哲学がくれた教育の展望
まえがき
塾で小学生に国語を教えている自分が、哲学を勉強し始めた頃のことを書いてみようと思う。2018年の頃だ。
自分の教え方のノウハウが通じない局面が、同時多発的に、低学年から高学年に渡って起きてきたことが原因だった。
30余年教えてきた経験則が自分の資本。なのに、ある時突然、通じる手応えがほとんどしなくなってしまったのだ。
あの頃は怖かったな…
夜、授業が終わってから、意味もなく、ぐるぐると夜の街を歩き回った。答えの見えない状況の中、だからどうなるわけでもないけど、前に進んでる身体感覚を保たないと落ち着かない。とても帰宅して就眠など出来なかったし、帰ってからまた部屋を出て歩き回るということもあった。文字通り居ても立ってもいられない恐怖感が毎日更新される感じだった。
必死で模索していた。どう教えたら、この子達に通じるだろうか?
喩えて言えば乗っている車が明らかにおかしい。原因を特定して修理しなければならない。しかも走りながら。そんな状況である。
今になって、距離をおいて思い返すと、「授業を受ける」という作法というか無形の文化が、子ども達から失われたという事だったのだろうなと思う。
これから書くことは、小さな個人塾での個人的な経験である。なので、あまり一般化できるものでもないかもしれない。とにかく、自分の経験を文章に整理してみようという試みである。そして読んで下さった方が、もし何か感じたり考えたりされたら面白いし、光栄だな、と思う。
ピッピの集団
私がここで「授業を受ける作法」と言うのは、
・先生が、自分以外の子に語りかけた事でも、自分も言われているものとして聞く。
・手元のノートと黒板の対応箇所がスムーズにわかる。
・自分の中で、先生の指示の意図や連続性を掴み、自分の理解を変化させていく。
というようなことだ。
これまでの自分の教え方は、この生徒側の能力の上に初めて成り立っていたんだな、と今は思う。
それが、原因は未だにわからないのだが、2018年、忽然と失われてしまった。
リンドグレーンによる不朽の名作『長くつ下のピッピ』に、ピッピが学校に行く場面がある。学校には、無数の不文律があり、それを全く知らないピッピが、授業中ピッピの常識に従って振る舞うと、なかなか破壊的なことになって「もう学校に来てはいけません」と言われてしまう…。
リンドグレーンは教師の経験もあったそうだが、子どもの「天然であること」の(素晴らしさではなく)すさまじさの側面と、それを飼い慣らす学校文化の功罪とが、端的に描かれていて考えさせられる。
昨今の、生徒から伝え聞いたり報道で触れたりする学校の様子から考えると、この場面に対する気持ちは複雑だ。
確かに、個性を殺すのは良くない。「個性を殺すのは間違っている」という基準を、教育は、出発点に据えるべきだ。今日も現在進行形で、学校という車輪の下敷きにされる子ども達を思うと、やり切れない。
しかし、である。もう一方で、もしもクラス全員がピッピのようだったらどうだろうか?
先生はノイローゼ(今はそうは言わないのかもしれないが)になるほかにないのではないか。
先生の心が殺されるような教育現場も、また、間違っていると言わねばならない。
さて、話を戻すと、その「ピッピ」が、子どもたちのデフォルトになったと思えば、私の苦しんだ当時の状況が掴みやすいだろう。
具体的に言えば、21世紀の本邦のピッピたちは
・すぐに相手を罵るし、躊躇なく罵り返す
・出鱈目な意見を言っても恥ずかしいと思わない(出鱈目という自覚の有無は不明)
・最低限言われた通りにだけして「終わったよ、それで次は?」という感じ(しかしここは、ピッピとは異なる。彼女は、大人の指示を凌駕して『次』を提案してくるので)
これでは、授業にならない。
「内容を受け止めて、自分を成長させる」態勢になっていない。
現代日本のピッピたち
ここからは、自分が受けた印象を、敷衍してみる試み。
この、「ピッピ」的子ども達の最大の特徴は、「自分を変えるつもりがない」事ではないかな、と感じる。
ピッピの場合は、天涯孤独の身で生きて行かなければならない、まだ10歳でも、「保護されていない大人」だからそうなのだろうと思う。細々とした社会常識を教わらないままに、自分で判断してやりくりして行くほかない。
だからピッピが失敗する時は、大抵、大人の猿真似をして、大人たちの顰蹙を買い、爪弾きにされる。(念の為補足すると、素晴らしい活躍をする時は、その勇気と心映えに、大人以上の腕力と経済力が加わり、あらゆる『夢』が実現されて、俗な言い方だが泣けるのである。)
自分が出会う子ども達は、現代の都市に暮らすため、幼にして既に「消費者」であり、気に入ったものを選択したり、気に入らない時にクレームをつけたりする生活スタイルを身につけているのではないだろうか。
すると勢い、何か不具合が生じた時は、自分が変わるのではなく、周囲に対して指図や要求をして、状況の側を変えるのが当然という感覚になるのではないだろうか。
また、別の側面として。親御さんも、都市で(もっと言えば会社社会で)生きていくのに必要な作法を、子どもの頃から教え込もうとしているように見受けられる。特に、時間の、合理的で効率良いコントロール。実際、塾の子ども達は大概各種習い事でとても忙しい。
子どもというのは本来、良く言って天衣無縫、悪く言えば出鱈目、それが彼らのナチュラルだ。子どもとはそういうものだ。
時間を無駄にしない、という都市生活者としての「洗練」は、だからあくまで大人のものであり、子どもの本性からは外れたものだ。
後者を強要されるストレスと、前者、自分で決めつける事を許された消費者としての居心地良さと。
総ピッピ化の理由はそんなところかな、と、自分の立ち位置から見える部分から想像している(ただし、当然、子ども本人や親御さんには、別の言い分があるかもしれない訳だが)。
前述した「授業を受けるお作法」。それは、瞬間ごとに自分の側を微妙に調整して状況に合わせ、長期的に自分自身を変えていく(学びとって成長させる)という姿勢だ。
かつては、子ども達はそれを学校で身につけて塾に通って来たのだろう。理由も様々だろうが、学校も、「教育する場としての力」が落ちているのだろう。
リンドグレーン『長くつ下のピッピ』
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b269489.html
哲学との出会い
そんな中、自分もただ授業を続けるだけでなく、あれこれ探して必死に勉強をした。安冨歩氏の講義をツィッターで見つけて感心し、キリスト教史・音楽・油彩ワークショップに月に1度、片道2時間かけて通ったり(ここで『直に教わる』ことの良さに味をしめ、あちこちの講座や読書会、書店のトーク・イベントに通うようになる)、20年振りくらいに大きな書店の人文系の書棚に行ったらすっかり様変わりしていて豊富な情報に驚いたり…
また、塾では、「子ども達の感性や自主性を涵養する助けになれば」と、プロのミュージシャンを招いて音楽ワークショップをやってみたり、授業の中に読み聞かせを取り入れたり、絵本を集めて本箱を用意したり、「お菓子パーティー」をやってみたり、と、座学以外の切り口を広げてみたりもした。
そんな中、2019年の春頃だったか、出会った本が、國分功一郎『近代政治哲学ー自然・主権・行政』だった。
https://www.chikumashobo.co.jp/special/kokubunkoichiro/
基本的には高校の倫理社会の授業で習った範囲だが、著者の切り取り方がいいのかとても新鮮で、自分の現場に直結するアクチュアルな発見が次々に起こった。
例えば、ホッブズ。ご存知リヴァイアサンの「万人の万人に対する闘争」。高校の時はそんな大袈裟な…としか思わなかったが、これこそまさに、今の教室での子ども達ではないか!
