後ろめたい気持ちが残ったままだ
この前、『過去の自分より今の自分のほうが好き』という文章を書いた。
それは事実。
だけど、後悔とまでは言わないが、後ろめたさみたいなものは消えないままだ。
私は約1年前、
大学院から逃げて辞めた。
大学時代から不器用なりに努力して、周りの同期や先生から一目置かれることも多かった。
それに対して重圧を感じたから、色々と心がうまくいかなくなって辞めたのだが、その期待を誇らしいと感じる自分もいた。
だからこそ逃げたことで、頑張ったと心から思えた場所であった大学には、気軽に立ち寄れなくなった。
卒業までほんとに頑張ったのにな、って。
なんだか少し悲しくなる。
先生と喧嘩別れしたわけじゃない。
なんなら、
辞める際にお世話になった先生方へお別れの挨拶した時には、先生側から謝られたりもした。
コロナ禍で今までと違うこともあり、先生方もコミニケーションの取りづらさを問題視していたらしい。
まあ、それはそれとして。
多分、辞めてから1年経った今。
現在の私が改めて研究室へ顔を出せば、誰も私を咎めないし、「来てくれてありがとう。」と言われるかもしれない。
それはいい方向に想像しすぎか。
もしかしたら、面倒臭い生徒が居なくなって、清々してるかも。
一旦、歓迎ムードだと仮定したとしても、やっぱり顔向けできない。
胸を張って会えない。
あの頃の居場所には戻れない。
その後ろめたさを強く感じる。
それが唯一、辞めて後悔したことかもしれない。
時々、その後ろめたさでチリチリと胸が痛む。
この痛みが辞めた代償なのかな。
ならばそれも丸ごと受け止めて、前に進んでいくしかない。
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