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【1/13〜1/19】名サンドイッチ、卒業式の感情、サメを煮る、蓮根、厄祓いの約束、窓、方言

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ドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」を観にフォーラム福島へ。放映中、何度もぴんと張り詰めた空気が漂った。みんな黙って観ているはずなのに空気があるのは不思議。映画館で観てよかった。フォーラムで両側の席が埋まったのはオードリーANNのPV以来だった。

喫茶neiと移転後のコトウへ。neiのサンドイッチのカンパーニュがもちもちジュワッと美味しい。聞くと那須のベーカリーから取り寄せているという。自家製ハムときゅうりとの相性も抜群で、いろんな出会いがサンドイッチされていることにしみじみ感動する。


ヤブウチでめがねを買って4年が経ち、レンズのコーティングがはげてきたので相談へ。メンテナンスで別物のようにピカピカにしてもらい、ちょっと恥ずかしい。移転後のコトウに初めて行った。本のある良い空間は、落ち着いて背表紙を眺められる。いい本を手に入れられて、読むのが楽しみ。

こうしてゆっくり過ごしていると、ふとした瞬間に自分の中の潜在意識に気づくことがある。正解を狙うのもきっと悪くはないけど、もう先回りしなくてもいいんじゃないか。やるべきことじゃなくて、やりたいことにまっすぐ向き合いたい。

1/14()

文章で生きるゼミが終わってしまった。
終わってしまった!

10月から12週間、毎週会っていたゼミ生のみんなとは、もう約束なしに会うことができない。帰り道、一足早く清澄白河駅まで歩きながら、そのことを実感してじわりとくる。これは卒業式のあとの感情。
ゼミの感想は、また改めてまとめよう。
夜行バスで北に帰る。

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夜サメを煮る。もうかざめ。
薄桃色の切り身をおそるおそる買ってみたのが3年ほど前。淡白でふわふわしていて、白身魚のようなイメージ。臭みやクセもなくて、何より安い。いまではすっかり冬の定番。
甥ズに「今日はサメだよ」と皿を出すと、毎度ちょっと盛り上がる。彼らが食べものだと思ってないものをどんどん食卓にあげてみたい。

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夕飯にれんこんを切っていたら、手を滑らせて中指の爪の右下らへんの肉がぱっくりいく。傷は直視できなかった。強めに絆創膏を貼っても血が止まらず、2時間経った今もじんじんする。れんこんは猫の手で切れないから気をつけろと、あれほど。

キッチンでやらかすと独特の喪失感がある。切った食材をガッツリ落としたりとか、皿割った時。初めて自分のお茶碗を割った日のことをいまだに覚えていて、にんじん柄のお茶碗を思い出すとちくりと胸が痛む。

れんこんは片栗粉をまぶして焼いて、ポン酢と鰹節を和えて出した。妹は「犠牲の上にできた料理」とありがたがって、すぐに皿を空にした。

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厄祓いに行く約束をして、もう済ませたような気になる。いつ行くか決めたことで9割は終えているようなものだ。

ふわふわでむちむちのおいしいパンが食べたくて、パンのことばかり考えている。たぶんこの前美味しいカンパーニュを食べて、昨日散々ベーグルの話をしたから。どこのパン屋に行こうか考えるのは、パンの楽しみの2割。買いに行くのは5割で、食べるのは3割。

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朝、長甥が「スーパーマリオプラターズがみたい」というのでアマプラでレンタルしてわいわい鑑賞。保育園で何度も観ているらしく、膝の上から先読みして展開を教えてくれた。冬の子どもは湯たんぽのようで、離れがたい。

妹たちは旅行へ。ヨシダベーゴーにベーグルを買いに行き、映画「窓辺にて」を観た後、図書館に行って今月号の群像にあるくどうれいんさんの「いくつもの窓」を読む。偶然にも窓縛り。

窓辺にては、いつも考えていたことが作品になっていたようだった。

1/19()

和紙の伝統を守っているみなさんと、久しぶりにお会いする。何度も顔を合わせているから見知った間柄になっていて、温かく迎えてもらえるのがうれしい。工房は地元の部落と距離が近く、方言のイントネーションがかなり似ているのも安心する。郡山の中でも、方言はいろいろ。

母は沖縄、父は県北の生まれで、私の訛りは地元の友人やその親、近所の人からもらったもの。このイントネーションは東北から栃木くらいまでは基本的に似ていて、大学で上京して知り合った宮城出身の人にはひとこと言葉を交わしただけで東北生まれと当てられた。メディアのおかげでいわゆる標準語の音は意識せずとも話せている(…はず)けど、言葉の音にはいろんなものが宿っていると思う。

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