「しない」選択をしただけ
「自分は芯がない人かもしれない」と思うとき、たまにある。
例えば、みんなが集まって何かのことについて議論しているとき、周りの人が次々と手を挙げて欲しいもの述べているとき、何かを夢中になっている人を見たとき。
そんなとき、何の意見も出していない自分のことを見て、つい、「あ、私は主張のない人だ、芯がないんだ。」と思ってしまう。
何か積極的に取りに行かないと、大きいな声を発しておかないと、気付かれない、自分を失ってしまう、もう失っていたと、思ってしまう。
正直最近までは、まだそういう考えの癖になっていた。
でも最近はだんだんと、そんなことがないと気づいてきた。
なぜなら、私はただ、それらのことに対して、「しない」を選択しただけ。
価値観はみんなそれぞれ。
何事も積極的に取りに行くのは、必ずしも正義とは限らない。
否定しない、もしくは行動を取らないことこそが、その人の意志の表し方。
そういえばこないだ、とある人に言われたことがある。
「akiさんって、ちょこちょこ意見を変えることがなく、他人の言うことに適当に合わせることもないので、芯がある人だよね。」
それを聞いてかなりうれしかった。
思ってもいないことを、無理に言わないのは自分の大切にしているポリシーであり、プラスだけの人生より、適度にマイナスを入れる人生観のほうが好きだと思う。
芯があるかどうかは、前向きに自己表現するだけではなく、「しないこと」、「やらないこと」、「無関心のこと」をあらかじめ決めることも、自分の軸を固める方法かもしれない。
しない選択をしている自分も、いいじゃん。
控えめの自分も、いいじゃん。
プラスもあれば、マイナスがあるのは当たり前じゃん。
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