ノーベル賞受賞者数は“アジア人”の中で日本人が多いのは凄いについて、もの申したいことがある
Togetterにこういう投稿があった。これに興味が湧いたので今回は僕なりに意見を言おうと思う。
1章1部 各国の高等教育の言語
Togetterで上がるようにまずは各国の高等教育の言葉の現状を調べてみる。
2017年の中央公論8月号の宇野重規氏と会田弘継氏のとの対談記事でこういう文があったので紹介する。
会田「日本は英語国の植民地になったわけではありませんから,(略)近代に統一された国民国家の言語によって,ほとんどすべてのことを賄える国民というのは,世界でも稀なのです(略).一億を超える人たちがすべてのことを自分の国語で,そして高等教育まで賄える.これができる国家は,英米を除けば,フランス,ドイツ,イタリア,スペインぐらいではないでしょうか.ヨーロッパでも小国は,高等教育は英語で行っているところが多い.」
参考http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2017-07-25-1.html
すべての高等教育を調べたデータではないので、正確なことは言えないが、大国を除く教育機関はいつからかは分からないが英語で習うそうだ。
とはいえ逆に大国の国々は母国語で高等教育を習っていると言える。
そこでノーベル賞受賞者の数top10を見てみよう。
ここで上記以外のスウェーデン、スイス、ロシア、オランダの高等教育の言語状況はというと、スウェーデンでは採算の都合上教科書は英語で、スイスは分からなかったが、小学校時代に三カ国語を習い、ロシアはロシア語、オランダはオランダ語(しかし2019年以降英語での教育を加速しているそう)だった。
だからここで言えるのはノーベル賞受賞国の内、高等教育で使う言語はスウェーデンとスイスを除く八カ国が母国語だと分かった。
話は少し脱線するが先ほどの対談記事で書いていた内容に、世界でどんどん英語の植民地化が広がっているそうだ。
少し怖い……。
1章2部 英語圏以外のヨーロッパ人の議論する時の言語は?
次はこれを確かめねば話にならない。
とはいえあまり資料がないので、とりあえずフランスとドイツを例にあげようと思う。
フランス人は議論好きで有名だ。そこで彼等は何語で話すかと言うと、勿論フランス語だ。
では英語圏の研究所の時はどうか。外国人と話す時は英語でフランス人同士だとフランス語で話すそうだ。
一方ドイツ人の議論はどうかというと、勿論ドイツ語で話す。
彼等は自分が正しい意見を言っているというのが前提で議論するらしく、さりげない言い回しがないとか。
では外国での議論ではどうか。残念ながら資料がなかった。
1章3部 では思考の場合はどうか
これは資料がないのでなんとも言えないが、高等教育機関では母国語で習っているなら、わざわざ他の言語で考えるのは考えにくい。
だからここは類推の域を出ないが、それぞれの国の研究者達はそれぞれの母国語で考えていると推定する。
2章 賛同と思われるところ
ノーベル賞受賞国の高等教育の言語状況を見ても、スウェーデンとスイスを除くノーベル賞受賞者top10の国々は母国語(一カ国語)でしっかりと高等教育まで習うので、母国語(一カ国語)で考えることはノーベル賞受賞を取る上で有利だと言えるだろう。
そしてここで日本が凄いと思うことを述べたい。他のノーベル賞国と日本がかなり違う点があって、それは語族が違う点だ。
標準ヨーロッパ語という考え方によると、ヨーロッパ語圏文法・語彙・慣用句・語順の点で共通の特徴を持つそうだ。(ロシアもスラブ語派として入っている)
これはかなり特筆すべき点と思われ、明治時代に数多の日本の天才達が苦労して英語をちゃんと理解し、日本語としてきちんと翻訳した結果であると言える。(だから益川博士が英語を話せなくても正しい研究を行えた一つの原因だろう)
3章 もの申したいところ
また白川博士は別のサイトでこう言った意見を述べている。
「日本人は日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えました。頭の中にあったのは、アジアではインド、シンガポール、マレーシアなどは英国の、ベトナムはフランスの、インドネシアはオランダの植民地になったことから、各国はそれぞれの旧宗主国の言葉を使って学校教育をしているということでした。つまり学ぶための言語と、ふだん生活で使う言語(母語)が違う。この2つの言語は本来、学問を究める上で別々であっていいはずがないのです。
─白川博士インタビュー記事 引用─ https://www.mugendai-web.jp/archives/7373
ここでは植民地を受けたアジアの国における言語の状況が書いてある。
確かにとある記者から『日本人はアジアの中でノーベル賞受賞者が多いのはなぜか』との質問に対する博士の回答だからアジアとの話になるのは分かるが、それでもアジア圏としか比べないのはおかしいし、ノーベル賞が受賞出来る理由についてもいささか不足していると思う点を三点ほど言いたい。
まず二カ国語についてだ。
白川博士は二言語を使っているようでは難解な思考をする上で難しいと言いたいのだろう。
確かに上記で示した通りノーベル賞を受賞したほとんどの国は母国語(一カ国語)と言える。
しかしスウェーデンは二カ国語だし、スイスに至っては三ヵ国語だ。
つまり博士の命題は十分そうであるとは言い切れない。
次に植民地支配による母国語教育の低下だ。
Togetterの内容になるが、母国語教育をしっかりしているのは、植民地支配がなかったからだという。
それも少し違う。確かにその面はあるかもしれないが、かつて植民地支配を受けてもノーベル賞受賞者をかなり排出している国がある。
そうアメリカだ。
アメリカは元々英国の植民地支配を受けていた。そして現在ノーベル賞受賞者一位だ。
アメリカはどちらかというと植民地支配によって母国語(英語)が確立したと言える。
つまりここでも博士の論は(母国語の考え方によるが)そうだと言いきれない。
最後にアジアにしかスポットを当てていないという点だ。
確かに日本はアジア圏だからその周辺と比較するのは分かる。しかしだからと言って他の国々と比べないのでは、論を展開する上でいささか不十分と言える。
なぜなら上記で書いたようにヨーロッパの小国は高等教育だと英語を使っているところが多いのだ。
だから植民地支配関係なしにヨーロッパ圏でも別々に分けて二カ国語使っているのだ。
つまり植民地支配を受けていないヨーロッパ諸国と比較しても良いはずなのだ。
それとヨーロッパの大国にノーベル賞の数で負けるのも歴史的に見ていささか仕方ないと言える。
そこで全体を通して博士の意見を見ると植民地によって二カ国語になった諸アジア圏と比べて植民地支配を受けずに母国語(一カ国語)を守った日本は凄いと思っていることだ。
他のヨーロッパの国とも一切比較せずにである。
これは明らかに欧州への劣等感ではないかと思う。
つまりヨーロッパ人は他の国の人達と比べて圧倒的に優れてます感だ。
要するに白人至上主義をこの文面から感じ取ったのだ。
まとめ
今回の投稿ではアフリカや南米などの国を取り上げてないので、他の国の高等教育の言語についてどうなっているかは分からない。
ただその周辺もヨーロッパの植民地支配があったので、旧宗主国の言語を使って考えたりしているのではないかと思う。
至らぬ点などあると思うので、意見などがあればコメント欄にて書いて欲しい。