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ブルーピリオドについて熱く語る

おはようございます、ナツです。
昨日の夜、ふと、
あれもう新刊出たかな?と思ってebooks japanで揃えているブルーピリオドを開いたら、結果1巻から既刊の13巻まで全部読んでまいました。
ひまか。

ブルーピリオド、人気の漫画だと思うのでご存じの方も多いと思うのですが、わたしも例に漏れず大好きです。
今回めちゃくちゃ長文になるかと思いますので、暇つぶしにしてください。

色々追ってる漫画は多数あります。
昨日何食べたもそうですし、降り積もれ孤独な死よ、ミステリという勿れ、ファブル、七つ屋しのぶの宝石匣、ながたんと青…。
どれもいろんな種類の続きが気になる!があるのですが、ブルーピリオドは、近所の仲良かった年下の子、元気かな?みたいな感じで続きが気になる漫画です。

ブルーピリオドを知ったきっかけは、クイズノックのYouTube、クイズノックと学ぼうのチャンネルの美術回だったのですが、(わたしは彼らが大好き)読んだら、即ハマってしまって。
志賀さんという藝大出身の方もいるので、専門的な見方をしてくれる人もいつつ、最近ハマってるんだよね!好きだよ絵!綺麗だから!と言ってくれる山本さんもいる。(クイズ王だから当たり前に知識はバリバリあるんだけど)YouTubeで学ぼうのチャンネルはよく見るのですが、好きになっちゃうシリーズはほんとに好きになっちゃうので、最近つまんないなぁ…と心がほころびかけた時におすすめです。

金髪ピアスのチャラ系高校生が、仲間と夜遊びした帰り、朝方の"青い"渋谷を見て絵を描き始め、藝大を目指して奮闘する漫画です。


芸術を志す人も同じヒトだと気づいた

受験編が終わり、その後、が今連載中なのですが、何が刺さったかというと、凡人だけが悩むわけじゃない、というのが丁寧に描かれているところ。いろんなキャラクターが出てきますが、主人公は自分に自信がないために知識や外見の強さで余裕があるように武装する子だし、予備校で出会う天才的に絵が上手な子は、絵しか才能がない、と母親に言われ続けていて、勝手に型にはめようとするな、ともがいているし、日本画家の家族のいる子は、日本画家になりたいわけじゃないのに、家族の軋轢の中から逃れたくて藝大日本画科を目指しているし、美術を見るのが好きな子は、バイトのお絵描き教室で『先生にも向いてないわ』という。

芸術を志す人って、わたし勝手に個性的で心の強い人ばかりだと思っていたんですよね。
めちゃくちゃ偏見なんですけど。
好きなものを好きと言える強さはわたしにはないし、それを表現して発表しよう、という強さもない…と思っていたのですが…。
こうやって不定期的にも文章を書いて全世界が読もうと思えば読めるところに放流してるんだから、当たり前にそりゃ変わんないわ!と今回読み返してみて改めて思いました。
情熱の方向が芸術ってだけで。

だから当たり前にこの道でいいのか?と思うし、
受験のために学ぶ中で、好きで、楽しくて、描いていたのに、なんでこんなに描くのが苦しいんだ、怖いんだ、と思ったりするし、超いいじゃん、なんて言葉で救われたりする。

美術って難しいイメージで、大人になるまでそこまで興味なかったんです。
雑誌か本の影響で、美術館に行く女ってかっこいいな!と憧れて、高校時代に地元の美術館にリサラーソンの展示を1回見に行ったくらい。

大人になってから、就活から現実逃避したくて東京で逃げ込んだフェルメール展、函館の暑さに負けて逃げ込んだミュシャ展、京都の京セラ美術館、先日の山本二三展、箱根の藝術の森…旅先で、または本物を見てみたい!と思った展示は住んでいる街の美術館に、とちょこちょこ行くようになりましたが、正直言ってよくわかんないまんま見ています。

変なところが真面目なのか、有名な絵を見て、何を受け取れば?とか、歴史的背景も頭に入れないといけない??とか、いろいろ考えてしまって、なかなか素直に見られないことも多かったりしました。バンクシー展なんかは、なぜこの人は神出鬼没に現れては街中に残していくのか?とか、このモチーフの意味は?主張は?とキャプションから国語的に見ることもできるのが逆に面白かったけれど、それも、説明されている文章を読んで、ひゃーなるほどー!と思っただけなんですよね。

