろう?