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フェミニズムの最新型兵器。「別の人」

韓国の小説を初めて呼んだ。
架空の物語だけど、架空では無い。
他人事ではない世界がそこにはある。


フェミニズムの最新型兵器

なるほど。そういう事か。全てを読み切った時その意味をようやく感じた。いや痛感させられた。僕はこの本の全てを、作者が伝えかったものの全てを理解できている訳ではきっと無い。ただこの本が何を言いたいのか?大まかなものを感じるとる事は出来たはずだ。

たまたま手に取ったその本の帯にはこう記されていた。(一部抜粋)
「この小説は遠くで照準を合わせる遠隔操作型兵器ではない。ひどく至近距離から私たちの鈍った心に鋭い直球を投げつける、原始社会の石斧のような小説である。あまりに深刻化した「女性嫌悪」社会の空気のなか、日々更新されつづけるフェミニズムの最新型兵器。それが『別の人』だ。」


タイトルの「別の人」は何を意味するのか?(考察)

僕はこの本を読み進めていく中で一つの疑問が生まれた。本作のタイトルである「別の人」は一体どういった意味を持つのだろうか?
っていうのもストーリー展開の中で、「別の人」に直接繋がるような展開が見えて来なかったからだ。

別の人に続く言葉を考えた。
「別の人が羨ましい」「別の人になりたい」「別の誰かが気になる」
別の人が最初に来た時、後に続く言葉が何であれ、文脈を見ると相手を意識している事は確実に読み取れる。

人がこの人間社会に生きていくにはどうしても他人と関わる必要がある。そんな社会に住む人々中で、個人一人一人に、"別の人"、別の自分では無い誰かに対して想うことがあるはずだ。それはポジティブな面でもマイナスな面でも言えるはずだ。
さらに僕達は思いやりという言葉を持ち合わせながら、どこか自分以外の別の誰かを軽視している事が度々あるのではないか?僕はある。自分を制さないと、他人をすぐにカテゴライズしてしまい、自分の意見や思考の枠にその人を当てはめる。

そんな普遍的な人間の真理の一部のキーワードを抽象化してタイトルに名付けたのでは無いか?
本作「別の人」の中でも、多くの登場人物が出てくる、そして色々な関係を結ぶ。登場人物の全ての人が自分以外の"別の人"を蔑ろにしている気がする。勿論、寄り添う姿勢は見せている時もある。ただ姿勢だけでは相手の立場には立てていない、そしてまた寄り添えてもいない。


どんな事があっても「暴力」は許されないのか?

最初に言っておくが僕は「暴力」を許容するつもりは無い。暴力は法治国家においては罪だ。ただ暴力でしか解決できない問題も、もしかしたらあるのかも知れないのでは?いや、そのような問題がある事自体が問題なのだろう。

本作では「暴力」がかなり重要なキーワードになる。そして多くの暴力が登場する。暴力といっても身体的以外にも、言葉の暴力や同調圧力的な空気感による暴力など色々な意味がある。


「痛みの共有」をする事で傷は和らぐのか?

人は何かしらの"痛み"を抱えて生きているものだと思う。痛みは傷であり、トラウマだ。その痛みを"正しく"他人と共有出来れば人は傷を癒せるのでは無いのだろうか?つまり本当の意味で思いやりを持つ事。

"正しく"というのは、自分の中にあるバイアスや先入観、固定概念を取っ払い、「もしかするとあの人にも私と同じような似た傷があるのではないか?」と探求する事だと思う。それが思いやりだと思う。


問題は「対話」の中で生まれ、また解決策も「対話」の中で生まれる。

僕達人間は、お互いの事をよく知らないまま一緒に時を過ごそうとする。実際本作「別の人」に登場する人物達も対話をしていないように感じる。

「思った事を言わない」「気を遣って我慢」
これは人間関係においておいてかなりややこしくなる事象だと思う。
思った事はとりあえず言ってみて、相手の反応を伺ってからまた対応すべきやし、気を遣って我慢に関してはそもそも"その気"ってなんやねんという話で、思いやりかも知れないけど、そんなものは自分の中だけの答えなので相手と全く同じな訳が無い。自分が失礼だと思っている事でも、相手にとっては失礼な事では無いかもしれない。何にせよ、正しく対話しなきゃいけない。ソフトな話からハードな話まで。長く付き合っていきたい相手なら尚更だと思う。

正しく対話しない事は問題が生まれる原因になる。

ただ正しく対話する事を心がけていても人間なので、どこかで失敗する。問題が起きる。
ただ解決策もまた対話の中にある事は忘れてはいけない。何が問題の原因なのかをしっかりと対話するのだ。

"心配"や"共感"も時に暴力性を含む事を忘れてはいけない。

傷付いた人と接する時"本当の思いやり"を持っているならば、そっとしておくという事も一つの手かも知れない。多くの人は優しすぎる。すぐに「大丈夫?」「その気持ち分かる」と言い、相手に寄り添おうとする。僕もそうだ。目の前に泣いてる人がいたら僕はすぐに「大丈夫?どした?」と声を掛けるだろう。だが、それは時に相手によっては哀れみの目にされている事に、自分という存在の価値の有無にショックを受ける場合があるという事をこの本に気付かされた。いや気付いていたのかもしれない、ただそれが正義だと思っていたばかりに目を向ける事から逃げていたのかもしれない。


日本の性暴力は氷山の一角

世界的に見て日本のジェンダーに関するアップデートは遅い。世界の男女平等ランキング2021、日本は120位で史上ワースト2だった。
ジェンダーに関する問題は様々だが、本作「別の人」を読んで意識させられた問題は性行為における暴力だ。最近よく聞くようになったワードと言えば、「性的同意」だ。性的合意に関して、何が合意なのかについての定義づけの議論が度々何か事ある毎にSNSで見かける。慶応大学生が性的合意ハンドブックを作っていたが実際の所意味はあるのか?と疑念が僕にはある。ただ、前向きな行動(発信)には価値があると思っているので素晴らしいに尽きる。

「性的同意」と近しい概念が「性的暴行」つまりレイプだ。性的同意のラインはグレーゾーン過ぎる。間違いなく状況に応じての要因は大きいはずだ。

「性的同意」「性的暴行」含むジェンダーの問題はじっくりと思考深める必要性があるのは間違いないので、浅はかな発言はここでは控えておく。

ただ女性友達と”性”に関する話をした時に、「ん?それってかなり性的暴行の要素含んでね?」みたいな事象があったりもする。そういった場合に如何に対処するのか、何をどう声をかけるべきなのか?僕の中でもまだハッキリとした答えは今だに出ていないのが現在地である。



長くなりましたが、心にグッサグッサ刺さる物語です。グッサグッサ心に刺したい方是非お読みください。


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