檻の中から空を塗る、よりも
山鉾巡行は今年も凄まじい盛り上がりを見せた。見物客で京がはち切れるかと思ったほどだ。毎年の群集で四条通そのものが広がっているのではなかろうか。このまま放っておいたらそのうち建物が立って、新たな道が誕生するやもしれぬ。その通りの名は一般募集で決められ、例えば「あんこ通」なんて甘ったるい名前が付いてみなさい。時すでに遅し。古都は甘味処に支配されてしまう。
まあ年中清流を飲んで暮らす私の知ったことではないが、きぬかけの路を歩く彼らにとってはどうであろうか。
「なんたることか、今年も宵山に行けなかったよ。群集で埋まる四条通が、私をバラ色の出会いに導いてくれると信じていたのに。そんな甘い展開になってみなさい。私は四条通をあんこ通と呼ぼうではないか。しかし私の先に延びているのは、常しえに続くアンニュイな毎日のようだがね」
映像学部の彼はジョン・ケージの『4分33秒』を愛し、自ら書いたものを”偶然性の脚本”と呼んだ。人々はそれを”偶発的でたらめ戯曲集”と呼ぶ。常日頃から「全てに意味のある凝った文章など書けぬ。脳みそが沸騰してしまうよ。もしや私の頭でラーメンでも作ろうという魂胆ではあるまいな?」と開き直っている。
「見えますねえ先輩の未来。まるでドルビーシネマの黒のようだ。御先真っ暗です。でもそれは祇園祭のせいではありませんよ」
「何たる下衆の勘繰り。いいのだ、私はただ思い付いたことを脚本に記す」
入学して2年、シンが過ごすのは”戯曲集”の執筆に巻き込まれる毎日。映画芸術ゾーンで荷物番を専攻し、現場では鬼のような集中力で荷物の脇に鎮座している。いわゆる荷物番助手である。堀川蛸薬師から東に入った路地に佇む、まるで檻のように狭い部屋に住み、掃除は気が向けばする。しかしことのほか気とは向かないもののようだ。
「10年前に比べたらまだいいじゃないですか。あの頃は感染症が原因で2年間も山鉾巡行が中止になったらしいですよ」
「疫病退散を祈願する祭りが1100年の時を経て、その疫病によって足止めを食うことになるとは。皮肉だねえ」
偶然にも書き上がってしまった脚本の映画化に向け、シンは荷物番の技術を磨く。
「荷物史の先生は優しいし、荷物番概論なんてお茶の子さいさいです」
「妙ちくりんな授業ばかりだな。確か10年前、京都中ででんぐり返しをしていた阿呆な荷物番がいたという伝説を聞いたことがある。しかし世の中は盛者必衰。もうその仕事がもてはやされることなんて無いのだよ」
「私が彼の意志を引き継ごうではありませんか。荷物番にあらずんば人にあらず」
私のそばで”伝説の荷物番”がくるくる回っていたのが昨日のことのようだ。
シンは休日になると、自転車で丸太町通を駆け抜け、法然院の艶やかな苔たちに挨拶をする。その後浄土寺にあるノノノ座を用もなくふらふらして、白川を挟んだところにあるおにぎり屋さんで甘辛スルメを食べる。
ある土曜日の昼下がり、ノノノ座で薄っぺらい冊子を見つけた。どのくらいかというと、鴨川デルタでトンビに菓子パンを盗られたことを、いつまでも自慢げに話す大学院生くらい薄っぺらい。どうやら映画を撮る短編小説のようである。その名を『サマーカンバス』といった。表紙には淡い光の中で鴨川を眺める少年少女。文章は稚拙で、とても読めたものではない。世に放たれたのは今から10年前である。
「10年も前ですか。少年少女ではなくなったでしょうね。今でこそ路上での撮影に許可は必要無くなったし、機材もドローンで楽々運べるようになったけど、昔は大変だっただろうな。10年前と変わっていない、むしろ重要性が増したのが、荷物番なのだよ」
ふと気が付くと、見知らぬ神社に迷い込んでいた。
「どちら様が祀られているのでしょう?ふむ、筆の神様ハルノミコトとホタルノカミ。ヘンテコなお名前ですねえ。せっかくだから神様にご相談を、、、」
ぺらぺらで徒然なる短編小説をたたみ、2人の神様と向かい合う。
「映画を撮ろうと思うんです。私にとっては空に色を塗るように美しいことなんですけどね、自らの役割に自信があるのか無いのか分からないんです。あ、あと、住んでいる部屋がそれはもう狭くて、まるで檻のようなんです。あ、あと、女の子とドライブをしました。遊びじゃない、あれはデート。私はそう思っているのですが、未だにえっと、彼氏じゃないし。あ、それと、ずっと気になっているのですが、2年生と2回生って何が違うんですか?」