美しいから素敵、とるんるん見ることがなかなか難しい。なんか、意味を見出さなきゃ、静かに見なきゃ、みたいな縛りを勝手に感じちゃうというか。

ブルーピリオドの主人公の八虎も、目標は藝大合格なので、知識がないからやらなければライバルたちに追いつけない、と色々なものを見るけれど、勉強、手法や技術のために見ていて、感情を伴って絵を見たことがなかった…と気づく場面があります。

好きなものなのに?!と思うかもしれないけれど、文章を読むのが好きでも、受験の時の文章問題は苦手、嫌い、だった人も多いと思うんですが、あれに近いのかな、と想像しています。
楽しくて読んでいたのに、受験の問題を解くためには、感情を揺らすな、みたいなことを言われたりする。文章は全部読むな、問題から読め、こういうときの答えの抜き出し方はこうで、この接続詞のときは注意で…と言われているうちに、その技術とか答えまでの最短距離を縮めるのに夢中になって何を読んでもこの時は?この時は?とその答え探しに一生懸命になっちゃう感じ。
(残念ながらわたしは文章くらい好きに読ませろー!という反乱軍だったので、まともにこの方法で現代文を解いたことがありません。時間足りないことありました)

そんな時間を積み重ねて憧れの藝大に入っても、もう辞めた、と辞める大学生も描かれますし、高倍率の受験へのストレスで体を壊して受験を辞めてしまう子もいる。
切磋琢磨は美しいけれど、受験は受かる受からないの線引きが明確だからこそ、受かった人の生き残りの罪悪感ともとれる発言もあるし、何浪しても諦めない子もいる。

物語を通して、キャラクターたちが成長したり、立ち止まったり、逃げたり、また踏み出したり、怠けちゃったり、先生の一言で落ち込んだり、やる気削がれたり、学校のせいじゃね?みたいなことを思ったり。空気読みすぎたり、ちゃんとそれは友達にバレててそんな線引きした顔で笑うなと言ってもらえたり…。

なんかもう全部エモいんです!

人と人とのつながりが!!!
本当にそこでちゃんと体温を持って、生きてるかのように生きてる感じがする。
すごく人間的だなぁと思います。
そういうところがわたしは引き込まれちゃう理由だなって思うんです。


ブループラネットの構成がすごいなぁ、と思う

とか、めっちゃ専門っぽい見出し打った割には素人考えです。なんのプロフェッショナルでもないのでご了承を!!

ブルーピリオドでは、説明的なモノローグってほとんどないような気がしていて。

ピカソってなんですごいの?って多くの人が思ったことのある疑問も、作中には登場するんですが、『…と、八虎は悩んでますが読者の方には教えますね!ピカソってこうですごいって言われてるんですよー』なんていうコマがないんです。
なんで?と思う主人公の八虎の疑問と、読み手のわたしのそういえばそうよ、なんで?が合流したところで、こうなんやでーと友人のハルカくんが教えてくれたりする。

もちろん美術の専門用語なんかは小さく注釈が入ってたりしますが、基本的に説明のためのコマがない。読者には説明しますね、ということがほとんどないけれど、ポイントは必ず押さえられる会話がある。美術ってとっつきにくい時思ってるでしょう、でも友達がこんなふうに話してくれたらどうですか?と全部押さえてくれる。
わたしたちが知らないことは、八虎も知らなかったりするので、八虎と同じタイミングで誰かが教えてくれます。

美術に馴染みがなかった高校生を主人公にして、
しかも考えすぎるほど考える、めんどくさい系の性格にして据えることで、私たちも八虎の頭の中を自分に据え替えて、美術ってこういうことが技術として使って、表現するってこういう考えがあるんですね、って解像度をあげることができるようにしてるのかな、とも思ったりして。

何食べは、レシピをシロさんのモノローグで一気に説明してくれますが(シロさん3分クッキングと個人的に呼んでいる)、作ってみよう、という人がいるなら、と分量や気をつけることなんかを、たぶん料理してる人はそんなに考えてない細かいところまでモノローグで教えてくれています。
その正確さが作ってみたい、と思った読者にはありがたいし嬉しいし、しかもいろんなことを細かく気を付けてちゃんとしているシロさんの性格をわたしたち読者も知っているので、説明くさいなーと思ったりしない。ケンジの料理のときは、こうしたらいいってシロさん教えてくれたもんねー♩みたいな感じ。キャラに合っていて、物語の世界観も壊さず、わたしたち読者にも優しい。
どちらも考えられていて、配慮のある仕組みですよね。

