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相談してきたときにはもう手遅れかもしれません

こんにちは、お疲れ様です!
今回は、「相談をする時点で手遅れレベルで悩んでいる」ということをテーマに話してみたいと思います。

この話は、2次障害としてうつ病を持っている私の話です。
仕事をしていると大小問わず悩みや相談するべきことは生まれますよね。

私もミスをするたびによく悩みます。
でも、自分でもわかっていることとしてはこの「悩み」の振れ幅が大きすぎるため、相談するときにはもう「死のうか辞めようか」レベルになって自分の意志で感情を止められなくなってやっと相談するということがよくあります。

よく耳にするのは、そうなる前にすぐに相談すればよい。

たしかにそうなんだけど、別に長い間悩んでそうなったわけじゃないんです。
発達障害を持つ方の思考軸は、黒か白か、0か100かの極端な思考
50でもいいじゃないとはなかなかなりません。

だから普通の人が、0か100うーん50や80くらい、、、と悩むとすれば
私の場合は「これは0!!100じゃない!!もう生きている価値がない」と数時間で行きついて自分が0か-100かの間で悩む。

私の場合は、もうやめるしかない、、、辞めて死ぬか、どうするか…と悩みます。
なんでそうなるか。

もちろん自己肯定感が育たない環境というか自己肯定感を下げる発言しかない環境で育ったのもありますが、黒白思考にうつの症状、凄まじく低い自己肯定感が絡み合い、もうどうしていいかわからないレベルにすごい勢いでなります。

精神疾患と気持ちは強く結びついていることもあり、そうなると急激に体調を崩し勤務できない体調に陥り、結果として上司と話す機会が出来てそこでやっと相談できるという状態になります。

その思考を変えたいか?

そういわれることもあると思いますが、変えられないことがわかっているのでもういいやとあきらめています。

複合的に精神状態が絡み合って、薬なしでは日常生活すらままならない状態なのに、じゃあそのうえで今までの生育環境を振り返って受け止めてくれる医師がいるか?と言われればそんなにいないと思います。

もし生活費をくれた上での治療なら考えますが、そうでない限りは厳しいかなと思っています。

つまり、もうこの時点で手遅れなのです。

0か100かしか考えられず妥協できないこの体だからできることもあると思うのでこのままでもいいかなと思っています。

この心身だから人にやさしくできる

それでもいいこともあります。
それは、毎回悩む私だからほかの人が悩んでいれば優しくできる事。

ASDは人に尽くす人が多いともいわれますが、その背景にはこういったこともあるんじゃないかなと思います。

だからこそこのままでもいいのかなあ。
もしその選択が死だったとしても、それはそれでもいいのかなあ。

と思うのです。


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