最近読んだ本「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」
わたしは5年ほど前にフルタイムの仕事を辞めてフリーランスになりました。通勤時間がなくなったことで読書時間がうまく取れず苦しんでいたのですが。。。この本は逆に働いていることで本が読めない、というタイトルでちょっと???でしたが書評等高かったので手に取ってみました。
著者の三宅さんは最近メディアで取り上げられることも多いようですが、若くて聡明な印象の方ですね。
本書は、著者自身の経験に始まり、明治時代以降の日本人の読書に関する歴史を中心に展開します。
ニュース等でしきりに言われる「読書量の減少」は本当なのか?などの考察はなるほど、と感じました。
書籍購入代金は確かに減っているけれど、昔は「円本」など応接間に飾っておくための(読まない)ものも多く存在したので、本当の「読書量」が減っているかどうかは分からないと。
ちなみに、円本という言葉はわたしは今回初めて知りました。大正末期から昭和にかけて出版された「〇〇全集」的なものだそうです。単行本を買うよりも割安で、何より自分で選択しなくてよいところが魅力だったそうです。
これよりも時代はあとですが、わが家にも「世界〇〇文学全集」みたいなものがありました。父が仕事の関係で買わされたとのことで、両親や弟は全く読んでいませんでしたが、わたしは何度も何度も繰り返し読みました。それがいまの本好きにつながっているのかもしれません。
あと「ゴーギャン図録」というのも実家にありました。これも父の仕事の関係で買わされたものですが、大人になってから展覧会で初めて実物を観たときには涙がこぼれました。今日のわたしのアート趣味はここから始まったのかなと思うので、何が将来につながるかは分からないものですね。
さて、本題に戻りますが、
働きながら本を読める社会=半身社会、を著者は勧めています。
全身全霊で働かない、なぜなら全身で働くことには犠牲を伴うからだ、と。
ひと昔前なら、モーレツサラリーマンと専業主婦、という図ですね。奥さんの犠牲のもとに成り立つ働き方。独身の人であれば「自己搾取」という形で、自分自身を犠牲にして全身全霊で会社に尽くす、というスタイルです。
著者は、この働き方の「犠牲」には少子化もあるといいます。わたし自身や周りにも多くいますが、20~30代モーレツに働いていた結果、子どもを産むひまも、それ以前に相手に出会う時間もなかった。そんな人が、わたし(1969年生)世代には男女問わずかなり多く存在します。
あと、これはわたしもずっと思っていたことですが副業の無理についても触れられていました。
1社でも犠牲・自己搾取がはびこっているのに、さらに政府が副/兼業を進めているのはなぜなのか。背景には将来の年金不安などの理由があるのだと思いますが、これ以上仕事に時間を割いて何を目指すべきなのか。。。本当に理解ができません。
また、読書と、それに代わるインターネットとの対比も興味深かったです。
読書というのは、ノイズを含むもので、さまざまな文脈で語られるので文脈の理解が必要となる。それに対してネット情報は、自分が見たいものだけ見ることができる。
よく言われているのは、新聞を読むと広告を含めて自分の興味のないこと(=ノイズ)まで入ってくるけれど、ネット検索だとピンポイントで読みたいニュースだけがピックアップでき効率的だと。
これを著者は、
情報= 知りたいこと
知識=ノイズ+知りたいこと
※ノイズ・・・他者や歴史や社会の文脈
と表していました。
ネットを駆使する現代人は、情報を求めているが、それは知識ではない。
本書には他にもいくつも「なるほどー」となった部分はありましたが、心に残る一文を最後に紹介します。
『本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。』
効率よく情報を集めたいだけのか、それともノイズを含めた「知」を求めているのか。。。考えさせられたよい本でした!
「働いているとなぜ本が読めなくなるのか」三宅香帆 集英社新書 2024年※写真は投稿内容とは関係ありません
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