早急なる帰宅を二神は願い、ピュアな大学生への神のご加護を私は願った。
それからというもの、シンは2年生と2回生の違いを考えて止まなくなり、もちろん勉強など手に付かず、荷物史の期末試験でひどい目に合った。
嵯峨が渡月橋もろとも秋づいて、私も少し冷えてきた気がする。シンはなぜか『サマーカンバス』に惹かれ、持ち歩いた。八曜社で珈琲を飲んだ後、映画でも観ようと出町柳の方へ歩き始める。少し遠いが歩けない距離ではない。市役所前の横断歩道で、八曜社に例の冊子を忘れたことに気が付いた。
「この上なく面倒くさい。ううう、やむをえぬ。引き返そう」
猛勉強の成果を発揮すべく、来たる撮影にシンは舌なめずりをしていた。先輩は「映画をつくるよりも楽しいことなんてない」と熱弁している。映画監督の鏡である。他のメンバーも段々と集まってきた。曲者揃いだ。スケジュールが狂うと勝手にジントニックを作って飲み始める助監督、ボーイフレンドへの愚痴が止まらぬ録音技師。この2人は仲が良い。カメラマンはすぐにスマホをなくす。非常に厄介だ。事務の彼女が放つ「ドュヘッ」という気味の悪い笑い方は大学内でも有名で、大阪万博マニア日本代表の彼女がアメリカへ逃亡してしまったのも、大学内では有名な話だ。
私は10年前にこの街で行われた自主映画制作を思い出した。今回に引けを取らない破茶滅茶ぶりであったことよ。戦闘機映画のテーマを爆音で再生しながら、御池通りを疾走する真っ黒な車を覚えている。操っているのは主演俳優である。みな青空に飛行機を見つけると子供のようにはしゃいだ。もちろんカメラが回っていても。伝説の荷物番がでんぐり返しをしていたのはその時だ。映画を撮る人間なんて変態ばかりだな。
確か八曜社でも撮影をしていた。いつも店の奥、角の席に座る長髪の少年は元気にやっているだろうか。珈琲をすすりながら薄っぺらい短編小説を読んでいた彼は、よく私の背中に座って鴨川に足を浸していた。
「この前八曜社でドーナツを食べていたら、映画を2本撮ったという人と相席になりました。『キャンバス』ってタイトルみたいです。もう一つは確か『ブルーなんちゃら』だった気がします」
「ほう、ライバルというやつだな」
「それが少し不思議でして。ノノノ座で手に入れた短編小説に出てくるんですよ、その『キャンバス』が。その人も物語に出てくる貧弱な耳の監督にそっくりで」
「まるで映画みたいな話ではないか」
「ですよねえ。うむむ、、、そうか!八曜社は10年前と今を繋いでいるんですよ!それも物語の中の世界と」
「なぜそうなるのかさっぱりわからん。すべからく説明すべし」
「説明?御冗談を。何でもかんでも論理的に説明が付いちゃあ面白くない。細かいことを気にしてはいけません。よくわからないが、繋がっている。それでいいじゃありませんか」
「ふん、それだから君はいつまでたっても荷物番なのだよ。いや、荷物番の風上にも置けぬ!風下の方で休んでいなさい」
「先輩こそ”偶然性”で脚本を書いているではありませんか」
太陽は飽きもせず、今日も鹿ケ谷に登り嵐山に沈んでゆく。紅葉色に染まり始めた京の夕暮れ、二条城では近所のおじいちゃん達が集まってVサインの練習をしいる。その横では着物姿の女性がピアノを奏で、はじき出される音符を捕まえながら2人の青年が未来に向かって叫んでいる。
「いつか熱い映画を撮りたいな!」
くるくる茶髪と紫髪の彼らによれば、未来は北北東にあるらしい。
「今日も愉快な夕方であることよ。この空の色よりも綺麗なものがあるかい?」
「未来にはあるかもしれませんよ」
私は今日も鴨川の流れを切り裂く。たまに人間の子どもがぴょんぴょんと私の背中を飛び跳ねるが、いいものだ。亀は万年。
撮影開始も明日に迫った。シンは八曜社で珈琲を飲んだ後、映画でも観ようと出町柳の方へ歩き始める。少し遠いが歩けない距離ではない。市役所前の横断歩道で、ふと得体のしれない寂しさを感じた。頭を巡らせてみたが、なぜだかさっぱりわからない。
「まあいい、この先にはデリシャスなブリト―屋さんと大好きなゲストハウスがある。それに、愛して止まない銭湯が待っているではないか。信号が変わらないうちに渡ってしまおう」
以上は空想である。
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