ボタン
僕の名前はアキ。
どうも僕は、死んじゃったらしい…。
激しい雨の山道、仕事帰りの僕は急いで車を走らせていた。
僕には、りのちゃんっていう可愛い彼女がいる。明日はそのりのちゃんと、温泉旅行に行く事になった。朝に僕が家まで迎えに行って、そのまま車で宿泊地へ向かう予定だ。
温泉は個室風呂だから、一緒に入ってあんな事したり…♡
着ていく服なんかも、もう決めている。りのちゃんと初めて会った時に着ていた、ワイン色の大きなボタンが目立つ黒いジャケット。これしかないって思ってた。
りのちゃんは激辛なものが好きだから、ディナーは辛いものづくしでいこう。
そんな事を考えながら、すれ違う車も全く無いその山道で車を飛ばしていたその時、急にハンドルが制御出来なくなった。
「!?」
雨でタイヤがスリップした様だった。僕の車は、そのままスピンして道の脇にある巨木に激突した。衝突の衝撃で、僕の頭はフロントガラスに勢いよく突っ込んだ。そこで意識が消えた…。
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気がつくと、僕は漆黒の闇の中にいた。雨は降ってない。ここは何処だ?
そう思っていた僕に、甲高い老婆の声が楽しげに話しかけてきた。
「お前、死んだ気分はどうじゃね?」
「は?」
何を言ってるのか分からなかったけど、僕が事故ったのは記憶にある。僕は死んだのか?
「そうじゃよ。お前は死んだんじゃ。あの事故でな。私は死神。お前を迎えにきたのじゃよ。」
僕は混乱したが、事故の事は分かる。あの事故じゃ、確かに僕は無事じゃいられないだろうな。
そっか、死んだのか。りのちゃんにも、もう会えないのか…。
「いや、会えない事もないぞよ」
死神が甲高い声で再び僕に言った。どうもこいつは、僕の心が読める様だった。
「どういう事だよ?」
訪ねた僕に、死神はこう続けた。
「これは、わしの気まぐれなんじゃがな。死ぬ前にお前の望みを一つだけ、叶える事は出来るぞ」
「ほ、本当かそれ?」
驚く僕に、死神は続けた。
「ただ、会えるのは今夜の1時間のみ。ただし、女に触れたりすると即終了。お前はその場で消える事になる。それでも良ければ女に会わせてもいいが、さてどうするね?」
「会うよ、今すぐ」
死神が僕を弄んで面白がっているのは分かっていたけど、僕は即答した。
「よかろう。後で後悔せんようにな」
老婆の死神がニヤリと笑うと、僕の意識がまた飛んだ…。
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意識が戻ると、僕はりのちゃんの家の玄関前にいた。事故でボロボロだった服は、別のものに変わっていた。りのちゃんと初めて会った時の、あの黒いジャケットだった。
「わしからのサービスじゃよ🎶」
頭の中で響いた死神の声に僕はふん!と答えながら、ドア横にある呼び出しチャイムを押した。
ドアが開いて出てきたりのちゃんは、僕がいる事に少し驚いていた。
「アキ君、どうしたの?出発は明日だよ」
そう言ってにっこり笑うりのちゃん。やっぱり可愛い。ずっと一緒にいたい。そう言いたい気持ちをグッと押し殺した。
「ちよっと話があってね。上がっていい?」
「うん、いいけど…」
りのちゃんは快く部屋に通してくれた。
部屋に入ると僕は話し始めた。タイムリミットは1時間。とにかく時間が無い。
「りのちゃん、落ち着いて聴いてね?明日、僕は旅行に行けなくなった。もうこれからは、ずっと会えなくなる。」
「え?アキ君、どういう事?りのが嫌いになったって事?」
「そうじゃない!好きで好きでたまらないよ!でもね、信じられないだろうけど、僕はさっき、車で事故って死んじゃったんだ。明日の朝になれば、事故の知らせがきて分かると思うけど…」
「何言ってるの?アキ君ここにいるよ?」
黙り込んだ僕に、りのちゃんは続けた。
「嫌だよ、もう会えないなんて。アキ君とずっと一緒にいたい」
悲しげな顔で僕を見るりのちゃんを、僕は思いっきり抱きしめた。そして激しくキスをした。僕の舌とりのちゃんの舌が絡み合う感触が、僕の頭の中を陶酔させていた。
でも、すぐに気付いた。僕の足元から、体が煙みたいに消えていく事に。そうだった。触れちゃいけなかったな。でも僕は抑えきれなかったし、りのちゃんとキス出来たからこれでいいって思った。出来れば一緒に温泉でいちゃいちゃしたかった。一緒に辛い料理食べながら笑い合いたかった…。
そんな事に想いを廻らせながら、僕は煙の様にこの世から消えた。
「さようなら、りのちゃん。ありがとう。」
そう言う僕の声も、煙の様に消えていった。
りのちゃんは、激しく動揺した。
「アキくん?どこ?何で…!」
でも、その動揺はすぐに収まった。
「馬鹿な男じゃのう、1時間を無駄にしおって。まぁでも、そこそこ楽しめたから良しとしよう。今のやり取り、女の記憶からは消しておくから安心してあの世へ行くがいいよ」
死神はそう言って笑いながら、何処かへ消え去った。
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「あれ?私、1人で部屋に立って、何してんだろ?」
「誰かいた様な気がするけど、気のせいかな?」
そう独り言を言うりのちゃんの両目から、一筋の涙が流れ落ちていた。
「何で涙が出るんだろ…」
不思議に感じながらふと足元を見た時、ワイン色の丸いものが目に入った。
「あれ?これアキ君の…。初めて会った時に着てくれてたジャケットのボタンだ。何でこんなとこに落ちてるんだろ?明日、アキ君に渡してあげなきゃ。驚くだろうなぁ。早く明日が来ないかなぁ」
拾い上げたボタンをそっとテーブルの上に置いて、スマホに保存された2人並んで笑っている写真を見ながら、りのちゃんは幸せそうに微笑んだ。
その写真の中には、テーブルの上あるのと同じワイン色のボタンが写っていた。
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