戦いの先にゴールがあると思っていた
戦いの先にゴールがあるのだと思ってた。戦い続けた20代、30代を経て気づいたこと。
25歳、テレビディレクターになりたての頃、演出力や構成力の引き出しが少ない中、自信がなくて、決断できなくて、カメラマンに呆れられたり、編集マンに「どうするんだよ!」とよく怒られた。プロデューサーに「何を伝えたいのか分からない」とダメだしされた。へこんだ。泣いた。でもやるしかない。そして「私はすべてと戦わなければ!」と思った。
取材現場では取材対象者と戦い、カメラマンやリポーターさんと戦い、プレビューではプロデューサーと戦い、編集では編集マンと戦う。そしてスタジオサブ(放送の進行をコントロールするところ)ではPD(進行の責任者)やナレーターさん、音楽効果さんと戦う。
30歳で結婚したとき、同僚に「結婚ってどう?」と聞かれて、私はこう答えた。
「外ではずっと戦わなきゃいけないでしょ。だからその戦いに疲れたときに帰れるところができたって感じかな」
けれど“戦い”の感覚を強く持っていたから、結婚したら結局、夫とも戦っていた。子どもが生まれてからも、世間と、仕事と、夫と、息子と戦っていたからもう大変。かなり尖って、頑なだった分、疲れ切った。
そこでようやく気づいたのだ。“戦い”って、自分を疲れさせるだけなんだよね。自分の、そして周りのエネルギーを奪うだけ。
それから戦うことをやめた。全部自分で何とかしようとしなくなった。人の意見を聞くようになった。苦手なことは得意な人に頼むようになった。
そんな風にガチガチの鎧を脱いだら、頭と心に少しずつ余裕が生まれてきて、今、初めて生きることが楽になっている。自分を労り、楽しませ、笑っている。
この状態を経験すると、これまでどれだけ窮屈に生きていたのかに気づく。もうエネルギーをムダに奪い、奪われるような生き方は、もうしたくない。できない。
戦う。
自分を責める。
エネルギーを消耗する。
転じて
すべては共創。
どんな自分も許してあげる。
大切にしたいことにエネルギーを使う。
今の私のモットーだ。
もしあなたが今、“戦い”の中にいるのならば、早く抜けられるといい。“戦い”の感覚から抜け出せたら、本当に生きることが楽になれるから。