上手く運ぶ授業は、個々のアイデアが、まるでサッカーのパスが繋がってゴールに至るような流れになる。
しかし…
「はぁ?テメエこそ出来てねぇじゃねぇか!」
「マジうざい。お前に言われたくねーし。」
「そっちだってさっき怒られてたじゃねぇか!」……
そんなやり取りの中では、教えるこちらの心も荒むし、協力しあって深い理解に辿り着くなど、望むべくもない。そもそも内容の話に入れない。
まさに、万人の万人に対する不毛な闘争状態である。
そして、そんな状況を打開するのに重要な示唆を与えてくれたのが、スピノザの章だった。
(残念ながら、同書をどこに仕舞い込んだか発見できず…。私の理解で書くので、是非、原本に当たってみて頂きたい。)
社会契約では、皆、自分の自由意思(自然権と言ったか?)を一旦「置く」形で、闘争を停止する。しかし、考えてみれば、武器なら、それは物なので「置く」ことができるが、心にある自由意思を「置く」ことは不可能ではないか?
置いて、手放してしまうのではなく、心の中で一旦留保するのではないか。ただしそれは、国王の主権による統治が自分にとって有益な場合。もし、有益でなければ、再び、自然権を発動して闘争すればいい。
これを読んで、
・塾の授業での「主権」は教える自分側にあり
・「これなら面白い」「自分にとって、乗った方がオイシイ」と生徒が思う授業をすれば、クラスの運営はうまくいくはず
という事に思い至る。
別の章では、スピノザより古い時代の哲学者(名前を失念…)で、政治体制の制度設計を、通信の秘密の禁止や集会の自由の禁止等、支配下の人々をガチガチに縛る方法を考えた人が、短く取り上げられていた。欧州の血で血を洗う100年戦争後の、恐怖の記憶がまだ生々しかった時代背景だ。
自分は、厳しい校則を定め、生徒の一挙手一投足を内申点で縛るタイプの学校を連想した。
「ああ、そういう学校は、生徒が怖いんだな」と気付いた。
今にして思えば、今回のような問題で、状況理解に役立ったのが「近代政治哲学」であったのは、偶然ではなかったのかもしれない。政治とは「集団の運営」であり、哲学とは「〜とは何か?」を問うものであり、自分は、竹刀や閻魔帳片手に生徒を脅して従わせるような野蛮な手段ではない「近代的な方法」を探し求めていたのだから。
同書の試し読みページで、改めて前書きを読んでみた。「近代政治哲学」を世に問う意義は何か。
「我々は近代政治哲学が構想した政治体制の中に生きている。そして、その中にあまりに多くの問題点があることを知っている。だが、それにもかかわらず未だ有効な改善策を打ち出せずにいる。(中略)現在の政治体制が近代政治哲学によって構想されたものであるのならば、哲学からも打開するためのヒントが得られるはずである。我々のよく知る政治体制に欠点があるとすれば、その欠点はこの体制を支える概念の中にも見出せるであろう。概念を詳しく検討すれば、どこがどうおかしいのかを理論的に把握することができる。」
著者のこうした前向きな問題意識が、高校で習った時にはさして響かなかった近代政治哲学に、新鮮で瑞々しい活力を与え、自分の心に響いたのかもしれない。
哲学がくれた教育の展望
これからどうやって子ども達を教えていけばいいのか?
この大問題について教えられた哲学は、もちろん、『近代政治哲学』だけではない。
またこの時点では、自分の立ち位置というか、現状の意味付け、状況の枠組み理解が決まって、考えを進める足場を手に入れたものの(そしてそれは、後戻りしないために何より重要だったのだが)、「子どもにとって、面白くてためになる国語の勉強」の具体的なやり方の模索は、まだ端緒についたばかり。
これまでのnoteには、最近の、比較的上手くいった授業展開を書いてきたが、この当時はまだまだ暗中模索という感じだった。
前述した絵本や音楽などの取り組みも、環境としては悪くないと思うが、もう一つ、学力に直結していかない……
手探りの中、展望を与えてくれたのは、やはり哲学の勉強だった。
しかしそれについては、少し別の話題なので、またいつか改めて書いてみたいと思う。