きっちり説明してくれて嬉しい料理と、
きっちり説明されると難しい…と引いちゃうかもしれない芸術。
芸術の敷居ってそんなに高くないっすよ、と言ってくれてるみたいに、説明が必要なことは誰かと誰かの間の会話の中で教えてくれる。
すごいなこれと思いません?
だって絶対説明コマ1つ作った方が描く方は楽そうなのに。会話の流れを考えなくていいし、こういう情報持っといて、と渡すだけなら渡す側だけは楽ですよね。ちゃんと受け取り側のことを配慮してくれてるって、優しい人が描いているんだろうと思います。


誰もが持つめんどくささを愛すべき対象にしてくれる


八虎は努力ができる子なので、論理的に整理して、こういう時はこう、こういう時はこう…と計算する子だからこそ、性格はめんどくさいし、人と絡むと逆に地雷踏んだりするし、頭がいいからこそ空気を読みすぎて同調圧力がかかることの多いこういう場面は一歩引く、と判断することもある。
考えすぎるからこそ、自由だよ、と言われるとそれって何が正解なの?認められるにはどうするべきなわけ?と壁にぶつかっちゃったりもする。
楽しい方が良くない?と仲間に言われて、そんなこと思えたらどんなにいいんだろ、と思うところも重なる部分が大きくて。

自信がないから武装して強がっているけれど、
自信がないために誰かにマルをつけて欲しくて、大丈夫だよと言って欲しい、そういうことって、結構感じたことある人多いんじゃないかな?と思います。
親だから、妻だから、夫だから、上司だから、といろんな肩書きを持つことがあったって、子供や部下を褒めるのが仕事や役割だとしても、じゃあわたしは?俺は?と思うこと、ありませんか?

わたしは結構あります。

誰もがほんとは誰かからマルをつけてもらいたい。本当は自分に自分でマルをつけられたら最強なんだけれど、それをやるのは日本人の美徳感的に難しいことも多いです。

八虎は面倒な性格だけれど、素直なので、
努力は才能か?という点で友達と言い合いになった時も、その瞬間は、努力は才能じゃない、誰だってできるんだから、才能が欲しくてもないから時間を重ねただけなんだ、俺のやってきたことをそんなふうに片付けないでくれ、とカッとしてしまうんだけど、その後別の友達に、論点がズレていてお互いに違う話してるんじゃなーい?と言われて、俺も才能があるっていいよな、って意味では相手のことを思いやれてなかった、と反省して謝れたりする。

この前感じ悪くてごめん、と謝れるって、
凄いことだと思うんです。

嫌な言い方しちゃったなぁ…と思っても、
相手が気にしていない風に接してくれたら、そのまま流してしまうこともあると思うんです。
あんまり気にしてなかったかも?わたしだけ気にしてたかも?と。

それもちゃんとなかったことにしないのは、優しいしえらいなぁと思うんです。
めんどくさいからこそ、そのまんまにせずにちゃんと受け止めて、噛み砕いて、もやもや悶々としながらも考えて考えて、ちゃんと自分の中に答えらしいものを見つけて実行できる。

また悩んじゃって…と思う反面、そういうの、きになっちゃうよね、悩んじゃうよね、わかるわかる、あとで後悔しちゃうんだよね、って共感もできたりして。

八虎に重なるところが多いちょっとめんどくさい性質を持つ人は、八虎を見守るスタンスで、間接的に自分のこともちょっと認めてあげられたりするかもしれません。


そんなわけで、執拗にわたしのブルーピリオドの推しポイントを書かせていただきました。
読みたいな、なんて思ってくれた方がいてくれたら嬉しいです。

ちなみにYOASOBIの群青は、ブルーピリオドにインスパイアされて作られた曲なんだとか。
こちらでYOASOBIのお二人がお話ししているインタビューが読めます。

こちらもとても素敵な曲なので、ぜひ。

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あきふゆはるなつ
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