走れアキラ
アキラは激怒した。必ず、かの疫病なんかに負けず、試合に出場しなければならぬと決意した。アキラには大人の世界というものがわからぬ。外でプレーをするスポーツに、何の危険性があろうか。けれども部活動というものは、大学のルールを守らなくてはならない。当たり前である。
アキラは去った。他にやりたいことも見つかった。私のことを良く思わない人間も少なからずいたであろう。3年生の夏であった。
アキラは4年生になった。10月の土曜日、久しぶりに試合を観に行った。彼らのプレーを観るのは1年と3か月ぶりであった。このスポーツは大男のぶつかり合いというイメージを持たれやすいが(そもそも日本人には馴染みがないが)、私は”強靭な肉体を使った頭脳戦”だと思っている。それが目の前で繰り広げられると、久しぶりに体を動かしたくなる。
アキラは後悔をしていない。あれから幸せで魅力あふれる毎日を過ごした。友達も増えた。だが彼らを観ると、どうしても「もし」を考えてしまう。
アキラは妄想を暴走させた。もう誰も私を止められない。
「この試合に出場し、1人で10回のタッチダウンを決めたら、今までの記憶を残したまま、君が選ばなかった道の景色も特別に見せてやろう」
楕円形のボールは私にそう言う。
「わかりました」
アキラは急ぎに急いで準備をし、試合に強行出場した。華麗なステップでディフェンスを振り切り、見事なキャッチを決めた。しかし10回のタッチダウンは簡単なことではない。若いアキラは、幾度か、立ち止まりそうになった。えい、えいと自らを鼓舞し、走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、キャッチを繰り返した。6回のタッチダウンを取ったところで、試合時間が残り3分になった。この時間であと4回も得点することは、ほぼ不可能である。
「許してくれ。セリヌンティウスよ」
すると、それまで静かだった観客席がどっと沸いた。皆口々に私を応援している。私は、応援に報いなければならぬ。走れ!アキラ!
そこからアキラのプレーはキレが増した。そしてついに、私は10回のタッチダウンを奪うことができた。
試合が終わり、例のボールに問うた。
「約束通り、見せてくれるのであろうな」
「いいだろう」
そしてアキラは驚きの光景を目にした。あの時、辞めずに続けることを選択した私は、次から次へと入部してくるスーパー下級生たちにそのポジションを奪われ、チーム内では「万年銭湯」というあだ名でバカにされ、悔しい日々を送っているのであった。
妄想というのは頭の中でするものであって、それが他の人から見えるものではないので、歯止めがかからなかった。
「私がいれば面白いくらいにパスが通るだろうに」
言うのはタダである。
アキラは思った。辞めていなかったら、これは私の最後の試合でもあったのだ。試合終了間際、キャプテンが決めたタッチダウンは見事なものだった。最後のオフサイドは正直、審判からの情けだと思う。真相は闇の中だ。部室を放火されても(1年生の時にそんなことがあった)、リーグを棄権しても(疫病には勝てなかった)、最後まで続けるというのはやはり凄い。
アキラは嬉しく思った。キャプテンは「戻ってこないか」と声をかけてくれ、QBも会うたびにそう言ってくれた。挨拶代わりのノリだったけれど、恐らく私が本当に戻ると言えば喜んだだろう。そんな彼らの雄姿を観ることができた。
アキラは胸に手を当てた。私が辞めてから今までやってきたことを思い出した。これまで作ってきたものと、今作っている映画を、私は彼らに誇ることができるだろうか。もしこの映画を観たら、彼らは「これならしょうがないな」と言ってくれるだろうか。もしやり直すことができたら、どちらを選ぶだろう。どちらも最高の4年間になることは間違いない。これは究極である。
アキラは伝えたい。私はアメフトというスポーツと、山越グラウンドで見る夕焼けと、それを一緒に見た同級生の君たちが大好きだということを。
アキラはひどく赤面した。
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